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第4話 弟に恋と狂気を盛られました②※首絞め、微R
夕暮れ、俺が書斎で本棚の前に佇み書類に目を通していると、ドアの前にジークが立っていた。
「リュシアン、少し話せるか?」
その声には、普段の陽気さとは違う真剣な響きがあった。
しかし俺は気が気ではない。
もし、こんな場面をレオに見られてしまったら――。
(うう……胃が痛い……)
「実は、どうしても気になることがあってな……」
ジークはそっと歩み寄り、目を逸らしながらも言った。
「お前の弟、レオのことだ。あの異常な執着……花束を燃やしたり、やけにお前を見張っていたり。普通じゃないと思うんだ」
俺は言葉に詰まりながらも、できるだけジークから距離を取ろうとする。
「ジーク、あいつは兄さんのことが好きすぎて……ちょっと過剰なだけなんだ」
だがジークはゆっくりと首を横に振った。
「それだけじゃない。もっと深刻だと思う。……お前、ちゃんと気をつけたほうがいい」
その真っ直ぐな言葉が胸に刺さった。
俺の胸はきゅっと痛み、同時に、足元から冷たい恐怖が這い上がる。
(レオに……この会話を聞かれたら、俺、どうなるんだ?)
「忠告、ありがとう……」
(だから――お願いだから早く帰ってくれ……!)
「お前は、あの弟の前だといつも妙に怯えてる。……何か、弱みでも握られてるんじゃないか?」
(うん、命が……!握られてます!)
「俺は、お前を守りたい。お前が困ってるなら、力になりたいんだ。ひとりで抱え込むな。二人なら――乗り越えられることもある」
まっすぐに向けられたその優しさに、心が揺れる。
誰かに頼っていいのなら、こんなふうに声をかけてもらえるのなら――と、思ってしまう自分がいた。
「ありがとう……でも、本当に、大丈夫だから。だから……帰ってくれ」
苦し紛れに絞り出すように言うと、ジークは微笑んで、そっと手を伸ばしてきた。
「……わかった。ただ、忘れないでくれ。お前が望むなら、俺は――いつでも、そばにいる」
その言葉と、優しい温もりが肩に触れた瞬間。
――コン、コン。
軽く、控えめなノック音。
「兄さん、失礼します。……お茶を――」
ゆっくりと、ドアが開いた。
静かに一歩だけ踏み入ったその姿。
レオが、そこに立っていた。
手には銀のトレイ。俺の好きな紅茶と焼き菓子。
けれど、それを机に置くこともなく――
レオは、じっと、動かず。
開いた扉の前で。
その白銀の瞳が、音もなく――
俺と、ジークを交互に射抜くように見据えていた。
本棚の前、二人並んで立つ構図。
俺の肩には、まだジークの手が添えられていた。
時間が、止まった。
「……ああ、邪魔をしたようですね」
一切の感情を排除した声で、レオがそう告げた。
静かに、だが確実に――レオの中で、何かが決定された。
あのあと、レオは何も言わずに静かにドアを閉じた。
……それが、逆に恐ろしかった。
無言。無表情。無音。
沈黙こそが、一番怖い。
ジークが「じゃ、またな」と手を振って去っていったあと――
俺は、走った。
部屋に戻るなり、戸棚の奥にしまってあった布を引っ張り出す。
それは戦場に赴く兵士が着ける、身体を守るためのさらしだった。
「まさか……これを日常で巻く日が来るとは……」
袖をまくりながら呟く。
レオが俺を殺すなら、首。
それか、枕元で静かに微笑んだあと――
想像して、全身が震えた。
「いや……いや、そうなる前に、防御しないと……!」
しっかりと胴に巻きつけ、何重にも固く縛る。
(……ほんとは甲冑を着たい)
けど、流石に日常生活に支障が出る。
「よし……これで大丈夫……いや、大丈夫じゃないけど……!」
鏡の前に立つ。 さらしを巻いた自分の姿が映る。滑稽で、哀れで、でも――少しだけ、誇らしかった。
(俺はまだ、生きたいと思ってる)
その時だった。
部屋の外から、コツ……コツ……と、革靴の音。
(来た……来た、来た……!)
扉の向こうから、ゆっくりと死が歩いてくる。 否――愛が。いや、狂気が。
いや、レオが。
思わずクローゼットの扉に手をかけた。
逃げ場を探す王子なんて情けないにも程がある。
でも俺は確信していた。
「もう、手遅れなんだ」
俺は、重たい足取りで、深呼吸してベッドに腰を下ろした。
その時――扉が、音もなく開く。
「……レオ」
レオだった。
返事も、目も合わせぬまま、彼は静かに机の上に銀のトレイを置いた。
白いカップに注がれた紅茶。隣には、香ばしく焼かれたレモン風味のビスケット。
けれど、いつもと違っていたのは、レオがそれを差し出しても、微笑まなかったことだ。
「……先ほどのお方。ジーク殿は、とてもお優しい方でしたね」
背筋が凍りつく。
(や、優しいよ……俺を助けようとしてくれてるよ! でもそれを言ったらお前に殺される!)
「そ、そうかな……?」
喉が張りつくようで、やっとのことで絞り出す。
レオは紅茶を見つめながら、さらに言った。
「肩に手を置いて……とても、親しげでした」
冷や汗が首筋を伝う。
レオの声には、怒気も棘もない。ただ、事実を穏やかに語っているだけ。
だからこそ、余計に怖い。
「……お気をつけください」
紅茶の縁を指でなぞりながら、レオは言う。
「知らぬ間に、“距離”を詰めてくる人もいますので」
その声が、脳に直接染みこんできた。
俺は気づいていた。 それは、ジークのことじゃない。
俺に、最も距離を詰めてきたのは――レオだ。
皮膚のすぐ下に、あの男の気配がある。
心臓の裏側に、呼吸の熱がまとわりついている。
逃げても、逃げても、追いかけてくる。
(こんなもの……愛じゃない)
だけど。
(だけど、あの瞳に見つめられると……)
壊されても、構わないと思ってしまう。
この手で潰されるなら、本望だと。
それを「幸福」だと錯覚してしまう自分が――何より、怖かった。
胃の奥がキリキリと痛む。
紅茶の香りすら、命の危険を知らせる毒に思えてくる。
そして、レオの瞳がようやく、ゆっくりと俺を見つめた。
笑っていなかった。
レオの指先が、静かに両頬に触れた。
まるで、これから唇を重ねるかのような、丁寧で甘い仕草に、俺は思わず息を呑んだ。
その白銀の瞳は冷たくもあり、しかしどこか慈しみを秘めていて――
ただただ、美しかった。
だが、次の瞬間。
レオの手は鋭く動き、ゆっくりと首筋に回る。
喉元にかけられた手が、そっと、けれど確かに俺の呼吸を奪っていく。
「レ……オ……っ……く、る……し……」
声にならない声が漏れる。
なのにレオは、微笑んでささやくように唇を寄せた。
「……いい声、ですね。兄さんの、そういう声……好きですよ」
その声だけで、耳の奥が痺れるようだった。
きつくはない。けれど逃げられない。
まるで、上質な絹でじわじわと縛られていくみたいな――そんな感触だった。
苦しいのに、怖いのに、体が熱を帯びていく。
頬に触れる彼の指は熱くて、撫でられるたびに、俺の心臓が跳ねる。
何度もループを重ねて、こうなったらどんなにあがいてもレオの手からは逃れられないと俺は知っていた。
「兄さん……ほんとうに綺麗だ。苦しそうなのに、こんなに艶っぽい顔して……」
吐息が耳元にかかる。
身体が、びくりと反応した。
指が少しだけ喉を締め上げ、息が詰まりかけた瞬間――レオの唇が重なる。
やさしく、溺れるように。
けれどその奥には、どこまでも甘く狂った執着があって。
「……もう、大丈夫です。兄さんは俺のものですから。世界になにも触れなくていい。……俺が全部、してあげますから」
唇が、頬へ、顎へ、耳へ――
喉元を締めながら、彼は優しく舌を這わせていく。
呼吸の代わりに、熱が流れ込んでくる。
見えない目の奥で、世界が揺れる。
それでも彼の声と、唇と、体温だけが……やけにリアルで、心地よくて。
俺はもう、逆らえなかった。
怖いのに、甘い。
壊されていくのに、満たされていく。
これは、恋なんかじゃない。
でも――こんなふうに、求められて、奪われたかったのかもしれない。
「レオ……」
かすれる声に、彼はまた、優しく微笑んで――
そして、もう一度、口づけた。
レオの手が、喉元をなぞる。
指先は冷たいのに、その軌跡が熱を残す。
まるで、目に見えない首輪のように。
「ねぇ……死ぬの、怖いですか?」
喉をなぞっていたレオの指が、わずかに力を込めた。
息が詰まりそうになる。だけど、逃げられない。
指先から伝わる体温さえ、どこか遠く感じた。
「俺は――兄さんが俺以外を好きになるほうが、ずっと怖い」
震えそうになる腰を押さえるように、膝が深く入り込む。
(……助けて。いや……違う……)
愛が、殺意を纏っている。
だけど、それが自分にだけ向けられているとわかってしまうと――
どうしようもなく、嬉しいと思ってしまった。
吐息が耳にかかるたび、ぞくりと背筋が震えた。
脳が焼けるように熱くなる。
なのに、身体の奥は冷たく、乾いた欲望が疼いていた。
(こんな感覚……いつからだ……)
気づけば、レオの膝が、俺の脚の間に入り込んでいた。
押し当てられてはいない。
ただそこにあるだけ。それなのに――
(熱い……)
まるで、服越しに奥を撫で回されているようで、息が勝手に詰まりかける。
身体の奥が、じわじわと熱くなる。湿った感覚が下腹に滲む。
(おかしい……触れられてないのに、俺……)
恥ずかしさに、首から上が一気に火照る。
それがまたレオに気取られた気がして、余計に体温が上がる。
「……他の誰にも、こんな顔は見せないでくださいね」
レオの声が低く、耳奥にねっとりと響く。
喉が震え、呼吸が浅くなっていく。
「ジークが兄さんを見るたびに……苛々するんです。あんなやつには……」
その先は言葉にならず、代わりに――
ふ、と、顎の下にレオの唇が触れた。
触れたとは言っても、掠れるほど。
それなのに、背筋を一本、熱い何かが這っていく。
(やだ……見られてる、また……)
視線が、喉元を舐めている。服の下まで透けて覗かれているようで、
体が勝手に、きゅっと震えた。
「……兄さん、感じてる。……ここ、もう、濡れてるんでしょう?」
囁くような声が、耳の内側に落ちる。
とろりとした声音に名前を乗せられるだけで、腰が逃げようとする。
けれど、レオの膝がそれを許さなかった。
「恥ずかしがらないでください。……だって、俺たちは家族なんですから」
違う――そう言いたいのに、
唇が喉元に押し当てられて、思考が霧散する。
(家族なんかじゃない……っ)
でも、レオの舌が肌に触れた瞬間、喉の奥からくぐもった音が漏れた。
「……あ」
まるで、聞きたかったそれを引き出せたように、レオの指が喉元にそっと添えられる。
ゆっくりと、優しく。けれど、そのまま、じわりと力が籠められていく。
(あ……くるしい……のに……)
喉が塞がれていく感覚に、腰の奥が跳ねた。
脈がどくどくと、そこに集まっていく。
「……兄さんが、どこをどうされたら感じるか。
どこを締めれば、どう声が上がるか。……もう、わかってしまったんです」
耳に落ちる声が、やわらかく、甘く、ねっとりと絡みつく。
「兄さんはね、喉の左側を軽くなぞると、息が一瞬止まって、
……それから、奥のほうが、ぴくって揺れるんです」
(いつ……そんなの、見られて――)
「最初は偶然でした。けど……観察してたら、見えてきたんです。
兄さんの身体の、感じる順番とか、反応の癖とか……」
いやだ、怖い。そんなの全部、知られてたなんて――
けれど。 「知られていた」こと自体が、脳を痺れさせる。
“どうしてそんなに俺を見ていたのか”、その理由を考えた瞬間、
どこかが、熱くなってしまう。
「泣いて、喘いで、俺の名前を呼ぶ兄さんが、いちばん綺麗だって……俺、知ってるんですよ」
レオの声が甘くなった瞬間、
舌が、喉元を這うようにゆっくりと――熱をなぞった。
(だめ、そんな……っ)
でも、もう声も出ない。
レオの指が、喉にしなやかに絡みつき、
締めつける力を強めていく。
苦しい。だけどそれ以上に、そこが熱い。
「…………っ、あ、……レ……ぉ……」
かすれた声が、喉の奥から漏れる。
呼吸が詰まっても、どこかでまた――それすら快楽にすり替わっていく。
「兄さん……愛してるよ」
レオの声は穏やかで、ただ静かに、
俺を壊す準備を整えていた。
指の圧が、すべてを塗り潰すまでの、ほんの数秒。
俺はただ、その冷酷な愛に貫かれたまま――
意識を落としていった。
BAD END:真綿の愛
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