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第15話 ループの真相エピソード③

兄さんが“壊れる”のは、俺のせいじゃない。 そう思いたかった。 だけど、もし俺以外の誰かが、兄さんの心に余計なものを植えつけてるとしたら? ……たとえば、やたらと距離を詰めてくる、あの隣国の王子。 気安く腰を抱き、俺の前で“兄さん”の名を馴れ馴れしく呼んだ。 過保護を免罪符のように振りかざし、柔らかな笑みを浮かべた第二王子。 まるで兄さんの心に土足で踏み込むように、甘えた声を向けてきた。 無遠慮に声をかけてきた、公爵家の次男。 まるで軽口のつもりなのか、それともただの無知か── 兄さんの身体にベタベタ触っていた。 忠義を建前にした、騎士団副団長。 その敬意の裏側に滲む感情に、兄さんは気づいていただろうか。 ほんの、小さなきっかけ。 たったそれだけで、すべてが崩れてしまう気がする。 誰かの気配が、ほんの少しでも兄さんの心に入り込んだら── 兄さんの目は、また冷たくなるんじゃないか? 俺を見てくれなくなるんじゃないか? 俺の名前を呼ばなくなって、 俺の存在を、記憶の隅へと追いやってしまうんじゃないか……? 怖かった。 たまらなく、怖かった。 ……そうなる前に。 兄さんの心が壊れてしまう前に。 いや、俺の方が壊れてしまう前に。 “排除”しなければならなかった。 本当は──兄さんじゃなくて、あいつらを殺したかった。 でも、殺したところで、またやり直しができるとは限らない。 もし、もう一度やり直せなかったら── 俺は罪人として裁かれ、投獄されて、二度と兄さんに会えなくなる。 ……それだけは、どうしても嫌だった。 この手で人を殺すよりも、 兄さんを失う方が、何倍も、何千倍も──怖かった。   この世界で兄さんの傍にいられる、たった一つの方法。 誰よりも近くにいて、誰よりも兄さんを見ていられる立場。 だから、俺は志願した。 “執事見習い”として、兄さんの傍につく道を。 それは忠誠なんかじゃない。正しさなんて要らない。 ただただ──兄さんを守りたかった。 “壊させたくなかった”。 ……俺以外の誰にも、触れさせたくなかった。 けれどそれでも、やはり兄さんは、冷たくなってしまう。 どんなに気を配っても、どれだけ排除しても。 (……いったい、なにが原因なんだ……?) (なにが、兄さんを変えてしまう……?) わからない。 でも、だからこそ。 俺は、繰り返す。 繰り返して、繰り返して。 今度こそ、兄さんを壊させないために──。 でも、兄さんを殺すたびに、俺の心も一緒に死んでいった。 耐え難い苦痛に、喉が裂けるほど叫び、血の涙を流し続けた。 なのに、また殺した。 何度だって、何度だって──俺のこの手で、兄さんを。 それは、俺を誰よりも愛してくれた人を、自らの手で踏み躙る行為だった。 それでもやめられなかった。兄さんが笑えば、誰かを愛せば、俺は壊れそうになった。 そんな俺の心を守るために、“狂人”という仮面を被った。 壊れてなどいないふりをした。 理性の仮面を被らなければ、嫉妬と執着の熱で脳が焼け落ちてしまいそうだった。 壊れていたのは──最初から、俺の方だったのかもしれない。 兄さんを“守る”という言い訳で、奪って、縛って、傷つけて。 本当は、何度も泣いて、叫んで、縋りついて── それでも“壊れる”兄を前に、 ……どうしても、壊れてしまうしかなかったんだ。 でも── 兄さんがまた“壊れた”夜、 今度は、誰にも会っていなかった。 ただ、少しだけ庭を見ていただけ。 誰の声も、誰の手も触れていないのに── それでも、あの目になっていた。 「……レオ? なんで泣いてるんだ?」 わからない。 俺にはもう、なにが原因で兄さんが壊れるのかわからない。 だったら、どうすればいいんだ。 なにを──なにを奪えばいいんだ。   もう、全部……消すしか、ないのか。 *** 真っ白な世界。 何かの機械音だけが聞こえる。 リュシアン──いや、“魂となった俺”は、天井のような場所から俯瞰で室内を見下ろしていた。 この部屋、見覚えがある。実家の俺の部屋だ。 誰かがベッドで寝ている。 誰だこれ? その第一印象のあと、理解するのに少し時間がかかった。 顔は浮腫み、ヒゲも髪も伸び放題でボサボサ。手足だけが不自然に細く、まるで蝋人形のようだった。 「……まさか、俺? ……嘘だろ……?」 それが“元の俺の体”だと気づいた瞬間、全身のどこかに寒気が走る。 酸素供給器と経管栄養の装置。 かすかに上下する胸。 ……生きている。 確かに、まだ──死んでいない。 「……俺……死んで、ない……?」 ちょっと待て。理解が追いつかない。 じゃあ、あの『ラストラビリンス』の世界は──全部、俺の妄想で……夢だったってことか……? ……いや、違う。そんなはずがない。 あの温もりも、手の感触も、交わした言葉も── 全部、確かに“そこ”にあった。 あれは夢なんかじゃない。本物だった。 考えろ、考えるんだ。 ──そもそも、なんで俺はループしていた? リュシアンは主人公だ。 なのに何度も死んで、何度も始まりに戻って…… 主人公が死ぬなんて、ゲームの中にはそんなシナリオ存在していない。 ……存在しない? ……だからか? “死”という想定外のイベントが、バグを引き起こした……? いや、それだけじゃない。 レオだ。レオの行動がおかしかった。 最初の“あれ”──腹部を刺されたときから、何かが狂っていた。 あいつは、なぜあそこまで俺に異常な執着を見せた? なぜ、どのループでも……俺を殺そうとする? わからない。 考えれば考えるほど、わからなくなってくる。 ……でも、思い出せ。 レオの言葉、仕草、怒り、涙。 そこに、ヒントが隠れているはずだ。 俺を殺すことが、レオの願い……? なぜだ。なぜ、そんなことを……? 待て。……待てよ。 俺が死ぬと──世界は巻き戻る。 死ぬたびに、最初からやり直しになる。 つまり……ループを起こしていたのは、俺じゃない。 レオだ。 ……レオが、俺を殺すことで、 何度も何度も世界を巻き戻していたんだ……! でも、もしそうだとして、俺に記憶があるのは、なぜなんだ? ありえない。そんなこと、起きるはずがない。 ……いや、本来なら、起きるはずがないんだ。 だけど──何か、説明のつかないことが、実際に起きている。 もし──。 もし、この世の摂理すらねじ曲げるような、誰かの執念──そんなものが働いていたのだとしたら。 そして、それを……レオが、成し遂げていたのだとしたら? ……いや、分からない。ただの憶測だ。 でも、レオには、そこまでして成し遂げたい目的があったはずだ。 あのとき、俺を刺す前に見せた涙── 「兄さん……俺のこと、捨てないで」 そう言って、泣いていた。思えば、あの瞬間からレオの様子は明らかにおかしかった。 ……俺の魂がこっちの世界にある間、あっち──ラストラビリンスの“リュシアンの体”は、どうなっているんだ? まさか、空っぽのまま……? レオとの記憶は確かに、俺の中にある。 感情も、時間も、すべて──俺自身が生きた証だ。 けれど、ひとつだけ、腑に落ちない。 「兄さん……俺のこと、捨てないで……」 レオは、泣きながら、そう言った。怯えるように、縋るように。 ……でも、なぜ? 俺は、あいつを捨てたことなんて一度もない。 最初は、ただ情緒が乱れているだけかと思ってた。 だけど── あの一言だけが、ずっと、心に引っかかっていた。 あのとき、レオは泣いていた。怯えるように、子供みたいに。 あれが本音だとしたら── レオは、「俺ではない俺」に、いつの間にか会っていたんじゃないか……? もし──もし今、俺の魂が、この瞬間、 “元の体”に戻る運命にあるのだとしたら……。 レオは、何も分からないまま、 ずっと、“俺”を探しつづけているのかもしれない。 ……つまり、このループの目的は── 俺を、呼び戻すこと。 ……それだけ、だったのか……? 本当に、こんな仮説が合ってるのかは分からない。 けど…… それでも…… ああ、なんだろうな、これ。 魂に目頭なんてあるわけないのに、どうしようもなく――泣きたくなった。 ……レオ。 ……レオ……。 …………レオ!!!! その運命を拒みたいと願うなら。 レオと、生きたいと願うなら── 変えられるのは、この“俺”しかいない……!! ベッドの傍らでは、母が小さな椅子に身体を丸めて座り、眠っていた。 髪は白くなり、頬は痩せこけている。 三年という歳月が、彼女を老婆のように変えていた。 見つかっていないんだろう、入所先も。 諦められず、まだ俺を家で看てくれている。 視線の先、サイドボードの上。 そこにあったのは、事故のときに俺が持っていた、レオのアクリルスタンドだった。 バキバキに割れていたはずのそれを、母が修復して、そっと置いてくれていたのだろう。 ひびの入った笑顔が、こちらを見つめていた。 恥ずかしい。 でも──ありがとう、母さん。 もう、終わりにしてあげるね。 静かに降りていく。 魂のまま、モニターのそばへ。 そもそも、物理的に触れられるのかすらわからない。 ただ、近くのボタンに手を伸ばす。 強く願うように、祈るように──それに触れた。 パチッ。乾いた音が、静寂を切り裂く。 ──よし、押せた。 「……どれだ? どれを止めればいい……」 頭の中は混乱でいっぱいで、冷静な判断などできなかった。 知識も何もなく、ただ── ──全部、止めた。 酸素を送り込む機械。 心拍を見守るモニター。 絶え間なく鳴っていたアラーム。 ひとつずつ、そっと、電源を落としていく。 機械が静かに息を潜めていく。 そして、部屋にただ静寂だけが残った。 「……ありがとう」 言葉にならない想いを胸に、 震える声で、そっと続ける。 「俺の体。母さん。」 ただ、静かだった。 世界は、白く、音もなく、静かだった。 *** 拘束された椅子に凭れ、 リュシアンは静かに目を閉じていた。 窓の外から差し込む月の光が、 白い肌と乱れた栗色の髪を照らしている。 その光景は、まるで死を待つ聖人のようで── それでも、レオの瞳には“壊れてしまった兄”にしか見えなかった。 「……もう、俺が壊れるしかないんですか? ──兄さん……」 声は震えていた。 手の中のナイフが、カチカチと小さく音を立てる。 もう、優しかった兄はいない。 あの目の奥の光は、とうに消えている。 何度ループしても、何を変えても、 リュシアンはいつか“壊れてしまう”。 理由がわからない。 ただ、庭を見ていただけの夜にさえ、壊れていた── もう、どうすれば兄を守れるのかわからない。 だったら。 だったら……すべてを消すしか、ない。 そのためには、 この世界の“終わり”を、ここで引き寄せなければならない。 「──ごめんなさい、兄さん」 歩み寄る。 ナイフを、喉元に。 その指にこめられた覚悟は、本物だった。   だが。 そのときだった。   静かに、 リュシアンのまぶたが開いた。   「……レオ」   優しい声だった。 あまりにも、優しかった。 レオの動きが、止まった。 刃がぷるぷると揺れる。 「……にい、さん……?」 その瞳に、狂気はなかった。 憎しみも、怨嗟もなかった。 そこにあったのは、 深い優しさと、 長い時間の果てにたどり着いた哀しみと── それでも、自分を信じてくれている光。 ナイフが、手から落ちる。 カシャン、と音を立てて、床に転がる。 レオは、その場に崩れ落ちた。 「……どうして……なんで……」 嗚咽が漏れる。 歯が、震えるほど食いしばられていた。 信じたかった。 けれど、信じられなかった。 その“信じたい”と“信じられない”の間で、 何度も何度も世界を殺してきた。 それでも今、目の前にあるのは──   “何度壊れても、自分を許した兄”の眼差しだった。   「ごめん、なさい……俺、また……兄さんを──」 リュシアンは、首を横に振った。 「……おまえが俺を殺そうとしたことなんて、一度もなかったよ」 その言葉に、胸の奥を何かが強く突いた。 息が一瞬止まる。何かを言おうとしたのに、喉がうまく動かなかった。 レオは、ただリュシアンを見つめていた。 言葉を発せようとすれば、何かが崩れてしまいそうで。 「おまえは、いつも“救おう”としてた。俺を。ずっと……ずっと、あのときから……」 レオが顔を伏せ、泣き崩れる。 嗚咽が止まらない。 リュシアンは、拘束されたままの腕を、少しだけ持ち上げようとして── できないとわかると、優しく、笑った。 「レオ。俺、やっと気づいたんだ。……なにをすれば“終わらせられる”のか」 レオは、ただ黙って聞いていた。 何も言わず、何も抗わず。 静かに、涙だけが頬をつたって落ちていった。 「おまえが、何度も何度も俺を殺して、やり直して、 それでも俺がいなくなって、また戻って。……きっと、あれは、おまえが願ってた未来にすら、たどり着いてなかったんだろ?」 「…………はい」 この瞬間、レオは悟った。 兄は、全部知っているのだと──自分が繰り返してきたことも、その果てに何を失ったのかも。 「だから、今度は、俺が“やってきた”んだよ。 この果てまで。……全部終わらせて、ようやくおまえに“戻って”きた」   “壊れたふりをしてたんだ” そう告げるような微笑みだった。 けれど、レオの瞳は揺れていた。 それでも、信じきれずにいる。震える声がこぼれる。 「……本当に……終わったんですか? 兄さんは……もう、どこへも行かない?」 「──ああ。終わった。俺は、ちゃんと全部、閉じてきた。 もう誰も死なないし、俺も、おまえの前から消えたりしない。……何があっても、もう二度と」 「本当に……?」 「うん」 「もう、やり直さなくていい……?」 「……もう、やらせない」 レオは顔を伏せて、また泣いた。 それは絶望の涙じゃなかった。 やっと終わったんだと、心が理解した証だった。 静かな沈黙が、ふたりを包んでいた。 言葉はもう、いらなかった。 ただ、胸を打つ心臓の音と、頬を伝う涙の滴る音だけが、 この夜のすべてを物語っていた。   ──この夜を境に、世界は変わる。 けれど。 崩れかけていた“兄弟の世界”だけは、 壊れずそこにあった。 いいや──壊れかけたからこそ、 ふたりは、あの頃よりも深く結びついたのかもしれない。 言葉にならない想いが、静かな夜に溶けていく。 涙の熱も、胸の痛みも、すべてを包んでくれるこの場所で。 信じた絆に、もう一度触れることができた。 二人は、ずっと探していた世界に、 ようやくたどり着けたのだった……。

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