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第8話 弟の愛が重すぎて見えなくなりました②※視力喪失あり
近衛騎士団長――
この国の軍制において、国王直属の最上位にあたるその地位に、新たな名が刻まれることになった。
アレクシス・ヴァルトハイム。
若くして騎士団の中核を任されてきた彼は、忠誠と実績を積み重ね、ついに王都における最上級の栄誉に辿り着いた。
……あまりに順当で、あまりに美しい昇格。
いや、驚くような話じゃないのは分かってた。
あいつの実力は王都中が認めてるし、人望だって厚い。
何より、あの騎士らしい佇まいと完璧な容姿。
まるで、少女向けの宮廷恋愛劇から抜け出してきたような男だ。
……そのアレクシスが、俺にだけあからさまに忠誠(という名の恋心)を滲ませてくるのが、唯一の問題なんだけど。
「本日正午、任命式が執り行われます」
そう告げた秘書官の言葉に、ため息を飲み込んだ。
任命式——それは儀礼と権威を重んじる王国において、最も格式高い式典のひとつ。
任命を下すのは当然、王家の血を引く者。
つまり、騎士団を監督する俺の出番ってわけだ。
式典の場で、俺はアレクシスの前に立ち、「よくぞ尽くしてくれた」と讃える。
彼は膝をつき、剣を捧げ、忠誠を誓う。
そのすべてが、まるで——
(まるで公開プロポーズじゃないか)
軽く眩暈がした。いや、ほんとに勘弁してほしい。
こんな劇的イベント、誰が得するんだ?
――いや、わかってるよ。
『ラストラビリンス』のプレイヤーとしてなら、アレクシスルートはレオの次に推しだった。スチルも最高だったし。イベントCGの破壊力、今でも忘れてない。
でも、これはリアル。
俺の命が懸かってる現実世界なんだよ。
俺は死ぬし、レオは病むし、国は微妙にざわつく。誰も幸せにならないんだよ、こんなの。
「……もうこれはレオEND不可避なのでは……」
ぽつりと漏らした独り言に、側仕えが怪訝そうに眉を動かす。
誤魔化すように咳払いして、そのまま視線を逸らした。
(どうせ、どこかでレオは見てる)
監視、なんて可愛いもんじゃない。
あいつの眼差しはいつも鋭い。少しでもアレクシスとの距離が縮まったと見れば、即座に反応する。
笑顔で、けれど目の奥は冷たいまま——
「兄さん、お加減でも悪いのですか?」なんて言われたら、俺の心臓が本当に止まる。
……お願いだから、アレクシス。
今日は調子に乗らないでくれ。
マントを翻しながら「殿下の剣となり、盾となり、人生の伴侶となり!」なんて叫ばれた日には、俺の命がいくつあっても足りない。
「いっそ、アレクシスの甲冑の中にでも隠れさせてくれよ……」
そんな馬鹿げた妄想が、ふと脳裏をかすめる。
だが、あながち冗談とも言い切れないのが、この状況の怖いところだ。
俺の人生は、BLゲーかサスペンスか、どっちかにしてくれ。
――そう、切に願いたくなる。
式典が行われるのは、王城の正殿。
高くそびえる大理石の柱、天井から垂れ下がる金糸の幕。荘厳すぎて足がすくむのも当然だと思う。
ましてや、その中心に立たされるのが俺となれば、話は別だ。
(くそっ……背筋が痒い……視線、絶対こっちに集中してる……)
壇上に立つと、思った通り。
目に見えないプレッシャーがぐっと肩にのしかかってくる。
列席する貴族たちの視線は、称賛と警戒が半々くらい。
まあ、俺が「第三王子にして軍事系王族」として今後どう動くか、って興味本位も混ざってるのは分かってる。
けど、そんな中でも一番気になるのは、今、正面から歩いてくる男の姿だ。
アレクシス・ヴァルトハイム。
騎士団副団長にして、王都最強の槍使い。
鍛え上げられた体躯に、黒銀の礼装甲冑。
いつも以上に磨き抜かれたそれが、式場の光を反射して眩しいくらいだ。
(いやいやいや、やりすぎでしょ。ビジュアル仕上げすぎなんだよ……!)
しかも、彼の顔はいつも通り無表情なのに、俺の前に立った瞬間――まるでお姫様でも見るかのような、柔らかな目を向けてきた。
(うわ、来た来た来た。そういう“俺にだけ甘い”顔やめろって。寿命が縮む)
会場が静まり返る中、彼は片膝をついた。
その姿勢は騎士として完璧だった。そう、“騎士として”なら。
「第三王子リュシアン殿下。
この身、この剣、この命のすべてをもって、貴殿に仕え、王国を守護することをここに誓います」
(セリフは正統派なのに、視線だけが真っ直ぐ“俺個人”に向いてるのおかしいでしょ!?)
まるで恋文でも読まされてる気分だった。
周囲の空気がざわりと揺れる。空耳じゃなければ、数人が息を呑んだ音も聞こえた。
やばい。 これ、絶対「騎士×王子」本が出るやつだ。王宮内の同人誌界隈に火がつく。レオが焚書する。
だけど、俺は第三王子。
壇上の立場として、言うべきセリフは決まってる。
「その忠誠、しかと受け取った。アレクシス・ヴァルトハイム、そなたを近衛騎士団長に任ずる」
言い終えたあと、アレクシスが頭を垂れたまま、ひと言、低く告げた。
「この身が朽ちるその日まで、殿下の傍に」
(あ〜〜〜もう!!!だからやめろって言ってんのに!!!)
――その瞬間、壇上から遠くない場所に、静かに、ひんやりとした殺気が滲んだ気がした。
(……レオ、いたんだなやっぱり)
マントの下で背中に冷や汗をかきながら、俺は心の底から願った。
次のイベントは、もっと平和なやつでありますように。
***
数日前、アレクシスの昇格式が終わって、ようやく少し日常に戻れた気がする。
とはいえ、俺の日常って、いつレオに刺されてもおかしくないデスゲーム仕様の王宮暮らしなんだよな。
せめて朝くらいは穏やかに過ごしたいと、背中を伸ばして窓際へ向かう。
「うーん、今日もいい天気だなー……」
思わず声に出してそう呟く。
朝の光がカーテン越しに柔らかく差し込んで、思わず目を細めた。風も心地いい。
こういうときはコーヒーでも淹れて、ぼーっとするのが一番――
……って、あれ?
視線が、ふと止まった。
窓のすぐ脇、壁のところ。俺が飾ってたはずの花冠のドライフラワーが、ない。
「……え?」
思わず二度見した。
この前、孤児院に視察へ行ったとき、アレクシスが俺の頭に乗せたあの花冠。
気まずさをごまかすように笑って受け取って、部屋に戻ってからドライフラワーにして、あそこに飾ったんだ。
ちゃんと、覚えてる。
針金の細い輪っかに、白と淡い紫の花。バランスを整えるのにちょっと苦労したけど、窓からの光に当たってるときが、一番きれいだった。
他意なんてない。ただ、子どもたちが作ってくれたものだから大事にしてただけ。
アレクシスからもらったからってわけじゃない。
なのに――なくなってる。
風で飛ぶような場所でもない。誰かが掃除中に落とした?……にしては、跡形もない。フックごと消えてる。
「……まさか、レオ?」
いやいや、証拠はないけど。
でも、こういう“妙に静かな消失”って、あいつの得意分野じゃないか?
――そして、背後からふいに声がした。
「おはようございます、兄さん。今日はよく眠れましたか?」
背中がひやりとした。
「……あ、ああ。レオ……?」
「はい。お顔の血色が優れませんが、大丈夫ですか?」
レオはいつものように微笑んでいた。
寝癖もなく、完璧に整った服装。朝の支度を終えたばかりのように。
俺は、壁際をもう一度見た。
昨日まで、確かに飾ってあったはずの花冠のドライフラワー。
小さな子どもたちが、小さな手で丁寧に編んでくれた、あの――
「レオ。ここに掛けてあった花冠のドライフラワー……知らないか?」
「……いえ。何のことでしょう?」
レオの目が、にこりと笑う。
けれど、その奥のどこかが、ぞっとするほど静かだった。
「兄さんは、ああいう飾り、好きなんですか?」
「いや……まあ、子どもたちが作ってくれたから、捨てられないだけで」
「……それなら、良かった」
レオはそう言って、微笑んだ。
けれどその手の指先に、赤い圧痕が見えたような気がした――何かを、強く握っていた跡。
(まさか……いや、まさか)
笑って返すことができなかった。
机の上の空白だけが、重たく感じられた。
「ご朝食の用意ができています。すぐにお連れしますね、兄さん」
そう言って、レオは一歩、近づいてきた。
足音は――なかった。
***
…………。
…………。
あれ……?
俺どうしてたんだっけ……?
記憶が、ところどころ抜け落ちてる。
確か、レオに案内されるまま朝食をとって……それから……。
それから……なんだ?
だめだ、頭が霞んでる。
思い出そうとすると、痛みのようなものが、こめかみの奥から滲んでくる。
なにも――見えない。
……目が、開かない?
いや、それどころか……まぶたに何かが、きつく巻きつけられている。
布か……包帯……? いや、もっと……重い。
視界がなくても、確かにわかる。
これはただの覆いじゃない。
この奥で、もう“目”としての機能を果たさない何かが、自分の顔に存在している。
「……レオ……?」
乾いた声が、喉の奥から漏れた。
「おはようございます、兄さん」
すぐ近く。柔らかく、落ち着いたトーン。
いつもと同じ、穏やかな声なのに――どうしてこんなに、怖い。
「まだ、動かないほうがいいですよ。
目を使う必要は、もうありませんから」
意味が、わからなかった。
わかりたくもなかった。
「なにを……したんだ、レオ……俺の……目……」
震える声で問うと、彼はくすりと笑った。
「兄さんの瞳は、とても綺麗だった。……だから、独り占めしたくなったんです。
でも、兄さんの目があれば、他の誰かを見てしまうかもしれない。
――だから、もう見なくていいようにしてあげました」
言葉の意味はわかるのに、理解が追いつかない。
「兄さんは、俺の声だけ聞いて、俺の手の感触だけ感じていればいい。
大丈夫。全部、俺がやってあげますから。
ごはんも、お風呂も、お着替えも、眠るときも。ずっと、俺が、そばにいますから」
優しい声だった。
何の曇りも、迷いもなく。
本当に大切な人を想って語りかけるような……そんな声。
なのに、全身が震えている。
「やめてくれ……レオ、こんなの……こんなの、狂ってる……!」
「そうですね。
でも、“狂ってる”のはきっと、俺じゃなくて、世界のほうですよ。
兄さんが他の誰かを見て、笑って、好きになる。
そんな理不尽が、どうして許されると思いますか?」
彼の指が、俺の頬を撫でた。
涙か、汗か、わからない何かを拭うように、そっと――優しく、酷く、絶望的に――。
「俺だけが、兄さんの隣にいればいい。
――兄さんはそれで、幸せなんですよ」
その指先は、やけに温かくて。
拒絶しなきゃいけないとわかっているのに、
どこかで俺は、安心してしまいそうになる。
怖い。
怖くて仕方ないのに。
……また、だ。
この感覚。
レオの手。声。甘い囁きと、引き返せない痛み。
何度目だろう。
同じ夢を見ている気がする。
同じ終わりに、またたどり着いてしまった気がする。
分かっていた。
レオの「愛」は、優しいだけじゃない。
包まれるようで、縛られて、やがて壊される。
それでも、俺はまたここに戻ってきてしまう。
このルートを、この感情を、何度も――何度でも。
もしかしたら、俺のほうこそ狂ってるのかもしれない。
怖いと思いながら、どこかでまた期待してた。
「今度こそは」なんて、都合のいい幻想を。
だけど駄目だった。
レオは変わらない。
愛し方を知らないまま、俺だけを求め続ける。
そっと触れたレオの唇が、頬へ、耳へ、そしてゆっくりと首筋へと伝っていく。
ひとつひとつ、確かめるように、慈しむように。
けれどその動きには、抗いがたい執着が滲んでいた。
くすぐったさよりも先に、背筋を這う冷たい感覚。
わかっている――これは愛なんかじゃない。
優しさの皮をかぶった檻だ。
けれど。
「……兄さん、やっぱり、柔らかい……」
吐息まじりの声が、耳元に落ちた瞬間、喉が震えた。
怖い。
けれど、それ以上に、熱い。
レオの唇が、ゆっくりと首筋をなぞる。
吸いつくように、肌を味わうように。
まるで、長年乾いていた渇きを潤すかのように――深く、濃く。
触れられるたびに、思考が削れていく。
レオの手の温度、唇の湿度、それだけが世界のすべてになる。
(駄目だ、また……)
意識がぼやけていく。
拒絶の言葉は、喉元で凍りついて出てこない。
代わりに、こめかみから脈打つように、静かな快楽が流れ込んでくる。
レオが囁く。
「兄さん、ずっと一緒にいましょうね。もう、誰にも邪魔させませんから」
口づけは、耳朶の裏をかすめて、喉元に沈む。
まるで、永遠の契約の印を刻むかのように。
そのたびに、自分が“こちら側”へと堕ちていく音がする。
もう、元には戻れない。
そして俺はまた、
抗えない。
逃げられない。
彼の声と手に触れた瞬間、すべてがどうでもよくなる。
(この愛が、俺を壊さない形で続きますように)
そんな祈りが浮かんだ瞬間、それがもう 狂気の一部なのだと気づく。
そして、もう一度――沈んでいく。
――俺は、レオに……堕ちていく。
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