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第5話
行った先は大衆食堂である。王子が食事をする場所ではない――とレネは思ったが、アレッサンドロは妙に馴染んでいた。
昼時だけあって客が多く騒がしい。
「何を食いたい?」
アレッサンドロはごくなんでもない態度で訊くが、レネとリュカはまだ戸惑っている。正直に言えば、こういう店で何を食べるべきなのかもわからない。
「お任せします。リュカ様によさそうなものを」
「わかった」
彼は給仕を呼び、注文をする。これも手慣れていた。
「この子には小さく切り分けてくれ」
アレッサンドロはリュカに向かって身を乗り出した。
「リュカ。マリノーニの街はどうだ?」
リュカは口を曲げる。
「うみ、きらい」
「それは残念だ。ベルーサにいる間に少しでも好きになってくれ。料理が来るまでの間に、ベルーサの昔話でもどうだ?」
「おはなし?」
「そう、お話だ」
リュカが引き込まれたのが、レネにはわかった。
アレッサンドロが語り始める。
「昔、我らが父祖は貧しい土地にいた。その土地では一族を養うことができず、新天地を求めてみなで船に乗り、海へ出た。嵐に遭い、波に揉まれ、もはや終わりかと思った夜、海の女王サラキアが現れ、陸地へと舵を切ってくれた」
彼はリュカにもわかりやすいよう、ゆっくり話してくれていた。
「父祖はこの地に辿り着いた。そして国を作った」
レネが窺うと、リュカは首を傾げた。
「ふそってなに?」
「おじい様のお父様の、さらにお父様の、もっと昔の方々です」
「しんてんちは?」
「新しい土地のことです。ここではない、知らない場所です」
「ふうん」
これでどうにか半分程度は理解できたようだ。
「この父祖たちが海を荒らし回る海賊だった、という説もあるが、王室では採用していない。まあ、当然だな。いずれにせよ、海と船は我々の誇りだ。それともちろん、父祖もな。毎年父祖がベルーサに上陸した日を祝って祭りを行うんだ」
「私も聞いたことがあります。『父祖の日』ですね」
「そうだ。今年はお前たちも一緒に楽しめるな」
「おまつり?」
「そうです。国を挙げて祝うのですよ」
「うみのおまつり?」
リュカの眉間が狭くなっている。
アレッサンドロの笑いが弾けた。
「海の祭りは初めてか? 面白いことを教えてやろう。父祖の日には毎年波止場から海に飛び込む奴が出る。ベルーサの民は海から来たから、海が懐かしくなるのかもしれない。一応これまで死者は出ていないが、今年はどうかな? まあ、安心しろ。お前たちを海に放り込んだりはしないから」
そのどこが安心できる材料なのだろうか。
「アル様。五歳のリュカ様にすべきお話ではないのではありませんか」
「そうか? 俺はこのくらい五歳の時には聞いていたし、見てもいたぞ?」
「ベルーサとルヴァンヌは違います」
「ふふ」
話す内容はともかくとして、アレッサンドロの笑顔は明るく魅力的だった。咎めるのがばかばかしくなる。
「リュカは泳げるのか?」
「ルヴァンヌの都は内陸にあります。リュカ様はそもそも海をご覧になるのも初めてです」
「お前もそうなんだろう? あれだけ酔うのだから」
料理が来た。メインはやわらかく煮込まれた羊肉だった。ベルーサ国内では牧畜も盛んである。
リュカは羊肉を頬張った。
「美味しいですか?」
小さな頭がこくんと動く。
「リュカ様とこうして並んでお食事ができるなんて嬉しいです。お顔がよく見えますね」
レネはソースで汚れたリュカの口元を拭いてやった。
「しかし、驚きました。アル様はこちらによくいらっしゃるのですか?」
「時々な。王宮に閉じこもるばかりではつまらないだろう」
そんな理由で外出して許されるのが信じがたい。
アレッサンドロは食べ方はきれいだ。だが、それ以外はまるで王子らしくない。
「ルヴァンヌでは王族はこんな店には出入りしないか?」
「ええ。王族が街で食事をとるなどありえません。王族にはふさわしい振る舞いというものがあり、幼い頃から厳しくしつけられます」
「へえ? それは窮屈だな。俺なら三日で逃げ出してしまいそうだ」
「逃げ出すわけにはいかないのですよ」
レネはそっとリュカを見た。リュカはパンをちぎっている。細かいくずがテーブルに散らばっていた。
「まるで知っているかのように言うんだな。お前も王族か?」
「いえ」
レネは目を伏せた。
「私は王家の血を引いておりません。ですが、叔母が王家に嫁いでおります。リュカ様のお母上です」
「つまり、お前とリュカとはいとこか」
「はい。そのご縁でリュカ様の従者を仰せつかりました」
「従者、ね」
アレッサンドロは肩をすくめる。
「『ふさわしい振る舞い』とやらから考えるに、実際にはお目付け役を期待されているってところか」
鋭い。その通りである。
「リュカとの付き合いは長いのか?」
「いえ。ほんの数か月程度です。ベルーサへの遊学が決まり、それまでの従者に代わり私がお供することになりました」
「その前は何をしていた?」
彼はどうやら、レネに興味を持ったらしい。
「寄宿学校におりました。学科課程を修了しまして、通常は卒業し家に帰るのですが、私はそのまま残りました」
「ほう。寄宿学校とは、想像もつかないな。どんなところだ?」
「ルヴァンヌの奥地、静謐なるモランの山中に建っております。緑の木々に囲まれた、静かな土地でした。生徒たちはそこで規律正しい生活を送りながら、学問に勤しみます」
「そこに娯楽はあるのか?」
レネは黙って首を振った。
「まるで修道士だな」
アレッサンドロがぼやく。実際その通りだった。俗世から切り離され、書物を友とし、勉学に励む暮らしは、罰でもあり救いでもある。
レネは思い出す。教室を歩く靴音、ページを捲り、ペンを走らせる音。静かな寮の部屋。
「そんなところにいたのなら、ここは騒がしくて仕方がないだろう」
「まさか。楽しんでおります」
「そうか。それはいい。もっと楽しいこともいろいろと教えてやる」
レネは思わず笑いを零してしまった。
「アル様は故国がお好きでいらっしゃるのですね」
「ああ。大好きだ」
普通はもう少し謙遜するか、あるいはもっと上品な言い回しを使うものである。だが、そのあけすけさがかえってレネには好ましかった。彼が街の人々に好かれる理由がよくわかる。飾らず、気取らず、からりと晴れた空のようだ。
「その寄宿学校だが――」
アレッサンドロが言いかけた時、がしゃんと大きな音が響いた。
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