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第14話 ループの真相エピソード②※R描写

月明かりだけが静かに二人を照らしていた。 ベッドの上、俺は兄さんの横顔を見つめている。いつもと同じ柔らかな表情。 だけど今夜は、目の奥が揺れていた。 少し怯えてるようで、でも――受け入れようとしてくれてる。 「兄さん……」 そっと指を這わせると、彼の肩がぴくりと震える。 触れるたびに、柔らかく吸い込まれそうになる。 その肌も、表情も、声も――全部、俺の理性を奪っていく。 最初は、ただ抱きしめるだけでよかった。 震える身体を温めて、唇をそっと重ねて。 でも、兄さんが俺のキスに応えてくれるたび、奥底の欲がゆっくりと目を覚ましてしまう。 「……ふ、ぁ……っ、レオ……」 その声がたまらなかった。 艶を帯びて、苦しげで、でも確かに俺を呼んでる。 もっと触れたい、もっと愛したい―― その衝動が、静かに、でも確実に暴れていく。 「無理……そんな顔、されたら……止まれなくなる」 シャツのボタンを外すと、滑らかな肌が露になる。 指先でそっと触れれば、びくりと反応するその様に、喉が鳴った。 俺の唇が、喉元から鎖骨へ、滑らかに這い降りる。 まるで形を確かめるみたいに、ゆっくり、やさしく、でも離れられないほど深く。 指先でゆるやかになぞる胸元、敏感に跳ねる身体。 すべてが俺を煽る。 兄さんの反応が、熱が、俺を煽り狂わせる。 「んっ……ぁ、あっ……や……っ、レオ……」 切なげに漏れる声が、耳腔をくすぐる。 俺の手が、脚の奥を撫でると、彼は無意識に腰を浮かせた。 ……ダメだ、もう、止められない。 「ねぇ、兄さん……どうしてそんなに俺を惑わせるの……? もう、触れるだけじゃ足りない」 ふるふると首を横に振る仕草も、俺を誘惑するようで。 だから、愛撫はどんどん深くなっていく。 何度も、優しく、何度も、しつこく。 指先でとろける場所を探りながら、 俺の唇は耳元に触れて、熱を流し込むように囁いた。 「兄さんがこんなになるの、俺しか知らないよね……? 他の誰にも、こんな顔、見せないよね……?」 答えなんて要らなかった。 だってもう、彼の身体が、何より雄弁に語っていたから。 「レオ……もう……だめ、あっ、だめぇ……」 声が裏返るたび、俺の愛撫は狂おしいほど滑らかに深まっていく。 与える快楽が、彼の心を溶かしていくのがわかる。 「好きだよ、兄さん。好きすぎて、壊したくなる……」 唇も、指先も、舌も、すべてを使って彼を貪る。 愛して、愛して、愛し尽くすように。 彼の肌は汗ばんで、指に絡むたび、より艶やかに感じられた。 まるで果実みたいに熟れて、もう俺を拒めない。 「……っ、レオ、……やっ、ん、やだぁ……」 「やじゃないよね?  だって……俺のこと、好きでしょ?」 耳元でささやくたび、彼の腰が甘く跳ねる。 愛撫だけでどこまでも蕩けていく姿が、可愛すぎて。 ――もう、ほんとに、壊してしまいたい。 でもまだ、愛したい。もっと。 「兄さん、好き。誰より、何より、……欲しい」 唇を重ねると、彼は泣きそうに笑って、俺の名前を呼んだ。 「……レオ……だいすき……っ」 その声に応えるように、俺は再び唇を落とした。 甘く、深く、狂おしいほどに。 吐息が絡まり、シーツが乱れていく。 彼の脚の奥に手を滑らせたとき―― ぴくりと跳ねる反応と、甘い吐息。 「ここ……、触れられるの、初めて……?」 尋ねると、兄さんはうつむいたまま、かすかに頷いた。 頬は真っ赤に染まって、全身が羞恥と戸惑いに震えている。 けれど、それでも逃げない。 「……レオなら……いいよ」 その言葉が、胸の奥を焼いた。 愛しさと、征服欲と、何より、彼が俺を“選んでくれた”という実感。 「ありがとう、兄さん……ちゃんと、優しくする。だから、怖がらないで……俺に、全部、任せて?」 そっと指を濡らし、彼の奥をゆっくりと探っていく。 柔らかく、でも初めての痛みを少しでも和らげるように、細心の注意で。 「……っ、あ、っ……ん、レオ……っ」 声が、吐息が、震えて重なる。 背筋を撫でるたび、繊細な身体が甘く反応して、 その指先の律動で、彼は次第に受け入れる形にゆるんでいく。 「……大丈夫。すごく、柔らかくなってきた」 何度も唇を重ね、キスで不安をほどくように―― そして、彼の膝の間に身体を落としたとき、兄さんはぎゅっと俺の手を握り返した。 「……怖い、けど……レオが欲しい……」 その言葉だけで、もう限界だった。 優しさを保つ理性が、心ごと崩れていく。 彼の腰を支え、少しずつ奥へと繋がっていく。 熱と熱が絡まり、息が止まりそうなほどの一体感。 「……あ、っ……ん、レオ……っ、んあぁ……っ!」 「……兄さん……すごい……中、きつくて……あったかい……。全部、包んでくれてる……っ、すごく……気持ちいい……」 くちづけながら、奥へ、深く、さらに深く―― やさしく愛しながらも、求める気持ちは隠せなくて。 腰を揺らすたび、彼の喉が甘く震える。 「んっ、あっ、んぅ……レオ、もう、やだ、変になるっ……!」 「いいよ、変になって。……俺の中で、全部蕩けて、俺に壊されて……俺にしか、感じられない身体になって……」 快楽と愛情の狭間で、彼の身体は波打つように反応し、 目の端に涙をにじませながら、それでも俺を求めてくる。 「っ、レオ、……もっと、きて……っ」 その声に応えて、強く深く、腰を打ちつける。 「兄さん……俺の中で、全部感じて。……離さない。絶対に、ずっと、俺だけのものだから……」 「……うん……レオのもの、だよ……っ」 とろける瞳、熱に浮かされたような表情―― それを見てしまったら、もう何も我慢できない。 体を貫くたびに、繋がりが深まり、心の奥まで満たされていく。 世界にふたりしかいないような、甘く、狂おしい夜だった。 快楽の渦の中で、もう、互いの名前しか呼べない。 「兄さん……兄さん、好き、好きだ、愛してる……っ」 「……ん、レオ……レオ……っ、すき、だいすき……っ」 最後の一突きと共に、ふたりの身体が強く震える。 熱い鼓動、指の絡み、口づけ、快楽の余韻―― そのすべてが、永遠を誓うように重なり合っていた。   ……夜が明けても、彼は俺の腕の中から離れない。 柔らかく微笑むその顔を、何度も、何度もキスで確かめた。 「兄さん、これから何度でも愛する。……壊れるまで、何度でも」 彼は言葉もなく、ただ俺の胸に頬をすり寄せた。 ――それが何よりの、返事だった。 *** 幸せ、とは、こういうことを言うんだろう。 目が覚めてすぐ、腕の中に兄さんがいる。 まだ微かに熱の残る頬を撫でて、くすぐったそうに眉をひそめるのを見るたび、胸が満たされる。 昼は兄さんの笑顔が太陽よりまぶしい。 話す声、笑う声、何気ない仕草すら愛おしくて―― 何度も何度も、時間よ止まれと願ってしまう。 夜は、優しく触れて、求められて、すべてが満たされていく。 (ああ、兄さんは、俺のものだ) 誰にも渡さない。 もう、どこにも行かせない。 世界がどう変わっても、俺はこの手を離さない。 ……こんなにも幸せなんだ。 この日々を壊すものがあるとすれば、それは―― 「兄さんが、俺以外を見てしまうことだけ」 でも、大丈夫。 兄さんは、ちゃんと俺を見てくれるから。 ――ね? でも、あの夜――。 兄さんの寝室の扉が、ガチャリと冷たい音を立てて開いた。 そこにいたのは、リュシアン。 ――俺の兄で、俺の恋人だったはずの人。 けれど、その目は――氷のように冷たく、俺のことなど見ていなかった。 「兄さん……おかえり」 笑おうとした声が、少し震えていた。 リュシアンは足を止め、怪訝そうに俺を見る。 その目には――あの夜、俺に抱かれた熱がまるで宿っていない。 「……ただいま、レオ。どうして、俺の部屋に勝手に入っているんだ?」 その声は、よそよそしく、どこか他人行儀だった。 「……え? どうしてって……、兄さんと少し、話がしたくて――」 思わず伸ばした手を、リュシアンは一歩引いて避けた。 「っ、やめろ......!  なんの真似だ。お前、少しおかしいんじゃないのか?」 胸の奥に、稲妻が落ちたようだった。 言葉よりも、怯えたようなその目が、何よりも残酷だった。 「……兄さん?」 絞り出すような声。 けれどリュシアンは、また一歩、俺から距離を取った。 「……おーい、リュシアン」 聞き慣れた声。ジークが廊下から顔を覗かせる。 「訓練所付き合ってくれよ」 「ジーク。……うん、今いくよ」 その声は、俺が好きになった兄さんの声だった。 なのに、その笑顔は――俺に向けられたものじゃない。 「……? 何かあったのか?」 ジークが俺に視線を向ける。 「……いや、なんか変なんだ、あいつ」 「……ふーん? おまえらが喧嘩なんて珍しいな。まっ、ほどほどにしとけよ?」 軽く流して、ジークはリュシアンと並んで歩いていく。 俺は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。 (兄さんに……嫌われた……?) なんで、どうして。 触れようとしたら、あんなふうに避けるなんて。 昨夜、俺の名前を甘く何度も呼んだくせに。 あんなに優しく、抱きしめてくれたくせに。 (……怒らせてしまった?) 愛を強く求めすぎて、怖がらせた? 重かった? 必死すぎた……? 自分の指先が震えているのがわかる。 まるで血が通っていないように、冷たくて、怖い。 「……兄さん」 呟いても、その姿はもう見えない。 心にぽっかりと、穴が空いた。 まるで、最初からそこに何もなかったかのように。 愛も、温もりも――全部、夢だったみたいに。 夜。 眠れなかった。 やり場のない想いを抱えたまま、気がつけば――兄さんの寝室の前に立っていた。 手が、勝手に扉に触れていた。 軋むこともなく静かに開いた扉の向こう。 部屋には、安らかな寝息だけが満ちていた。 カーテン越しの月明かりが、淡くゆれる。 その影のなかに、兄さんの姿があった。 (……変わってない) 穏やかな寝顔。 ほんの少し眉間に皺を寄せているところも、寝癖のついた髪も―― 少し前と同じ、優しかった“兄さん”が、そこにいた。 ……だけど。 (昼間の、あの目が……) 焼き付いて、離れない。 あの声で、また俺を突き放すんじゃないか。 もう二度と、触れてはいけないんじゃないか。 ――それでも。 「……兄さん……」 声が震える。 ゆっくりと、リュシアンの睫毛が持ち上がる。 半分眠たげな瞳が、月に照らされて揺れた。 「……レオ? どうしたの……?」 その声は、甘くて、柔らかくて―― 俺の、知ってる兄さんだった。 たまらなくなって、思わずベッドの縁にすがりついた。 「兄さん……俺のこと、捨てないで……」 震える声。胸の奥にせき止めていたものが、堰を切ったようにあふれ出した。 リュシアンは、戸惑いつつも、俺の背をそっと撫でる。 「……えっ、レオ……? どうしたんだよ……。俺が君を捨てたりするわけ、ないだろ……?」 優しい手。優しい声。 まるで何も変わっていないみたいに、俺を包んでくれる。 その優しさに、余計に胸が痛んだ。 「……ほんとうに? ……俺、兄さんの傍にいてもいいの……?」 声が震える。 ほんのわずかな時間だったのに、氷の中にひとり閉じ込められたみたいに、苦しかった。 「……当たり前じゃないか。ずっと一緒にいるよ」 静かに落ちたその声が、胸の奥にじんわりと沁みた。 涙で滲んだ視界で、顔を見上げる。 そこにあるのは、たしかに俺を抱きしめてくれた、優しい“兄さん”だった。 「……レオ、大丈夫だから。今夜はもう、眠ろう?」 そう言って、そっと俺の手を取ってくれる。 そのぬくもりに触れた瞬間、また涙が溢れた。 「……うん」 その夜は、ただ抱きしめ合って眠った。 何も怖くないと思えるほど、あたたかな夜だった。 ――それなのに。 あんなにもやさしく抱いてくれたこの手が、 翌日、何の前触れもなく――また、俺を拒んだ。 「……兄さん?」 振り向いたその顔は、あの夜の人ではなかった。 「……なに?」 その目に、昨夜の記憶は一片もなかった。 (……また、変わってる) 夢じゃなかった。あの夜、ちゃんと手を取ってくれたのに。 こんなにも、俺を――愛してくれたのに。 「兄さん、昨日……俺の事、抱きしめてくれたよね……?」 「……知らない。何のことだ?」 「……っ、俺のこと……もう好きじゃなくなった?」 言ってから、自分の声の弱さが恥ずかしかった。 「……何を言ってるんだ。お前は……弟だろ?」 “弟”。 その言葉が、ナイフよりも鋭く胸に刺さる。 もうだめだ。 もう、壊れてしまいそうだ。 あの夜、あんなに優しかったくせに。 あの手で抱きしめてくれたくせに―― なぜ今、俺を見る目は、こんなにも遠いんだ。 リュシアンは訝しげに眉をひそめながら足早に立ち去った。 「……ひどいよ、兄さん……」 背中に向けて呟いた言葉は、届かない。 あとに残された部屋で、俺はただ、立ち尽くすしかなかった。 指先が震えていた。 冷たい空気の中に、温もりだけが、置いていかれていた。 息が詰まりそうだった。 もう何日、あの人の笑顔を見ていないんだろう。 何度名前を呼んでも、俺を見るその瞳には、“俺”がいなかった。 触れようとするたび、振り払われた手。 「やめろ」と吐き捨てられた言葉。 なのに、夜だけ。 あの部屋でだけ、優しく笑ってくれる“兄さん”が、まだそこにいるような気がして。 ……だけど、それは一夜限りの夢。 朝にはまた、何もかもを忘れてしまう。 だったら、いっそ――   その夜、俺はナイフを隠して部屋に入った。 「レオ?」 声が優しい。懐かしくて、泣きたくなる。 目が合った。やっぱり今夜の兄さんは、“俺の知ってる”兄さん……みたいだった。 いや、そうであってほしかっただけかもしれない。 「兄さん……俺のこと、覚えてる?」 「……レオ? 当たり前だよ。そんな顔して……どうしたの?」 そう言って、そっと手を伸ばしてくれる。 俺の髪に触れるその手が、あまりにも優しくて、心臓がひりつく。 兄さんの笑顔が近くて。 ぬくもりに包まれて。 ああ、なんて幸せなんだろう――そう思いながら、俺はその背を、ぎゅっと抱きしめてキスをした。 ずっと、こうしていたかった。 この時間が永遠に続けばいいって、本気で願った。 だから。 ――怖かった。 また、明日にはいなくなるのが。 また、突き放されるのが。 また、どうせ明日には“知らない顔”をするんでしょう……? もう、耐えられなかった。 「兄さん……愛してる」 俺がそう言うと、少しだけ驚いた顔をした後、兄さんは静かに微笑んだ。 「……うん。俺も、愛してるよ」 その言葉で、決意が固まった。 こんなに、優しくしないで。 忘れてしまうくらいなら…… 失ってしまうくらいなら…… もういっそ、この手で―― 「……兄さん」 そっと耳元に口を寄せて、囁いた。 「俺と一緒に死んで……?」   「……え――?」 次の瞬間。 刃が、兄さんの胸に沈んでいた。 ぬるりとした感触が、掌に伝わってくる。 目の前で、兄さんの顔が驚きに歪んでいく。 声にならない叫びを飲み込んで、唇をわななかせながら、崩れる身体を抱きしめた。 その目が、俺を見ていた。 血に濡れた唇が、かすかに動く。 「……レ、オ……どうして……?」 その目が、“ただの兄さん”のものだったと気づいたのは――その時だった。 「っ……やだ、嘘だよ、……こんなの……!」 (ああ……なんで、今になって……!) 「……っ、やだよ、兄さん……行かないで……置いていかないで……っ」 俺が刺したのは、“本当に戻っていた”兄さんだったんだ。 なんで、今、戻ってきたの。 どうして、そんな優しい顔をするの。 だったら――もっと早く戻ってきてよ……! 俺は―― 俺は――……!!   ナイフを抜く。 兄さんの身体が、ぐったりと沈んだ。 赤が、広がっていく。 血の温もりだけが、まだ生きていた証のようで―― 俺はその身体を、壊れ物のように抱きしめた。 「にい、さん……?」 名を呼んでも、もう返事は返ってこない。 触れても、笑ってくれない。撫でても、もう……。 肩を揺らしても、体温は逃げていくばかり。 涙が、止まらない。声が、詰まる。 兄さんの胸にすがりついて、何度も何度も「ごめん」と呟いた。 けれど、もうその言葉が届く場所は、どこにもない。 世界が、色を失っていく。 音も匂いも感触も、兄さんを失った瞬間に、すべてが死んでしまったようだった。 ただ、血のにおいだけが、やけに鮮明で。 俺の手も、服も、兄さんも、ぐしゃぐしゃに染まっていた。 俺のせいで、全部終わった。 だったら――俺も、ここで終わらなきゃいけない。 兄さんのいない世界で、生きていく理由なんか、もうどこにもないから。 ナイフを握り直し、 切っ先を自分に向けた、その瞬間――   世界が、ひっくり返った。 真っ白く塗りつぶされた世界。頭の奥で、耳鳴りのようなキーンという音が、途切れなく響いている。 眩しさに目を細め、もう一度あたりを見渡すと、そこは――見覚えのある場所だった。 高い天井、石造りの柱、整然と並ぶ騎士たち。 ここは、俺と兄さんが三年間を過ごしたこの城の、謁見の間だった。 (なんで……?) さっきまで、確かに血の中にいた。 震える手でナイフを握っていたはずだったのに。 どく、どくと心臓が煩く鳴っている。 正面の扉が、音を立てて開いた。 衛兵が敬礼するその隙間から、三人の人影が現れた。 美しい衣装を纏った、この国の王子たち。 ――そしてその中央にいたのは、 (……嘘だ) 俺の呼吸が止まりかける。 三年前のリュシアンだった。 あの瞳。あの立ち姿。 ……見間違えるはずがない。 何度も夢に見て、何度も触れて、何度も泣いて失った、“俺の兄さん”が、そこにいた。 変わらぬ栗色の髪が肩で揺れ、ゆっくりとこちらに視線を向ける。 目が合った。 瞬間、俺の中で何かが崩れた。 震えが止まらなくなった。 わかってた。俺が何をしたか。 あんなにも好きだったのに、俺は―― 「う、ぁ……っ、ぅあ……」 嗚咽が、堰を切ったように溢れた。 情けないほど、声が震えて、立っていられなくなりそうだった。 父が、兄たちが、驚いてこちらを振り向いている。 侍従が何事かと動き出す。 でも、誰よりも先に―― 兄さんが、俺の前に来てくれた。 何も言わず、ただ真っ直ぐに歩いてきて、 泣き崩れる俺の肩を、そっと抱きしめてくれた。 「……大丈夫だよ、レオ」 耳元で優しく囁かれる声。 いつか夢の中で聞いたような、あの夜の声。 温かくて、懐かしくて、恋しくて。 ――泣きながら、何度も謝った相手が、今ここにいる。 (ほんとうに……兄さんなの?) でも、腕の感触が答えてくれる。 これは夢なんかじゃない。 俺はもう、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。 だけど―― それでも、兄さんは俺を赦してくれた。 何も問わず、何も責めず、 ただ“弟”として、抱きしめてくれた。 「兄さん……兄さん……!」 泣きながら、その胸に顔を押しつけて、 俺は、やっと赦されたような気がした。 これはきっと、神様が俺にくれた贈り物なのかもしれない。 そう、思った。 一度は全てを失った俺に、やり直す機会をくれたのだと――。 だって、兄さんはあの時と同じ瞳で、俺を見て、笑ってくれたから。 何もかも知っているように、優しくて、あたたかくて、 俺が縋れば抱きしめてくれて、呼べば返事をくれて。 「レオ」 その声が、俺の全てだった。 兄さんが傍にいてくれたら、もう何も要らない。 王位も、誉れも、未来さえも。 ただ、ただ――兄さんさえいてくれたら、それでよかった。 深く、深く愛し合った。 何度も唇を重ね、名を呼び合い、 この腕の中に兄さんがいてくれる幸せに、 俺は、何度も神に感謝した。 この時間が永遠に続けばいいと、 もう二度と“壊れない”と、 俺は、信じたかったんだ。 でも―― やはりまた、兄さんは『壊れて』しまう。 朝起きて隣を見たら、そこにいるのは、 冷たい目をした、知らない“兄さん”だった。 「レオ……お前、最近、変じゃないか?」 そう言って、触れようとする俺の手を、 まるで汚らわしいものでも見るように、避ける。 「……兄さん、俺だよ……?」 必死で訴えても、兄さんの目は、俺を映していない。 まるで、なにもなかったかのように。 昨日の夜、あんなに熱を分け合ったというのに。 どうして……? なにがいけなかった……? また俺は、間違えたのか……? 胸の奥が、焼けるように痛む。 俺がどれだけ、兄さんを愛していたか。 どれだけの夜を、涙で濡らしていたか。 誰にも、わかってなんか……っ! そして俺は―― また、兄さんを……手に掛けた。 あの時と同じ、優しい目をしてた。 「どうしたの……?」って、俺を心配してくれて。 何も知らずに、笑って、俺に近づいてくれた兄さんだったのに―― 隠していたナイフが、胸に吸い込まれる感触。 「……レオ……?」 名前を呼ばれた気がして、 俺は泣きながらその体を抱きしめた。 どうして、こんなに愛しているのに、 どうして、こんなに求めているのに。 ねえ、兄さん―― いっそ、ずっと“壊れたまま”でいてくれたら、 俺は、こんなに苦しまなかったのに。 どうせまた、壊れるなら。 どうせまた、俺を忘れてしまうなら。 その前に―― 壊してしまいたかったんだよ。 俺だけの兄さんにしたかったんだ。 世界は、何度でも繰り返す。 気づけば、また俺は――15歳の姿で、謁見の間に立っていた。 胸に残るのは、焼き付くような後悔と、愛と、絶望。 どうしたら“俺の兄さん”を失わずに済むのか。 どうすれば、壊れてしまう運命を変えられるのか。 考え得る限りの手段に、俺は手を尽くしてきた。 あらゆる選択を試した。 俺の存在を控えめにしてみたこともあったし、逆に愛を注ぎ続けたこともある。 怒らせないようにした。守るようにした。 何もかも、すべて、兄さんのためだった。 ……それでも、変わらなかった。 必ず、ある時を境に、兄さんは“壊れる”。 温かく、優しく、愛をくれた兄さんが、 まるで知らない誰かみたいに、俺を見ない。 触れようとした手を、拒絶するように振り払われたあの瞬間。 俺の名前を呼ばない。 俺のことを――“ただの弟”としか、認識していない瞳。 (なんで……? どうして……?) わからなかった。 理解なんて、できるわけがなかった。 そうして俺は、 兄さんが俺に冷たくなるたびに、 “それ以外の方法”を選べなくなっていった。 ……兄さんを――殺した。 何度も。 何度も、何度も、何度も。 そのたびに、兄さんは驚いたように目を見開いて、怯えたように俺を見つめた。 「どうして……?」 そう訴えるような目で。 俺は……それに、答えることができなかった。 できるわけがない。 だって、俺にとって兄さんは、 失いたくない、ただひとりだったのだから。 壊れる前に戻ってくれるのなら、それでよかった。 それだけでよかったのに……。   ――でも、たまに。ほんの少しだけ。 兄さんの目が、違うときがある。 驚きでも怯えでもなく、俺の狂気すら、まるごと抱きしめるような、そんな瞳。 哀しくて、優しくて、痛いほどに温かい―― “あの頃の兄さん”のまなざし。 そのときだけは、俺も泣いてしまう。 何度目かの再会だったとしても、 何百回目の殺害のあとだったとしても、 そのまなざしに、俺はどうしようもなく惹き寄せられてしまう。 それでも、 また、壊れる。 何をしても、変わらない。 ……けど、諦めるつもりなんて、なかった。 俺はまた、世界のはじまりに戻っていた。   「……レオといいます。よろしくお願いします……」 いつものように、声をかける。 それだけの、はずだった。 けれど――今回は違った。 兄さんが、言葉を失ったように俺を見つめ、 怯えたように目を見開いたあと、 確かな“決意”を宿した眼差しで、まっすぐ俺を見返してきた。 「……よろしくね、レオ」 そう微笑んだ兄さんに、俺は確信した。 物語が、今ようやく“別の道”へ進みはじめた。 これは、終わりじゃない。 やっと、始まりに手が届いたんだ。

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