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第3話 弟に恋と狂気を盛られました①

前回の反省点を踏まえて、俺は色々試してみた。 スキンシップが多すぎるのはよくないのかと距離を置けば、不安げな瞳で見つめられ、「どうしてそんなに冷たいの」と問われる。そして、そのまま終わる。 甘やかしすぎたのかもしれないと、少し厳しく接しただけで、「嫌われたんだね」と微笑まれ、やはり終わる。 過干渉をやめ、あえて何も言わずに静観してみたこともある。すると、「そんなの兄さんじゃない」と囁かれ、すべてが終わった。 ……レオの中には、“兄”でなければならない何かがあるのだろう。 少しでも違えば、否定される。排除される。 ならば、俺は“俺”として、彼の理想に沿い続けるしかない。 それだけじゃなかった。 他の攻略対象と一つでもフラグが立った瞬間、レオは確実にヤンデレ化する。 たとえそれがメイン攻略対象でなくとも―― 使用人や庭師、執事に家庭教師──いわゆる“モブ”と親しげに言葉を交わしただけで、レオの「愛」は、あっという間に“殺意”へと変貌する。 その感情の振れ幅は異常で、境目など存在しない。笑っていたかと思えば、次の瞬間には刃を突き立ててくる。 もはや、親しくすることすら“命懸け”なのだ。 だから俺は―― 次第に無口になっていった。 笑わず、喋らず、他人と関わらず、ただレオだけを見て、彼にしか触れず、彼の隣だけを選んだ。 それでも、どこかで何かがズレていたのか―― 十二度目の終わりも、俺はまた刺された。 「また、戻ってきた……。もうサラシでも巻いとこうかな……?」 ——いっそ、防御力に全振りすればいいんじゃないか? そう思ったのは、決して冗談ではなく、わりと本気だった。 刺される心配があるなら、最初から刺されない装備でいればいい。つまり——常時甲冑。 王宮お抱えの騎士団の予備でも借りて、常にガチャガチャいわせながら生活するのだ。 見た目? 動きづらさ? そんなものは些細な問題である。 なにしろ、これまでの統計で死因第一位は刺殺だ。 一度くらい自衛しても、バチは当たらないと思うんだ。 ……推しとの恋愛ルートを目指してるだけなのに、なんでこんなに命がけなんだろう、俺。 窓の外では、赤く染まる空。 レオの母親の葬儀が終わり、あの“初対面”の日がやってくる。 もう十三度目。 それでも、レオは―― 「……レオといいます。よろしくお願いします」 この瞬間だけは、いつも同じ。 はにかみながら、俺を見上げる顔が、どうしようもなく可愛い。 (お前に、俺を殺させない) 俺は心にそう誓う。 今度こそ、バッドエンドじゃなく、“ハッピーエンド”を掴んでみせる。 *** 今日も平和だ――まだレオに刺されていないという意味で。 俺は息を潜めながら、レオのご機嫌を取りつつ慎ましく暮らしていた。 だが、事件は朝食の席で起きた。 「よっ、リュシアン! 相変わらず無口だな!」 軽やかな声とともに、ぐいっと肩に回される腕。 振り向かずともわかる。 この軽薄な人懐っこさ――公爵家の次男坊、ジーク・フォン・ミュラー。 攻略対象その1。いわゆる「親友ポジ」で、最初から好感度高めの陽キャ男子。 爽やかで優しくて、一緒に剣の稽古をした幼馴染……なのだが。 おまえだけはダメだ。 「っ……やめろ!」 「え、何? リュシアン、何か怒ってる? 俺、昨日なんかしたっけ?」 「いや……あの、ちょっと触らないでくれるか」 俺は必死で冷静を装いながらも、頭の中は真っ赤な警告灯でいっぱいだった。 (バカ野郎、気安く触るな!! レオがヤンデレ化するだろうが……!!!) レオは、王家の人間とはいえ、母が妾腹のため、正式な王位継承権はなく、侍従見習いとして王城内に仕えていた。 王の命令でもなんでもなく、自分から希望してきたらしい。 案の定、斜め後ろの執事席に立つレオが、にこりともせずこちらを見ていた。 笑ってるのに目が笑ってないタイプのアレだ。 (やばいやばいやばい、絶対ヤンデレフラグ立っただろ今の!!!) だがジークは気にせず、俺の皿からベリーを一粒つまむ。 「このタルトうまいな、さすが王室仕様ってやつか?」 「……殺される」 「えっ?」 「いや、なんでもない。いいから座って黙って食え。な?」 (お願いだから無駄に好感度上げないでくれジーク……。 俺はおまえのルート行く気ないんだ……!!) レオの影に怯える毎日。 俺は今日も、全力でバッドエンド回避生活を生き抜いている。 昼下がりの訓練場。 空は高く晴れ渡り、風が心地よい。剣の素振りに集中するには、もってこいの日だ。 俺は一人、端の方で木剣を振るっていた。息を整えながら、数を重ねる。 ――誰にも気づかれず、平和な時間を過ごせる。それだけで、今日は良い日だ。 「よっ、リュシアン! 相変わらず真面目だな~!」 ――よくなかった。 肩に回される腕。汗ばんだシャツ越しに、あの馴れ馴れしい体温。 「……ジーク」 振り向くまでもなく、声でわかる。 公爵家の次男坊。陽気で、距離感がバグってる俺の幼馴染。 「なんだよ、そんな顔すんなって~。昔はよくこうして一緒に訓練してたじゃん?」 ジークは悪びれる様子もなく、俺の背中に軽くもたれかかる。 (……っ、バカ、離れろ!!) 俺は無言で彼の腕を振り払った。 「お、おい? やっぱり、なんか怒ってる?」 「怒ってない。けど、暑い。離れてくれ」 できるだけ冷静を装って言うが、内心は大荒れだった。 (よりにもよって背後からなんて……レオが見てたら、どうすんだ) 目線を感じて、ちらりと訓練場の入口を見やる。 いた。レオが、いた。 黒髪を風に揺らしながら、遠巻きに立ち尽くしてこちらを見ている。 その瞳はまるで、春の陽気とは真逆の氷のようだった。 「うわ、レオ。今日も冷たい目してんなあ。ま、あいつも真面目すぎるとこあるしなー」 ジークは気にせず木剣を手に取ると、「久々に一緒にやろうぜ」と笑う。 俺の頭の中では、レオの好感度ゲージが振り切れる音がした。 (頼む、これ以上、俺に構わないでくれ……!) 夜。 誰もいない廊下を、一人で歩いていた。 ようやく自室に戻れる――そう安堵したその瞬間。 「おーい、リュシアン!」 元気な声が響く。振り返ると、廊下の向こうからジークが駆けてきた。 「やっと見つけた! ちょっと話したいことあってさ、いい?」 「……今から寝るところなんだが」 「すぐ終わるから。な?」 そう言って、ジークは俺を壁際に追い詰めるように立ち位置を変えた。 距離が……近い。顔が数十センチもない。 「今日、兄貴にさ、領地の件でなんか言われてさ。おまえ、そういうの詳しいだろ? ちょっとだけ、相談……」 彼の吐息が、頬にかかる。 (近い、近いって!! なんでこんな時に限って……) 嫌な予感がして、視線だけを廊下の奥へ向ける。 いた。レオが、いた。 いつからそこにいたのか。 柱の陰から、ひとことも発さずこちらを見ていた。 目が合う。 笑っている――が、あれは笑顔じゃない。 「っ……悪い、ジーク。用件は明日でいいか? 疲れてるんだ、今日は」 「あ、うん? わかった。なんか急に冷たくない?」 「……気のせいだ」 俺は逃げるようにその場を離れた。 振り返ると、ジークが不思議そうな顔で首を傾げていた。 その背後、柱の影でじっとこちらを見つめているレオが、静かに歩き出すのが見えた。 (……ジーク、おまえ、本当に頼むから、気づいてくれ……!!) *** 次の日。 東の庭にある白い東屋。 柔らかな陽が差し込む、穏やかな午後。 その空気の中で、俺はただ一人、内心の緊張で手の震えを抑えていた。 「兄さん、お茶を淹れたので、少し休憩しませんか? 今日は天気がいいので、外の空気でも吸いながら」 公務の合間にそう声をかけてきたのは、レオだった。 普段なら「いや、大丈夫」と軽く流すところだが――断ったら、それはそれで何かしらの地雷になりかねない。 だから俺は、ほんの少しだけビクつきながらも頷き、こうして彼の勧めるまま東屋にいる。 レオの紅茶は本当に美味しい。 香り高く、温度も絶妙で、甘すぎないミルクティーは、疲れた体にじんわりと染み込む。 添えられたクッキーもまた、優しい甘さで―― 「……これも、レオの手作りかい?」 「はい、兄さんの口に合えば嬉しいです」 レオはにこりと微笑みながら、俺の隣で紅茶を注ぎ足す。 「レオも、一緒にどうだい?」 空気を和らげようと、そう促してみる。だが彼は頑なに首を振った。 「いえ。俺はこうして、兄さんを見守っている方が性に合ってるので」 まるで、祈るような、護るような――けれど、どこか執着めいた熱をはらんだ瞳。 「レオ……」 その名を呼んだ刹那、地面を踏み鳴らすような足音が庭に響いた。 「おーい、リュシアン!」 無遠慮に、躊躇なく、場の空気を読まずに現れた男。ジーク。 「お、ティータイムか? いいなあ」 にこやかに笑いながら、テーブルに近づく。 俺の肩に軽く手を置いて、何の断りもなく、クッキーに手を伸ばした。 「美味そうだな。いただきまーす」 サク、と音を立ててひとくち。 「……」 「うん、うまい」 空気が変わった。 背筋を氷で撫でられたような、静かな恐怖。 「……レオ?」 視線を横にやると、そこにはもう、いつもの笑顔はなかった。 レオは静かに立ち尽くし、無表情でジークを見ている。 感情が、ない。仮面のように無機質な表情。 それが逆に、何よりも怖い。 (……あ、やばい) 喉がひりつき、胃が軋む。 (これ、今日、誰か死ぬかもしれない。主に俺) 俺は手の中のティーカップを、そっとソーサーに戻した。 *** 東屋での一件から数日。 公務の合間に、ふとした静寂を味わっていた俺のもとに、またしても無遠慮な足音が近づいてくる。 「よっ、リュシアン! ほら、これ!」 手渡されたのは、白と薄紫の可憐な花々でまとめられた、小さな花束。 「たまたま市場で見つけてさ。リュシアンのイメージっぽいって思ったんだよね」 一瞬、時間が止まった。 俺の脳裏に、某黒髪王子の笑ってない笑顔がフラッシュバックする。 (あっぶねえええええ!!!!!) 「……いや、いい。要らない。花なんて……その、俺には似合わないし」 「……そう、だよな。男から花とか、変だよな……」 ジークの明るい声が、一瞬だけ、落ち込んだように翳る。 罪悪感が胸に刺さる。俺が口を開こうとした、その瞬間だった。 「その花、頂いても?」 背後からふわりと現れたレオが、ジークの手から花束をすっと奪うようにして取った。 「ジーク殿には、もっとお似合いの花があるでしょう。王都では、令嬢方からの茶会へのお誘いが後を絶たないとか?」 明るい調子のまま、どこか棘のある声。 レオの微笑みは、やはり目が笑っていない。 「……っなにそれ。いきなりそういう言い方って、ちょっと失礼じゃね?」 ジークの眉がぴくりと動く。空気が一気に重くなる。 「レオ、それはちょっと……。ジークは、ただ気を遣ってくれただけで――」 うっかり、ジークを庇うような言葉が口をついて出たそのとき。 レオの目が細められた。 「……兄さんは、ジーク殿のご厚意に、感謝していらっしゃるのですね?」 その微笑みに、俺は確信した。 (あ、やっべ。今、完全にルート判定された……) 「……兄さんには、相応しい花を用意しますよ」 レオはジークから受け取った花束を、そのまま腕に抱えたまま、庭の奥へと向かっていく。 路地の突き当たり。枝木や古布の焼却炉。 煙の立ちのぼるその場で、レオは何の迷いもなく花束を放り込んだ。 炎が、音もなくそれを包む。 レオは火箒を手に、ふと足元の残骸を見下ろした。 花の一部が煤けて地に落ちている。 彼はそれを、躊躇いなく踏みつけた。 まるで、役目を終えたボロ雑巾でも見るように。 「掃除中だったのです。ご心配なく」 振り返った笑顔に、曇りはなかった。 ――けれど、その背後から立ちのぼる香りだけが、妙に甘く、そして焦げ臭かった。

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