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第18話 Re:ゼロから始めるとんでも執事との新婚旅行①

俺は今、猛烈に感動している。 「これが、マテリア」 俺は、信じられない気持ちで、ただそれを指差した。 そう、あれだ。 あの某ファンタジーRPGに登場するあのアイテム──。 誰もが知っている、あのアイテム。 『ラストラビリンス』の世界でも、それがあれば魔法を使ったり、飛行艇を動かしたりできる代物だということは、俺が一番よく知っている。 目の前にあるマテリアが、まるでこの世界でただの幻ではなく、確かな物体であることを実感する度に、心のどこかでゾクゾクとした感覚が走る。 これは、あのゲームの世界から飛び出してきた、まさに「現実の魔法」だ。 どんなに信じたくても、あのゲームの中でしか使えないと思っていたものが、 この手の中で動き始めることを、俺は今、現実として感じている。 「これが……飛行艇?」 うっすらと目を細めた先に広がっていたのは、1〜4人乗り用の小型飛行艇だった。 ゲームでは中盤にならないと手に入らなかったはずのそれが、今、目の前にある。 動力源、推進装置、そして何より──あのスチームパンクなデザイン。 これはまさしく、俺が夢見た飛行艇、そのものだ。 「……信じられない」 思わず口に出してしまった言葉が、いかにも無力に響く。 まるでRPGの世界から、そのまま現実に引き寄せられたかのような錯覚。 目の前の飛行艇に、気づけば無意識のうちに近づいていた。 ……事の発端は、あの一言だった。 「兄さん、後で温室の前に来てください」 レオにそう呼び出され、言われた通りに城の裏手──中庭へ足を運んだ。 淡い月光に照らされた石畳の奥。そこに佇んでいたのは、いつもの執事姿のレオではなかった。 漆黒の軍服を纏い、耳当て付きのパイロットキャップを、誇らしげに──どこか愛らしく被っていた。 「……え、なにその新ビジュアル! カッコよ──、じゃなくて! どうしたの、その格好!?」 驚きと戸惑いが混じった声を上げると、レオはひと言、淡い微笑を浮かべて答えた。 「兄さんも、これを着てください」 差し出された手のひらには、クラシカルな茶色のレザージャケットがもう一着。裾に白いファーをあしらい、襟元にはレオとお揃いのパイロットキャップがそっと載せられている。 「へ……?」 予期せぬ贈り物に、俺は思わず言葉を詰まらせた。夜風に揺れるジャケットの袖口が柔らかくきらめき、帽子の裏側からはモコモコの温もりが伝わってくる。 ──これを着ろ、というのか。 レオの真っ直ぐな眼差しが、月明かりの下で優しく光を帯びる。彼が用意した“二人だけの装い”には、言葉よりも雄弁に、「今から共に空を翔ける旅をする」という意志が刻まれていた。 星の海を突き抜ける魔導式小型飛行艇のコクピットで、俺と彼はお揃いの装いに身を包み、無言のまま互いを見つめ合った。夜の静寂を切り裂くエンジン音が鼓動のように鳴り響き、胸の高鳴りをかき立てる。 「さあ、行きましょう、兄さん」 レオの囁きは、どこまでも無垢で確かな導きだった。 「行くって、どこへ?」 「倭華(わか)の国です」 「わ、倭華の国……!!?」 俺の口から思わず驚きの言葉が漏れる。 倭華の国──それは、『ラストラビリンス』の物語後半、ようやく辿り着ける異国の地だった。遥か東の果てに広がる、その地は伝説と神秘に包まれている。 「陛下には、外交という形できちんと正式な許可をいただいておりますので」 「い、いつの間に……」 飛行艇は音もなく滑り出し、そのまま空へと舞い上がっていく。 夜空をなぞるように、静かに、そして高く──。 思考が追いつかないまま、俺は座席に身を沈め、ちらりと操縦席のレオに目を向けた。 彼は変わらぬ無表情のまま、まるで呼吸するように自然な手つきで操縦桿を握っている。 その背中が、いつもより大きく、頼もしく見えた。 (……ちょっと待って。こんな序盤で倭華の国に行けるなんて、聞いてないんだけど!? ていうか、あそこってエンカウントする敵、やたら強かった気が──) 心の中で警鐘が鳴り響く。 攻略サイトには「心して挑め」とか書いてあった場所だぞ!?本来なら物語中盤以降のはずじゃ……! だというのに、レオはいたって落ち着き払っていた。 この状況をすべて理解し、想定済みであるかのように、涼しい顔で操縦席に座っている。 まるで、「これが当然」とでも言いたげに。 「大丈夫です。敵対勢力はすでに手懐けてありますので。あと、万が一に備えて……ほら」 そう言ってレオが指を鳴らした、瞬間だった。 ──ゴォン、と空気が揺れるような轟音。 遥かな上空から、漆黒の鱗を纏った飛竜、ワイバーンが、風を裂いて舞い降りてきた。 「っ……これ、まさか──召喚……?」 翼を広げて降下するその姿は圧倒的な迫力で、空気が一瞬張りつめる。 ゲーム内では召喚獣扱いだったそれは、威風堂々としたフォルムのくせに、目だけは妙に愛らしい。 (……なんだよそのギャップ、反則だろ!?) 開いた口が塞がらないとはこのことだった。 まさか、本当に呼び出せるなんて。 しかも、よりによってあの“黒翼竜”を。 恐らくレオは──「強くてニューゲーム」で、何度もループを繰り返してきたのだろう。 (ちょ、ちょっと待て!?) (今の召喚獣、絶対に中盤以降じゃないと入手できないやつだよな!?……なんで、こいつ初期装備してんの!?!?) この世界を知り尽くした者だけが持つ、“圧倒的準備”を前に、俺はただ唖然とするしかなかった。 (ていうか、倭華の国ってたしか、絆レベルが一番高いキャラとのエモイベントが発生する場所……!しかも、ルート確定フラグが立つ超重要ステージ……) (……俺は、ジークもセシル兄さんもジハードも、アレクシスまで全部見た……でも──レオのルートだけは、まだ見れてない……!) 息が詰まるような感覚のまま、視線は自然と操縦席のレオへ向かっていた。 いつもの執事服ではなく、黒を基調とした軍服姿。……正直、ずるい。かっこよすぎる。 (……え、これって、まさか。俺、生で……今からレオルートのイベント見られるってこと……!?) 魔導飛行艇のエンジンが、低く静かに唸りを上げる。 その横を、まるで俺たちを護るように、ワイバーンが翼を広げて並走していた。 夜風を裂く音と、星の瞬きが重なる中で──俺たちの新たな旅路が、今まさに始まろうとしている。 目指すは、遥か東の果て。──倭華の国。 星の海を越え、その“聖地”へと向かうこの旅は、もはやゲームの中の出来事ではない。 けれど、現実とも少し違っていた。 俺の心臓は、ゲームでも現実でもない場所で── たしかに、熱く高鳴っていた。 こうして。 序盤の底辺魔物にすらやられる可能性のある俺(Lv.1)と、 ループで鍛え抜かれた執事(Lv.99)による、とんでも旅が始まった──。 *** 「兄さん。もうすぐ着きますよ」 レオの声に促され、うっすらと目を開ける。 どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。 窓の外に視線を向けると、眼下には── 星空のように橙の灯りがまたたき、静かに、幻想のような光景が広がっていた。 「ねぇ、これ現実? 嘘でしょう!?」 「嘘じゃありませんよ」 目を輝かせてはしゃぐ俺を横目に、 レオの表情には、ほんのわずかに優しげな笑みが浮かんでいた。 倭華の国── 永遠に夕暮れが続く場所。 画面の中でしか見たことがなかった。 情報としては知っていた。設定も、地形も、雰囲気も、覚えていた。 ……でも、これは、違う。 見渡す限りの黄昏が、現実の温度をもって肌に触れてくる。 空気に混じる微かな匂い、街灯の灯り、遠くから聞こえる笛の音。 そういうものが、すべて「本当にここにいる」と告げている。 月の昇らない空。 影の伸びない大地。 今日と昨日の区別がつかないほどの、静かな時間の流れ。 ああ、本当に……ここは、倭華なのか。 まさか、こんな形で来ることになるとは。 ……感動って、こんな風に来るんだな。 言葉が追いつかない。 「お待ちしてましたニャ! リュシアン殿下、レオ様~!」 停留所に飛空艇が着地するやいなや、 ポテポテと小さな足音を響かせて、 どこからともなく駆け寄ってきたのは── ふわふわの耳と尻尾を揺らした、二足歩行の小さな猫獣人。 コモコ族の案内係が、元気よく手を振っていた。 「コモコ族のモコって言いますニャ! おふたりが倭華にいるあいだ、ガイドを任されたんですニャ〜。 にゃんと、直々に王さまからお達しが出たニャよ!」 (か、かわいい……!!) 「モコ殿、よろしくお願いします。 謁見のお時間は……明日でよろしいですね?」 「はいっ、間違いないニャ! 王さまからも『今日はゆっくり休ませてあげてね〜』って言われてるニャよ〜!」 モコの耳がぴくぴく動くたび、目が釘付けになっていた。ふわふわの尻尾が揺れるのも、なんだか癒される。 ──が、そのとき。 横から鋭い視線を感じて振り返ると、レオが、無言でこちらを見ていた。 (ちょっと待て、ゆるキャラにまで嫉妬するなっ!) モコが、俺とレオを交互に見やる。 「……血よりも深い絆って、あるニャね。 モコには、ちゃんと見えるニャ〜。 おふたりは──しっかりと、つながってるニャ」 「うぇっ!?」 思わず変な声が出た。 モコはそんな俺を見て、にっこりと──どこか得意げに笑う。 「ニャふふ。コモコ族は、そういうの、わかっちゃうんだニャ〜」 (そうだ、確かコモコ族って……魂とか精霊が見える、スピリチュアル系ゆるキャラだった。可愛いけど、あなどっちゃいけニャい……!) モコが飛空艇に積まれた荷物を見上げて、小さく首をかしげる。 「荷物、これだけニャ? らっくらくニャよ〜。モコが運びますニャ!」 勢いよく持ち上げようとして、ずるっ、とバランスを崩す。 「ニャっ!? ……な、なんでこんなに重いニャ〜……」 その様子を黙って見ていたレオが、ため息ひとつ。 無言で荷物をひょいと持ち上げると、モコに向かって言った。 「案内だけ、頼みます」 しょんぼりしていたモコが、ぱっと顔を輝かせて、 「かたじけにゃいニャ……! モコ、すぐに宿にあんにゃいするニャ!」 尻尾をぴこんと揺らして、ぽてぽてと先導し始めた。 夕暮れ色の風が、ふわりと頬を撫でる。 モコの揺れる尻尾を追いかけながら、俺たちは黄昏の都へと歩き出した。 *** モコに……あんニャい、いや、案内されるまま、俺たちは倭華でもっとも賑やかな市街地を歩いていた。 橙色の丸いランタンが道沿いにずらりとぶら下がり、そこはまるで、夢の中の夜市のようだ。 街には祭りのような活気が満ち、多種多様な種族でごった返している。 モコのようなコモコ族、コボルト族のような獣人系、耳の長いエルフ、頑固そうなドワーフたち……。 通りに並ぶ屋台では、なんとコモコ族たちが、せっせと料理をこしらえていた。 「見てよレオ!コモコ族がラーメン作ってる!?」 「……少なくとも、毛は入ってないとは言い切れませんね」 「ニャにを言うニャ!コモコ毛は隠し味ニャよ!」 「いや、隠れてないって! 口に入れた瞬間、真っ先に存在主張してくるやつだから、それもうダメなやつ!!」 (……ああ、でも。鼻腔をくすぐる懐かしい醤油の香りが、魂に訴えかけてくる……! まさにソウルフード……!) (ダメだ、急に日本食が恋しくなってきた。 白ごはんに味噌汁、焼き魚……ラーメン、餃子、半ライス……) (……いや、中華混ざってるし) 「今日はこのあと、リュシアン殿下の来訪を歓迎して──『天燈上げ(てんとうあげ)』をやるニャ。 よかったら、宿に荷物を預けたあとで見に行くといいニャ。綺麗ニャよ〜」 「天橙上げ……?」 「殿下は知らニャかったニャ? たくさんのランタンを空に飛ばすんだニャ。 もともとは、倭華の土地神様に祈りを捧げるための神事だったんだニャ〜。 今は観光客向けに、一年中やってるニャよ!」 「……兄さん、見に行きますか?」 「いや、そりゃ見たいけどさ……。でもレオ、夜通し飛空艇操縦してたろ?休まなくて平気なのか?」 「兄さんがいびきかいて寝てる間にラストエリクサー飲んだので、ご心配なく」 (そんなもん、もっと後半まで取っておくやつだろ……!!) 宿屋「蓮月館」に到着したのは、空が朱に染まりきった頃だった。 倭華の空は今も、永遠に沈まぬ夕暮れをそのまま閉じ込めたような色をしている 「ここが宿ですニャ!荷物はモコが預かっておくニャ〜。天橙上げ、見逃さないようにするニャよ!」 モコが愛らしい声でそう言いながら、ぽてぽてと宿の玄関に消えていった。 俺とレオは顔を見合わせる。荷物は少ないし、せっかくだから夜市を見て回ることにした。 「あ〜、ソースと醤油と出汁の香りがそこらじゅうから……。ヤバい、腹減った……」 思わずそんな声が漏れる。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに、胃が思い切り鳴った。 「やけに詳しいですね、兄さん。食べたことあるんですか?」 「食べたことある……っていうか、俺の世界にもこういう感じの屋台飯、あったんだよ。似てるかどうかは、食べてみないとわかんないけどさ」 レオは少し考えるようにしてから、俺を広場の一角に設けられた飲食スペースへ連れて行った。 簡素な木製のテーブル席に俺を座らせると、 「少しお待ちを。兄さんは動かないでくださいね」 そう言い残し、人混みの中へと消えていった。 (……え、俺レベル1なんだけど、大丈夫だよな?まさか異世界で置き去りイベントじゃないよな……いや、レオのことだし、絶対こっそり何かやってるに決まってる) そわそわしながら周囲を見渡していると、ほどなくしてレオが戻ってきた。 両手に紙パックを抱え、息も乱さず、涼しい顔のまま。 しかも、ひとつじゃない。山盛り。 俺がさっきから脳内で思い浮かべていたそれらが、次々とテーブルに並べられていく。 「どうぞ、お召し上がりください」 「えっ、いいの!?ってか量多すぎ!?」 「兄さんが食べたそうにしていたものを、可能な限り集めました。……どれが美味しいか、教えてください」 焼きそば、たこ焼き、餃子、焼き鳥に豚まん──どれも、見た目からしてかなり本格的だ。 (……もしかして、レオ。俺が「美味しい」って言ったやつを、城で再現しようとしてる……?いや絶対そうだ) もうなんか、そんなさりげない優しさが一番くるんだって……。 そんな感傷に浸っていた俺だったけど── レオは、なぜか向かいの席ではなく、俺のすぐ隣に座った。 ……いや、近い。近すぎる。 普通に座ってるはずなのに、肩が、ちょっとだけ……触れてる。 (えっ、えっ!? こういうときって普通、向かいに座るんじゃないの!?) でも今は、目の前のソースと香ばしさがすべてを打ち消してくる。 焼きそば、たこ焼き、餃子……どれも、見た目はかなり本格的。 とにかく俺の胃袋は今、本能で叫んでいた。 「いただきますっ!」 焼きそばのパックを手に取ると、あたたかくて、ほんの少し湯気が立っていた。 一口食べた瞬間、懐かしさと旨味が一気に押し寄せてきて、ほとんど涙が出そうになる。 「……うま……なにこれ、うま……」 レオは穏やかに微笑みながら、そっと俺の飲み物の蓋を開けて手渡してくれた。 「ほら、レオも食べなよ」 「いえ。幸せそうに食べている兄さんの顔を見ていたいので」 「……やめろそのテンプレ! こっちは気になって味わえねえよ! 俺の顔じゃ腹は膨れねぇからな!?」 「腹は満たされませんが……心は満たされます」 「食え! 黙って食えッ!! もう黙々と食え!!」 そんな混乱のツッコミを入れてる間にも、レオはどこか満ち足りたように微笑んでいて、 その横顔は、なぜかとても穏やかだった。 そして、観念したように木製のナイフとフォークを取り出し、 たこ焼きをそっと……まるで繊細な前菜でも扱うように、切り分けはじめた。 俺は思わず、二度見した。 (……まてまてまて!?たこ焼きってそういう食べ物じゃないだろ!?) しかもナプキンで丁寧にソースをぬぐってから、静かに口元へ運ぶという謎の上品ムーブ。 (いや、大阪人に見られたらブチ切れられるやつだこれ!!) レオは一口たこ焼きを口に運び、もぐもぐと静かに咀嚼したあと、紙ナプキンで口元をぬぐい、まるで紅茶のテイスティングのように一言。 「……これは、なるほど。外はふんわり、中はとろり。焦げたソースの香ばしさと魚介の出汁の風味……ぷりっとしたタコの食感が実に秀逸ですね。まさに庶民の贅沢」 「感想がティータイムすぎるわ!! たこ焼き食ってんだぞ!?」 「ですが……これは兄さんの好きな味、ですね」 「……なんで分かるんだよ! 怖ッ! っていうか、俺より俺の味覚に詳しいのお前だけだからな!?」 「自分の中で“兄さんの好きな食べ物リスト”は随時更新していますので」 そう言って、レオは焼き鳥のパックを開けたかと思うと、一串ずつ、ナイフで削ぎ落とすように見事な手つきで肉を串から外し始めた。 「ちょっと待て!! それは飲み会で一番やっちゃいけないやつだ!!」 「はい?」 「いいか?  焼き鳥ってのは──こう食うんだ!!」 俺は串ごと豪快にかぶりついた。 タレの香ばしい風味が口いっぱいに広がり、香ばしさが鼻に抜ける。 「うんま……ッ! これが焼き鳥の醍醐味だよ!!」 するとレオは、わずかに目を見開いてから、手を止めた。 「……なるほど。串ごと、かぶりつくことで、肉の香りと熱が一体化するわけですね」 そうつぶやいたレオは、次の瞬間、無言で手元の串にかぶりついた。 それは確かに“焼き鳥を食べる”という動作のはずだった。 なのに、その所作にはなぜか凛とした気品が宿り、まるで── “焼き鳥のほうが食べられる栄誉に預かっている” ……そんな錯覚すら覚えた。 「……美味しいですね」 「…………」 「どうしたんですか、兄さん?」 「……な、なんでもない」 口が裂けても言えない。焼き鳥になりたいと思ってしまったなんて……。 (くっ……勝負には勝った。  だが……戦には、負けた……ッ!!) 気づけば、レオの横顔をちらちらと盗み見るようになっていた。 隣で黙々と焼き鳥を頬張るその姿は、どう見ても「食事」なのに、なぜか優雅で、静謐で、妙に絵になる。 落ち着いた仕草で紙ナプキンを添え、串を捨てる動作すらスマートで──なんなんだこいつ、王族の血筋か? ……いや、そうだった。思い出した。 それにしても、なんだろう、この空気。 温かくて、柔らかくて、どこかくすぐったい。 さっきまで歩いた街の喧騒は、もう遠くにあるみたいで、今はただ、目の前のごはんの香りと、隣にいるレオの静かな気配だけがあった。 ひとくち、たこ焼きを食べる。 口の中にじゅわっと広がる出汁の味が、なんだか心まであったかくしてくれる。 もう一口、餃子を。 もう一口、焼きそばを──。 気づけば箸が止まらなくなっていた。 誰かと一緒に、こんな風にのんびり外でごはんを食べるのは、いつぶりだろう。 いや、そもそもこんな風に“誰かと一緒にごはんを楽しむ”なんて、前の世界では、あっただろうか? レオの気配が、すぐ隣にある。 視界の端に見える横顔が、どこか満ち足りていて。 それを見ているだけで、不思議とこちらまで心が落ち着いてくる。 (……あれ? これって、もしかして……デート? いやいや、でも一応“外交任務”なんだよな?どっちだこれ……??) ぐるぐると頭を悩ませていると、不意に脇から「ぽふっ」と小さな着地音がした。 「天橙上げ、そろそろ始まるニャ〜よ、殿下!」 声の主はモコ。いつの間にか俺の隣に来ていて、まるで当然のように尻尾をゆらゆら揺らしている。 その瞳は、どこか誇らしげに夜空を見上げていた。 広場の中心へと導かれると、そこには大きな灯籠台と、色とりどりのランタンが山のように積まれていた。 淡い橙の空に、ぽつりぽつりと光の粒が浮かびはじめている。 「リュシアン殿下、レオ様! おふたりのために、特別な天燈(てんとう)を用意してあるニャ〜!」 モコがそっと両手で抱えて差し出してきたのは、他のものよりもひとまわり大きな天橙だった。 金の花模様があしらわれたその布地は、光を吸い込むように淡く輝いている。 「天橙には願い事を書くんだニャ〜。火にくべて空へ上げると、土地神様に届くって言われてるニャよ」 「願い事、か……」 思わず俺は、手にした天橙の表面を指先で撫でた。手触りは柔らかく、どこか温かい。 「それは、ふたり用ニャよ〜。願いが同じ方向にあるひとたちにだけ渡す特別製ニャ」 モコはどこか誇らしげに、にこりと笑った。 「ふたり用……?」 「そう。中の紙に、一緒に願い事を書くニャ。文字でも絵でもいい。気持ちをひとつにして天に送るのニャよ」 モコが渡してくれた筆と墨を前に、俺は少しだけ迷った。 けれど、隣でレオが軽くうなずきながら天橙の包みをそっと開いたのを見て、胸の奥がふわりと熱くなった。 内側には、柔らかい光沢のある布と、その中心に白い小さな短冊のような紙が一枚──。 “願いを綴るための余白”。 「……兄さん、先にどうぞ」 筆を手に取ると、少しだけ緊張した。何を書くべきか、心がざわつく。 でも、ふと、隣のぬくもりを感じて、自然と筆先が動いた。 ──『レオの願いが叶いますように』 書いた直後、なんだこの甘ったるい願いは……と自分で自分にツッコミを入れたくなったが、 そのまま無言で筆をレオに渡した。 レオはそれを受け取ると、俺の文字を見つめて、小さく微笑む。 そして──その下に、静かにこう綴った。 ──『永遠に、兄さんの傍にいられますように』 書き終えたあと、ふたりしてその願いの短冊を見下ろした。 文字が重ならなかったのが、少しだけ嬉しくて、ちょっとだけ恥ずかしい。 「……これ、誰かに見られたら黒歴史すぎるな」 「見せませんよ。兄さんの願いは、俺だけのものですから」 レオがそっと天橙を閉じ、祈るようにその布を撫でる。 「願いが、届きますように」 「……ああ」 空を見上げると、先に放たれた天橙たちが、橙の空にふわりふわりと浮かび上がっていくところだった。 まるで星の生まれる瞬間を目の当たりにしているようで、俺は思わず、息をのんだ。 やがて俺たちの天橙も、ゆっくりと宙へ──。 ふたりの願いを乗せて、夜の空へと昇っていった。

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