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第10話 眠れる蝶は弟の夢を見る①

これは、何度目のループなのだろうか。 もう、とっくに数えるのはやめた。 でも——まずは、状況確認だ。 体は自由に動く。拘束なし。 視界良好、閉じ込められてない。天井の彫刻も見覚えがある。 ……屋敷の、自室。 差し込む光の色からして、今は——夕方。 「やった……! 今回は“あのループ”じゃない!!」 ベッドから跳ね起きて、鏡に駆け寄る。 自分の目を見つめる。 ——昔のままだ。濁ってない。 感情も、記憶もある。レオへの想いも、ちゃんと……ある。 ──初めて出会ったときの声が、ふと蘇る。 「……レオといいます。よろしくお願いします……」 「俺はリュシアン、よろしくね。レオ」 (何度殺されたっていい。 何度忘れられたって、記憶を奪われたって。 俺は絶対、お前とのラブラブルート、諦めたりしないからな……レオ!!) *** 王城の大広間には、きらびやかな装花と無数のシャンデリアが天蓋の星のように瞬いていた。 磨き上げられた大理石の床に反射する光は、舞踏会に集った貴族たちの衣擦れとともに揺らめき、 どこか現実感を削ぎ落とす夢のような空間を作り出している。 その夜は、隣国ラザール王国からの賓客を迎える舞踏会だった。 貴族たちは社交に夢中、侍女たちは浮かれてソワソワ、そして主役――いや、問題児――の登場は目前だった。 (……来るな。来るな。あー来た。) 大股で悠々と歩いてきたのは、攻略対象その4。 褐色の肌、精悍な顔立ち、抜群のプロポーション。 そしてなにより――性格が一番めんどくさい男。 ジハード=アラ=ラザール殿下。 ラザール王国の第一王子にして、原作ゲーム内では「俺様×一途×超執着型の修羅場系」ルート担当。 テンプレすぎて逆に笑えてくる。いや、わかってたけど。 頬が引きつるのを必死にごまかして、どうにか乾いた笑みを作る。自分でも情けない顔だと思いながら。 (……これ、“逃亡フラグ”立ってない? というか、刺されるのでは……?) 目の前の男――ジハードは、典型的な「顔が良くて権力もある、ついでに口も上手い」タイプ。 その琥珀の眼差しで見つめられるたび、背筋より先に胃がキリキリする。 (レオ……どこにいる? 見てないよな? いや絶対見てるよな?) ジハードはにこやかに、当たり前のように距離を詰めてくる。 「……君が、この国の“奇跡の白薔薇”か。噂に違わぬ美しさだ」 出た、テンプレ。顔が良いと何を言ってもそれっぽく聞こえるからずるい。 さらに、軽く腰を取られ、自然な流れで手を取られる。いやいやいや、自然すぎて逆に怖い。 「ダンス、一曲付き合ってくれるかい?」 (……おなか痛い……) 「この国じゃ、ペアは“心の通った相手”と踊るもんなんだろう? 性別? 関係ないよ──むしろ、君が良すぎて困る」 (まずい……。やはりこのタイプ。俺は苦手かもしれない……) まるで選択肢のないイベント。 レオがこれを見ていたら、笑顔で刺してきそうな光景だ。 ジハードに誘われ、周囲の注目を集めながらダンスが始まる。確かにイケメンだし、優雅だし、いい匂いするけど、ダメだ。推しの気配が背後にある。 ──そう、背後の壁際。 ワイングラスを手にして立っているレオが、無表情のままこちらを見つめていた。 目が笑っていない。 というか、笑ってすらいない。 (あっ、あの目はヤバい。知ってる。102回見てる) 焦りまくる俺の手を、ジハードがそっと包み込んできた。 「緊張してる? でも、大丈夫。こういう場での立ち居振る舞いは、僕の得意分野さ」 (得意分野って、笑顔で言うな。今、俺の胃が得意分野外だって叫んでる……!) 「は、はあ……」 何気ない会話のはずなのに、王子の目線がずっと俺の瞳に刺さってくる。逸らさない。まっすぐ、真顔。 ……すごい。これが噂の、視線の暴力。 「君の手、華奢だね……こんなに壊れそうなのに、ずっと王宮で笑っていられるなんて」 さらりと囁かれて、思わず目を逸らした。こっちは心臓が壊れそうなんですけど……! (死の匂いがする……!これはマズい……!!) ──そして、曲が終わる頃だった。 すぐ背後に、あの気配が忍び寄ってきたのがわかった。 「……失礼します。兄さん」 ゾッとするほど静かな声だった。 振り返らなくてもわかる。レオだ。 彼はジハードの手から、俺を剥がすように引き寄せる。けれど、あくまで礼儀正しく、完璧な態度で。 「王子、遠路お越しいただきありがとうございます。ですが、兄さんは体調が優れませんので……これ以上の無理はさせられません」 「……ふうん?」 ジハードが、目を細めてレオを見た。 「この国では“弟”が“兄”の許可を代弁できるのかい? それとも……あなたのその言い分、独占欲ってやつ?」 (ちょっと待って、やめて、やめよう?ね?俺を挟んで火花散らすの禁止しよ?) 場の空気がピキリと張り詰めたのが、肌でわかる。 レオの口元が、静かに引き結ばれる。 「兄さんを、どうこうできるとお考えでしたら……ご忠告いたします。──あなたには、それを“担う資格”がありません」 「おや。弟殿、随分と攻撃的だね。まるで……誰にも触れさせたくないみたいじゃないか」 ジハードは穏やかに笑っている。けど、その瞳の奥にあるのは、完全に獣。挑発、真っ向から受けてる。 (やめてーーー!?サンドバッグは俺の精神なんですけど!?!?) 「兄さん、少し休みましょうか」 レオが低く囁き、俺の手を取る。 ああもう、これはレオの怒りゲージが天井を突き抜けてるやつだ。 「……う、うん……」 控えの間に連れ出されようとした、そのとき。 後ろから、ジハードの声が追いかけてきた。 「君に本気で惚れたら……僕は、もっと奪いに行くよ?」 (あ……これ、詰んだね……?) 俺は内心、涙を流しながら、レオに手を引かれて控えの間に来ていた。控えの間といえど、さすが王宮、ベッドや調度も整えられている。 (これはもう……刺される未来が見える。だが! 今こそ行動だ!) 俺は腹をくくり、ぐっと身を乗り出す。 レオの胸に手を当て、思いきり押し倒す。 (一か八か、押し倒して“主導権はこちらにあります”アピールだ……!!) 「──レオ! お、俺はお前と二人きりになりたかったんだ!」 レオの背中がベッドに沈む。僅かに目を見開き、ほんの一瞬、驚いたような表情。 だがすぐに、あの端整な顔がふわりと笑みを浮かべる。 「兄さん……今日は、積極的なんですね」 震える俺の手を、レオがそっと取る。 そしてその手の甲に、頬をすり寄せた。まるで愛玩動物のように、優しく。 「嬉しいです。兄さんに、求められてるって……」 (え、なにこの神スチル……。スマホの待ち受けにするしかないやつじゃない……?) (押し倒して正解だった……!?もしかしてレオって“構われたい系ヤンデレ”だった……?) 「兄さん……」 その声に油断しかけたときだった。 レオの手が、するりと俺の腰にまわる。そして、ほんの軽い力で── 「えっ──わっ……!? ちょ、ちょっと待って!?」 「ふふ、どうしました? 今夜は“兄さんが積極的”なんですよね?」 気づいたときには、逆にベッドに押し倒されていた。 俺の体を覆いながら、レオが喉元でくすりと笑う。 「……主導権を渡すのは、もう少しあとでいいですか?」 その瞬間、唇が触れた。 柔らかくて、けれど感情のぶつかる、熱のこもったキス。 俺は呆然として動けなくなっていた。 でも、レオの目がすぐそこにある。 白銀の瞳に、はっきりと欲が滲んでいた。 「兄さん。今から、俺だけのものになってくれますか」 耳元で囁く声は甘くて、息がかかる距離で……ずるい。 「や……やさしくしてくれるなら、いいけど……」 「もちろんです」 レオが微笑んだ。その笑顔はとても綺麗で、ほんの少しだけ怖い。 「……兄さんを、こんなふうに押し倒せるの、ずっと夢だったんです」 気づけば、俺はベッドに押し倒されていた。 この体勢、逃げられない。けど── (……なんか、悪くないかも) 彼の指が髪を撫で、額にキスが落ちる。 ゆっくりと、けれど決して後戻りできない、そんな空気に包まれていった──その瞬間。 ドン、と音がして、扉が叩かれる。 「失礼します! 陛下より、お戻り次第すぐに報告をとの伝言が──」 「……っ」 ベッドの上で、レオの笑顔が凍った。 次の瞬間── 「……チッ」 聞いた。 今、確かに、レオが舌打ちした。 あの冷静沈着、無表情なレオが……! 「……分かりました。後ほど伺います。下がってください」 「はっ、失礼しました!」 外が静かになって、室内に沈黙が落ちる。 (や、やばい。レオ、絶対めっちゃ不機嫌になってる……!) でも、レオは何も言わず、ゆっくりと身を起こした。 ベッドに座ったまま、俺の顔をじっと見つめて──その手で、俺の髪を撫でた。 「……兄さん、続きはまた今度です」 低く、甘く、囁くような声。 その声に、なぜだか心臓が跳ねた。 「“誰にも邪魔されない場所”で、二人きりになれた時に」 そう言って、レオは立ち上がった。 けれどその背中からは、とても冷静とは思えないほどの熱気が滲んでいた。 (──やばい。これは、次は絶対逃げられないやつだ……!) *** 舞踏会から数日後―― 国王陛下に宛てて、ジハード殿下より感謝と親善の書状が届く。 内容の主旨はこうだ。 「貴国のもてなしに深く感謝する。我が国でも同様に心を込めて歓待させていただきたく、ぜひ“白薔薇のご令息”リュシアン殿にご訪問賜りたい」 書面上は外交儀礼そのものだが、誰が見ても“名指し”での個人招待。 しかもジハードは書状の最後に、 「我が国の宮廷舞踏会にも、ぜひご参加を。 今度は、私があなたを迎える番です」 という直筆メッセージを添えてくる。 筆跡まで優雅で、やたらフェロモン高い。 当然、レオはそれを見て無言に。 陛下は、朗らかな声で言った。 「よい機会だな。リュシアン、お前もそろそろ外交の場を経験してみるとよい」 冗談めかした笑みに、周囲の臣下たちが和やかに笑う。 でも、俺は笑えなかった。 すぐ隣で書状に目を落としたレオが、わずかに眉を寄せる。 そして、誰にも聞こえないように、俺の耳元でそっと囁いた。 「……ご安心ください。どこへ行こうと、必ずお傍にいます。殿下の毒牙には、決して触れさせません」 耳に触れるほど近い声に、思わず背筋が震えた。 それは慰めなんかじゃなくて――まるで、予告のようにさえ聞こえた。

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