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第5話 弟に愛されすぎて毒を飲みました①

またしても俺は、いろんな意味でレオに逝かされてしまった……。 (——やはり、甲冑を着ておくべきだったかもしれない……) ……まったく。兄としての威厳も、貞操観念も、もうどこへやら。 ……せめてもの誇りは、“これでもまだ好きだ”と思えていることだ。 俺が16歳でレオと出会い、19歳になるまでの3年間は、『ラストラビリンス』でいえば、ほんの序章――プロローグに過ぎなかった。 この作品は、愛と選択肢が命を左右するRPG形式のBLゲームだ。 元ヘヴィーユーザーである俺――いや、主人公リュシアンは、攻略対象たちと心を通わせながら、恋愛感情を育み、ときに命を懸けて未来を選び取っていく。 誰と絆を深めるか、どのルートに進むかで、物語の展開もエンディングも劇的に変わる。 一見ただの恋愛ゲームに見えて、その実、裏には国家を揺るがす陰謀や悪魔崇拝組織が渦巻いていて、選んだ愛のかたちが“世界の命運”すら左右する――そんなスケールのでかい、重厚なストーリーが待っている。 絶望、裏切り、喪失――それでもなお、彼らとともに抗う意志を選ぶ物語。 選ばれたパートナーと共に、血を流し、愛を交わしながら、闇の根源を打ち砕く。 しかも親切設計で、「強くてニューゲーム」も可能。選択肢ミスってもやり直せる、救済措置つき。 ……だった。 しかし、たどり着けない。 プロローグから抜け出せない。 レオがそれを許さない。 なんだか今日は疲れた。いや、今日だけではなくいつも疲れている。 けれど、そんなことを言ってはいられない。 ――ヤンデレルートは絶対に避ける。俺は……俺はレオとの平和なラブラブルートを目指し、そして共に新たな試練へと立ち向かうのだ!! そう決意を新たにした矢先。 「リュシアン……!」 目の前に現れたのは、実兄にして第二王子。 攻略対象その2。セシル=ラグランジュ。 ここ最近ずっと、セシル兄さんは外交任務で王都を離れていた。 本来なら第二王子として、政治の最前線で活躍する立場の人だ。国内外を飛び回り、各国の使節と会談しては王家の名を背負って頭を下げている。だから、めったに顔を合わせることもない。……はずだった。 なのに今日に限って、唐突に帰ってきていた。 (あっ、やば――) 逃げる間もなく、兄は廊下の向こうからまっすぐに歩いてきて、俺の前でぴたりと足を止めた。 「リュシアン、大丈夫? 疲れた顔してないか? 無理してない? ちゃんと眠れてる? 食事は? 水分は? そもそも最近、俺と一緒に過ごす時間が減って――」 「……っ!」 (ひぃぃぃ、出た!ブラコン兄貴!もう俺に構わないでくれ!!いやマジで、レオがまた変なスイッチ入っちゃうから!) 焦る俺の肩に、兄の白く長い指がそっと触れられる。 その手つきは、今にも抱きしめかねないほどに優しい。 「頬が少しだけ赤い。熱……ないだろうな? 医務室に連れていこう。いや、まずは湯を沸かして……っ」 (いや、風呂とか!いらないから!) セシル兄さんは優しい。 誰よりも俺を大事にしてくれる。ありがたい、ほんとうにありがたい。 ……けど、それが死亡フラグと直結してる今、この近距離スキンシップは地雷でしかない。 廊下のど真ん中で、まさかの額タッチをキメようとする兄。 この人、昔から過保護すぎるんだよ! (やばいやばい、やばすぎる!!!) セシル兄さんが俺の頬に手を添えた、その瞬間だった。 ――ガシャン! 近くの柱の陰から、何かが落ちて砕けるような音がした。 (え……?) 一瞬、空気が凍る。 俺とセシル兄さん、そして廊下を通るメイドたち全員が、そちらを振り向いた。 けれど、そこには誰の姿もなかった。ただ、壊れた花瓶の残骸だけが床に散っている。 「……誰かいたのか?」 兄が不思議そうに呟く。俺は違う意味で震えた。 (絶対いた。間違いなく、レオだ!!) あの子、俺がセシル兄さんに甘やかされてるの見て…… 今、確実にスイッチ入った!! (……詰んだ。) 「リュシアン? 顔色が悪い。やっぱり体調が――」 「だっ大丈夫大丈夫元気です兄さんじゃあまた後でね!!!!」 セシル兄さんの手を振りほどき、俺は全速力でその場を後にした。 (まずい、これはまずい。今夜あたり、ベッドの下にレオがいるパターンだ……!) けれどその夜―― 部屋に戻ると、そこには整えられた寝具と、いつも通りの静かな空間。 (……あれ? いない?) 夜が更け、部屋の明かりはすべて落とされていた。 カーテンの隙間から差し込む月明かりが、ぼんやりとベッドの上を照らしている。 今日は刺されなくて良かった……。 そんな事を思いながら、ベッドに身を委ね、目を閉じる。 ……いつの間にか、眠っていた。 頭がぼうっとしてる。 でも――なんとなく、誰かの気配を感じた。 まぶたが重い。体も動かない。 けど、わかる。この部屋に、誰かがいる。 俺の……すぐ、そばに。 ……あれ……? 眠ってるはずなのに、ふと目覚めかけた意識の奥で、ぼんやりと“誰か”の存在を感じ取っていた。 (……レオ、じゃない?) どこか違う。 そっと、そばに立っているだけのような、静かな空気。 けれど、その気配は妙に優しくて、どこか懐かしくて。 ……頭にふれた指先が、そっと髪を撫でる。 (……なにこれ、子ども扱いかよ……) 心の中で文句を言いながらも、なんとなくわかってしまった。 この感じ、間違いない――セシル兄さんだ。 「……ほんと、寝てるときは可愛いのに……」 聞こえた。すごく小さな声。 聞こえないふりをしたけど、めちゃくちゃはっきり聞こえた。 (なに言ってんだよ……兄さん……) 完全に寝たふりを決め込むしかなかった。 だって目を開けたら、たぶんあの人、何食わぬ顔して頭撫で続けるから。 (お願いだから、レオにだけはバレないでくれ……) 心のなかで全力で祈りながら、俺は再び目を閉じた。 そっと頭から手が離れる気配がして、扉の開く音がした。 数秒後、また静寂が戻る。 (……兄属性SSRだってこと、初見でわかってたはずなんだけど……。) 目を開けられないまま、呆れと恥ずかしさと、ちょっとの安心を抱えて、俺はもう一度眠りについた。 *** 体がだるい。重い。 頭がぼんやりして、目を開けるのも億劫だった。喉がひどく渇いて、息をするだけで熱がこもっているのがわかる。 何もしたくない。けど、誰かが俺のそばにいる気配がする。 「……氷、替えてきますね。すぐ戻りますから、動かないでください」 それがレオの声だった。 うっすらと目を開けた俺の視界に、彼の真面目そうな横顔が映る。眉間に皺を寄せて、濡れた布を手際よく取り替える手つきは慣れていた。 (……ごめんな、レオ……心配かけて) 「薬も飲んだし、水も少しずつ飲めてます。あとは、よく眠ってください」 いつもより穏やかな声だった。優しい手つきで額を拭かれて、それだけで安心してしまう。 やっぱりレオは……信頼できる。 俺が再びうとうとしかけた、そのとき。 「交代だよ、レオ」 「……セシル殿下」 「長時間の付き添い、お疲れさま。あとは僕が看るよ」 「……しかし、私は主の体調を――」 「大丈夫。君が用意してくれたものは、全部引き継ぐ。僕にも、兄としての役目があるんだ」 (……あ、やば) 声がする。気配が変わった。 無理やり目を開けると、セシル兄さんがもう俺の枕元に座っていて、当然のように氷嚢を手に持っていた。 「リュシアン、大丈夫……?」 さっきより優しい声。すごく近い。 レオが部屋を静かに退出していく気配がした。 (ごめん、レオ……俺、頼んだ覚えはないんだけど……セシル兄さん、やっぱり強引なんだよ) でも、セシル兄さんの手はあたたかくて。 だから文句を言う気にもなれなかった。 「あ……兄さん……?」 「起こすつもりはなかったんだけど、顔が赤くて……氷嚢、替えに来ただけだから」 そう言いながら、セシル兄さんは俺の額から湿った布を外し、新しい冷たいのに取り替える。 (あぁ、気持ちいい……) 「水、飲めるか?」 差し出されたグラスに、少しずつ口をつける。喉が熱で焼けているようで、冷たい水が染み渡った。 「ありがと……でも、どうして……仕事……」 「今日の会議は飛ばしてきた。君の方が大事だから」 微笑むその表情に、返す言葉を失った。 セシル兄さんは、昔からそうだった。過剰なくらい優しくて、少しの変化にも敏感で、俺のことになると全力で時間を割いてくれる。 嬉しいはずなのに――なんだろう。どこか、怖くなることがある。 「寝てていいよ。薬は、さっき飲んだよね? あとはもう、僕がいるから大丈夫」 そう言って、兄さんは俺の手を取って、包み込むように優しく握った。 (……その“僕がいるから”って、レオが聞いたらどうなるんだろ) 熱で朦朧とした頭でそんなことを考えながら、俺は目を閉じた。 兄さんの手は、あたたかくて安心する。けど……それが逆に、こわいんだ。 (兄さん……優しすぎるよ……) 優しさのなかに、ふと混ざる「何か」に怯えながら、俺はゆっくりと意識を手放していった。 *** 夜。 廊下には誰もいない。 王城のその一角はすでに灯りが落とされ、静まり返っていた。 けれど、リュシアンの寝室の前だけは、張り詰めた気配が満ちていた。 ドアのすぐ前に立つのは、黒衣の“騎士”――レオ。 執事見習いの身でありながら、主を守る誓いを胸に、剣と忠誠を隠し持つ影の護衛だ。 その背後から、足音ひとつ立てず現れたのは―― 第二王子、セシル・ラグランジュ。 二人は無言のまま、一拍の間、互いを見つめた。 先に口を開いたのは、レオだった。 「……セシル殿下。ご公務に差し支えますので、あとは私にお任せ下さい」 声は低く、丁寧だった。 けれどそこには、一切の感情の揺らぎがなかった。 “騎士の言葉”ではあるが、“譲る意思”はどこにもない。 セシルは少しだけ微笑んだ。 「ありがとう。でも、私は兄としてここにいる。 公務より大切なものが、今そこにあると、私は思ってる」 目元にはいつも通りの優しさが浮かんでいる。 けれどレオには、それが本物であると同時に、 強烈な“揺るぎなさ”でもあることが、よくわかった。 レオは一歩、前へ出た。 「……私は、殿下の弟君の“騎士”です。 剣を取ることはなくとも、命をかけて、彼を守ると誓った者です」 セシルの目がわずかに細められる。 その色は、静かに燃える焰のようだった。 「私も、命をかけてきた。 リュシアンをこの王宮で“生き延びさせる”ためにね。 彼がどれほど多くの視線と重圧を背負ってきたか……君に、理解できるかい?」 言葉に怒気はない。 だが、その一言ひとことが、重く刺さった。 レオは沈黙を守った。 だが瞳は、決して逸らさない。 「……殿下。お言葉ですが、私はリュシアン様の過去をすべては知りません。 けれど、“今の彼”の弱さも、強さも、私がすべて見ています」 一歩も引かない声。 「君は、リュシアンを“弟君”と呼ぶ。 私は、リュシアンを“弟”と呼ぶ」 声に感情が滲んだ。 「立場でも、誓いでもない。“愛”だ。 私は――家族として、彼を誰より愛している」 レオはその言葉を黙って受け止めた。 そして、静かに、ただ一言。 「……では、殿下は彼を“愛している”が、 私は、彼を“手放せない”と申し上げましょう」 その瞬間、ふたりの視線が火花のように交錯する。 沈黙。 そして―― 扉の向こうから、小さく寝返りを打つ音がした。 レオが微かに顔を上げる。 セシルもふと扉の方を見る。 互いに声を潜めて、視線を戻す。 「……彼を起こすつもりはないよ。 けれど……このまま引き下がる気も、ない」 「その覚悟、しかと承知しました」 ふたりは睨み合ったまま、声もなく夜の沈黙へと溶けていく。 この勝負に、今夜の決着はつかない。 だが――始まったのだ。 “王子をめぐる戦い”が、静かに、確かに。

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