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第7話 弟の愛が重すぎて見えなくなりました①

なんか知らないけど、知らないうちに俺は死んでたらしい……。 気づいたら視界は真っ白で、体は妙に軽い。 あのスープに毒でも入っていたに違いない。 いや、入ってなきゃおかしい。あんな優しすぎるレオは絶対何か隠してると思ってたんだ。 刺殺、絞殺ときて毒殺か……。 これはもう、サラシも甲冑も意味がないということが分かった。 なんなら鎖帷子を着ていても、スプーン一杯の液体には勝てない。 戦場に立つ者として、なにか大切な教訓を得た気がする。遅すぎるけど。 *** 謁見の間、今日は来客も少なく、俺はようやく穏やかな一人の時間を取り戻していた。 ……のはずだった。 「リュシアン殿下、どうかこのアレクシス・ヴァルトハイムに、ほんの一刻でもお時間を賜れますか?」 攻略対象その3。第一騎士団副団長、アレクシス。 金髪碧眼、白銀の甲冑を纏い、まるで騎士道物語から抜け出してきたような男。 忠誠心の塊、敬語完璧、なのに目が合うたびに「お姫様を見るような目」をしてくるのが玉に瑕だ。 「……お呼び立てした記憶は、私には――」 「それでも、どうしても伝えたくて参りました」 (え、聞いてないんだけど!?呼んでないよ!?てか来ちゃダメなやつだろ!?) 思わず心の中で叫んだ。今、このやり取りを誰かに見られたら――特に、レオに。 アレクシスは静かに歩み寄ると、跪いた。 「これは、忠誠の証です」 そして、俺の手を取り―― 「!!?」 そのまま唇を寄せようとした、その瞬間。 「……ヒエッ、失礼します!!」 全力で手を引っ込めた。 「あ、いや、その、そ、そんな恐れ多い!私は……その、あなたの忠義に応えるような人間では……!」 全力の拒否と同時に、心の中では土下座級の叫び。 (頼む!今の行動、好感度ダウン判定であってくれ!!!) しかしアレクシスは―― 頬を紅潮させ、感動したように跪き直す。 「殿下……なんとご謙遜な……。このアレクシス、心を奪われました。そのお心こそ、我が剣を捧げる理由……!」 (いや、好感度判定どうなってんの!?心どころか、命を奪われるんだよ、こっちは!!!) 心の中で叫びながらも、顔にはうっすらと微笑を貼り付け、なんとかその場をしのぐ。 だがこの「はにかみ笑顔」がまた、アレクシスの好感度を爆上げさせる火種となるのだった……。 *** 執務室の扉が、音もなく開いた。 「兄さん、お茶をお持ちしました」 「わ、わざわざありがとう、レオ。今日は休んでてもよかったのに」 「……兄さんが、アレクシス様と長くお話しされていたので、喉が渇かれているかと」 「……っ!」 まるで監視されてたかのようなタイミングに、リュシアンの背筋が凍る。 (大丈夫だ、まだ、アレクシスとのフラグは立っていないはず……たぶん) レオは静かに紅茶を置き、微笑む。 「……兄さんのお体を気遣うのも、執事の役目ですから」 (え? ええ!? しれっと毒を盛ったのはどちら様でしたかね??) 紅茶を口にしようとした、その時―― 「リュシアン殿下、ご無礼を承知で、拝謁を願えますか!」 ……また、来やがった。 部屋に踏み込んできたのは、完璧な所作のアレクシス。 黄金の髪に碧眼、今も眩しいほどの甲冑姿だ。 「先ほどは突然の訪問、誠に失礼を……。あの後、殿下のお姿が頭から離れず――」 「いや、あの、本当に気にしなくていいからね!?あれはたまたま、で……!」 (ヤバいヤバい、レオが見てるって……!) 「……殿下の御手に触れたその時、誓いは新たになりました。私は、殿下の剣であり盾です」 「あ、あの、申し訳ないが、今は弟と、その、大事な話をしているところなので……帰ってくれないかな?」 アレクシスは一瞬、はっとしたように瞬きをした。 「……弟君、でございますか」 「そうだ。話が済んだら、こちらから連絡する。だから今は……」 「……殿下……!」 感極まったような声と共に、アレクシスが片膝をついた。 「ご自身のご公務の合間を縫い、ご家族との絆を大切にされる――そのお心の清らかさ、まさしく王の器……!」 (だからなんでそうなるんだよ!? ぜったい好感度の上がり方バグってるってこの人!!!) レオは無言のまま、俺とアレクシスの間にそっと立った。 「……兄さんは、お疲れのご様子です。これ以上の謁見は差し控えるべきかと」 「それは、殿下のお考えでしょうか?それとも、あなたの独断ですか?」 アレクシスが穏やかに問い返す。が、視線にはわずかに警戒の色が宿っていた。 レオも微笑を崩さないまま、ひとこと。 「忠義を語るのであれば、主君の体調をまず案じるべきです」 「……その忠義に、私情が混じっていないことを、祈りますよ。第四王子殿下」 ぴし、と空気が凍る。 (やめろ……!!二人ともやめてくれ……!!胃がキリキリする……!!!) 俺が止めるより早く、レオが一歩前へ出た。 「私情であれば、兄さんに触れようとしたあなたの行動こそ、問われるべきでしょう」 「ではお聞きしましょう、あなたは、殿下に対しどれほどの距離を保っているのです?」 「私と兄さんの関係に踏み込まれるおつもりですか?」 「あなたが“踏み越えていない”という保証があるのならば、こちらも遠慮しましょう」 もう無理だ。俺は机に突っ伏した。 「お願いだから……もう、帰って……」 できるだけ優しく、でもはっきりと、そう伝えたつもりだった。 だがアレクシスは、まるで祝福の言葉でも聞いたかのように頬を染め、再び跪く。 「……殿下の、儚くも慈愛に満ちた拒絶……なんと尊い……!」 (ちがう、違うちがうちがう!!) 俺はレオに刺される前に死ぬかも知れない。 いや、それより先に胃に穴が空く。マジで。 レオの視線が、刺さる。物理じゃないけど、物理より怖い。 *** 別の日。 玉座から響いた王の声に、俺は目を剥いた。 「――よって、第三王子リュシアン殿下には、本年の王都視察任務を命ずる」 「……わ、私が……?」 「公務の一環であると同時に、民の声に直接触れる貴重な機会。殿下には、その才覚を以って民を導いていただきたい」 (無理無理無理!才覚とかない!導けるわけない!というか、誰か俺が一般人寄りの王子って忘れてない!?) 俺が真っ青になっていると、追い打ちのごとく侍従が告げる。 「なお、護衛として第一騎士団、副団長アレクシス・ヴァルトハイムが随行いたします」 (うそでしょ!?) その瞬間、侍従の後方で一礼していた銀鎧の男が進み出る。 「殿下の御身を、命を懸けてお守りいたします」 整った顔立ち、柔和な笑み、まるで絵画のような礼儀正しさ。 ――が、彼が「姫を見るような眼差し」を俺に向けるたびに、寿命が削れていくような気がする。 そして、さらにもう一人。 「……父上、俺も同行させていただけませんか?」 場が静まり返る中、黒衣の青年が一歩前に出る。 長い黒髪を結い、控えめに伏せた双眸――レオだった。 「兄さんはまだ、謁見を終えたばかり。長旅と人混みは、体調を崩しかねません。俺が傍で支えれば、多少は負担も和らぐかと」 冷静な口調の裏には、 アレクシスを真っ直ぐに射抜くような、無言の敵意があった。 (え、待って……この組み合わせ、絶対ヤバいやつじゃん……!) 王子、騎士、執事見習いという謎の三人組が馬車を降り、王都の大通りを歩き出す。 「ようこそ、リュシアン殿下――今年もよろしくお願いします!」 商人や市民が次々と声をかけてくる中、俺は笑顔を貼り付けつつ内心で叫んでいた。 (フラグ立ちませんようにフラグ立ちませんようにフラグ立ちませんように……!!) 「殿下、足元に段差が。お手を」 アレクシスがさらりと手を差し出す。 「あ、あの……一人で大丈夫です――」 そのとき、もう片方の腕をそっと取る手があった。 「兄さん、俺が支えます。慣れない石畳ですから」 レオがアレクシスより先に一歩進み、俺の肘をさりげなく引いた。 「……レオ、ありがとう。でも別にそこまで――」 「怪我でもされては困りますから」 低い声。笑っているのに、目がまったく笑っていない。 アレクシスは静かに手を引き―― 「……殿下は、私の気持ちを、試されたのですね」 「……えっ!?」 「たとえ他の方をお選びになるとしても、私は、なお剣であり続けるべきか。そう――今、殿下に問われたのだと」 「…………」 アレクシスは感極まったように微笑むと、ひざまずき、俺の足元に手を当てた。 「――私は答えます。この命の限り、殿下の盾であり続けると」 (……誰か早くデバッグ班呼んで……!?) 視察の合間、賑やかな市場通りで花屋に立ち寄る三人。 「殿下、この“光草の花”、お似合いかと」 アレクシスが白く微光を放つ花束を差し出す。 「こ、これ……私に?いや、私はその、花とかは……あまり興味が……」 「よく似合うと思ったので。……いえ、差し上げたいというより、贈らせていただきたく」 軽く断るつもりだったのに――返ってきた言葉が、思いのほか重くて。喉に何か詰まったみたいに、俺は黙り込むしかなかった。 だがそのとき。 「……兄さん、その花、手が汚れる。俺が持ちます」 レオがすっと割り込むようにして手を差し出す。 「俺が預かっておきますね」 穏やかな口調。 そして、アレクシスの差し出した花束を、なんの躊躇いもなく手に取り――そのまま、何も言わず背を向けて歩き出す。 その手に、白い花はあった。 ――が。数分後、レオが戻ってきたとき、花はどこにもなかった。 「あ、あれ? さっきの花は……?」 「ああ、風で飛ばされたようです。……残念ですね」 笑顔のレオ。 けれどその手の指先には、茎を握りしめていた跡が赤く浮かび、かすかに湿っていた。 (ひぇ……っ) アレクシスはただ静かに、口元に手を添えて呟いた。 「……花の命は短くとも、その想いは消えません。私は、贈れただけで……幸せです」 「…………」 その横で、レオは静かに微笑んでいた。 その背後にだけ、ひと気のない空気と、かすかにちぎれた花弁が舞っていた。 今日、最後の視察場所は、教会に併設された孤児院だった。 孤児院「光翼の子ら(こうよくのこら)」は、王都の南区にひっそりと佇む石造りの建物だ。清貧な佇まいながらも、花壇には季節の花が整えられ、子どもたちの笑い声が風に乗って聞こえてくる。 「……なんか、思ったより明るいところだな」 敷居の前で、俺は小さく息をついた。 庭先では、子供たちが陽の光の中を無邪気に駆け回っている。 その様子をぼんやりと見つめているうちに、自然と目元が緩んでいた 「民が笑顔でいられるのは、殿下のおかげです」 アレクシスが少し離れた位置から、眩しそうにその横顔を見つめていた。 「いや、私は何も……この孤児院は教会の保護下で、昔から――」 「殿下がこうして視察に来られることが、子らにとってどれほど誇らしいか……」 アレクシスは膝をつき、小さな女の子に目線を合わせて頭を撫でた。 「殿下は、私たちにとって“光”なのです」 (また好感度上がってる!?えっ、何もしてないんだけど!?) 叫びたくなる衝動を、俺は小さく息を呑んで押し殺した。 そのとき―― 「お兄ちゃん!」 振り返ると、小さな女の子が両手で何かを抱えてこちらへ走ってくる。 その後ろから、他の子どもたちもわらわらとついてきた。 「これ、作ったの! みんなで!」 差し出されたのは、白くほのかに光る“光草”で編まれた花冠。 「……これを、私に?」 「うんっ! 王子さまには、ぜったい似合うって思って!」 「……ありがとう。とても、嬉しいよ」 そう言ったときだった。 アレクシスが静かに一歩、俺の前に出た。 「殿下、お許しを」 その声に気づく間もなく、アレクシスは跪き、花冠を丁寧に手に取り―― まるでそれが当然であるかのように、そっと、俺の頭に載せた。 「……光草は、心の清らかな者のそばでこそ、より強く輝くと申します。 殿下には、きっと、よくお似合いかと」 手つきは優しく、言葉は穏やかだった。 「そ、そんな……」 思わず手を頭にやった。 髪に載った花冠は軽くて、けれど妙に意識してしまう。 「へ、変じゃないかな……」 ちらりと横を見やると、レオがこちらを見ていた。 表情は変わらないのに、なぜか視線が痛い。 気まずさを拭うように、俺はぎこちなく笑った。 「……な、なに? やっぱ変……?」 自分でも、なんでそんなことを聞いたのかわからない。 ただ、レオが少し黙っていた気がして、つい。 レオは目を伏せて、小さく首を振った。 「……いえ。とても、お似合いです」 その声に、なぜだか少しだけ、胸がチクリとした。 言葉自体は優しいのに、何かが刺さるような―― そんな、やり場のない痛みが、心の奥にゆっくり沈んでいく。 それでも、子どもたちは無邪気に笑っていた。 「かわいい!」「ほんとに王子さまみたい!」と歓声を上げながら。 俺はもう一度、レオに視線を向ける。 そのときのレオの手が、強く握られていたのに気づいたのは、ほんの一瞬のことだった。 何をしても好感度が上がるバグ仕様のアレクシスと、フラグが立った瞬間にヤンデレ化するレオとの視察は―― 胃痛に始まり、胃痛に終わった。 ……いや、正確には「胃薬を片手に、ひたすら胃を押さえながら魂を削った視察」だった気がする。 もう二度とこのメンバーで行きたくない。

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