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優しさと戸惑い 1
「ごめんね、病院ついていけなくて」
次の日は朝から色んなところに電話をかけたり必要な書類をチェックしたりしてだいぶ消耗した。
電話をかけるたびに同居人という関係で引っ掛かるから、番だったらもう少し話が早かったのかなと思ってしまったのはナイショ。こんなこと、今言ってもどうしようもない話だ。
そんなことをしているうちに、あっという間に仕事の時間になった。
違う仕事だったら有休を取りたいところだけど、あいにくモデル業にそんなものはない。それこそ休んだらあっという間に他の人にその場所を取られてしまう。それぐらいのモデルでしかない自分の反省はとりあえず置いといて、一人で病院に行く凌太くんの心配だ。
いくら記憶とは別に知識はあるとはいえ、昨日怪我をして記憶を失った人を一人で行かせるのが心配でたまらない。けれど凌太くんはあまり気にしていないようで、大丈夫だと笑って俺の背中を押してくれた。
朝ご飯も昼ご飯もちゃんと食べて具合も悪くなさそうだし、打撲した腕も安静にしていた方がいいとはいえ動かせなくはないらしい。
とはいえ心配は心配なのはしょうがない。まるで子供を初めてのお使いに出す親の気分だ。
「絶対タクシー乗ってね! 行きも帰りもだよ!」
とにかくそこは絶対、と言いおいて、後ろ髪を激しく引っ張られながら仕事へ向かった。
今日はファッション誌の撮影で、遅めのスタートだから助かった。
しかし若干いつもよりメイクが濃かったのは、たぶんくたびれた顔をしていたからだろう。プライベートでどんなことがあろうと仕事は仕事。ちゃんと服を魅せるために、使えない顔はしていられない。
無駄な時間は作らず、はりきって撮られましょう。
そんな気合の空気が伝わったのか、撮影は順調に進んだ。なんならいつもと違う雰囲気でいいとお褒めの言葉をいただいてしまった。どことなく憂いがあるとの評価だけど、それはそれで少し複雑な気分ではある。
とはいえ表現の幅が広がったと思えばいいだろうと納得して、次の人にモデル交代。いつもよりだいぶ巻いた気がする。
「蛍」
「あ、ミャーお疲れー」
着替えに行こうとしたタイミングで、この後の撮影で来たらしいミャーが駆け寄ってきた。
独特な模様の派手な柄シャツはミャーだからこそ着こなせるもので、つまりはまだ私服ということ。
「大丈夫か? って、大丈夫なわけないよな。飯は食ってる? メイク濃いな。顔色悪い?」
「ミャー優しい」
「そりゃそうだろ。大変な目に遭ってんだから」
「大変な目に遭ったのは俺じゃないし、俺は平気だよ」
「平気なわけあるか」
俺の頬を両手で包んで心配してくれるミャーはとても友達思いだと思うけど、とりあえずはメイクに行ってほしい。そりゃ元の顔がいいからそれほどメイク時間はかからないだろうけど、着替えもあるし気になってしまう。
「仕事終わったらなんか美味しいもの食べに行く? 話聞くけど」
「ありがたいけどすぐ帰る。凌太くん、病院から帰ってるだろうし」
顔を両手で挟んだまま話を続けようとするミャーの手から抜け出して、ありがたい申し出を断らせていただく。ただでさえあんな状態の凌太くんを一人で病院に行かせたのことが心配なのに、診察の結果や今まさに具合が悪くなっていないか、また事故が起きてないかと不安が渦巻いている。これじゃあなにも手につかない。
だからまた今度お願い、と立ち去ろうとした手を掴まれた。
「……昨日から思ってるんだけど、その名前呼びなに?」
「あー、これは、凌太くんが早く記憶が戻るようにって」
事が事だから一応小声で。まだ気恥ずかしい呼び方を指摘されて、なんとなく口ごもってしまう。
「でもお前らずっと名字呼びだろ? なんでわざわざ名前で呼ぶなんて真似」
「恋人同士なら名前で呼ぶだろって、凌太くんが」
「……本人に聞かせてやりてーな」
「ははは」
お互いが名字で呼び合っていることを知っているミャーからしたら、どうして名前で呼び合っているのかおかしく感じるのだろう。そして記憶を失った凌太くんの態度も。
そこはまあ、俺が「ラブラブな恋人だった」と見栄を張ったせいなんだけど、さすがにそれは恥ずかしいから黙っておく。
とりあえず俺は帰るから仕事頑張って、とヘアメイクへと押し出して、俺は再度着替えへと向かった。
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