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優しさと戸惑い 2
「おかえり」
「あ、た、ただいま」
鍵を開けようとした音で気づいたのだろうか。ドアを開けた途端凌太くんに迎えられて、うろたえてしまった自分が情けない。
いや、大好きな銀髪イケメンに「おかえり」なんて迎えられたら動揺しない方がおかしい。異世界転生をしたかと思った。
「おかえりのチューとかしない感じ?」
「し、しなっ……ごほっ、ごほっ!」
「大丈夫か?」
少し落ち着こうといつもより時間をかけて手を洗い、うがいをしている途中に顔を覗かせた凌太くんにとんでもない問いかけをされて思いきりむせた。
たぶん冗談で言ってきたんだろうけど、それはそれとして、おかえりただいまのチューとかしたいに決まってる。
でも一度、同棲初日にコンビニから帰ってきた朝生くんに「おかえりのチューしよう!」ってテンション高めに告げたら「は?」って返された時点で諦めた。いやあれは我ながら引くテンションではあった。一緒に住めるのが嬉しすぎてだいぶハイになっていたんだ。そしてそれ以降そんな提案はしなくなった。
それなのに、記憶を失った凌太くんの方からそんなことを言ってくれるなんて。ラブラブだという設定で話した罪が深い。
「チュー、し、してほしい」
「する? どこがいい?」
「どこ!? …………く、ほ、ほっぺで」
「可愛いな、蛍」
色々なパターンを高速シミュレーションした結果、絞り出すように答えた俺ににんまり顔で笑ってほっぺたにキスしてくれる凌太くん。
どういう状態でも俺を惑わせる男だな、この人は。
そもそも抵抗はないのだろうか。冗談で言っているのになにを本気で答えているんだとつっこまれるかと思ったのに。
言ってみるものだ。
「あ、一応報告しておくけど、体の方は問題なし」
そんな風に浮かれている俺を連れてソファーに座った凌太くんは、まず一番気になっていた病院の報告をしてくれた。
「わあ、良かったぁあああ……!」
「一応擦り傷のための軟膏と痛み止めは貰ったけど、いらなかったら飲まなくていいって程度だそうだ」
ほら、と打撲している腕を軽く振って見せる凌太くん。その手を止める俺。大事な腕なんだ。安静にしてもらわないと困る。
「記憶の方は、正直わかんないってさ。急に戻ることもあれば時間がかかることもあるそうだから、こればっかりはその人次第って感じらしい。ごめんな」
「謝んないでって」
凌太くんがここにこうやっていてくれることがなにより嬉しい。それは絶対。もちろん当人のためにも記憶は取り戻したいけど、凌太くんに謝られるいわれはない。
「……ちょっとハグしていいか」
「え、ど、どうしたの?」
わからないけどどうぞと両手を広げると、凌太くんはそれごと包むように俺のことを抱き締めてきた。
身長は俺の方が少しだけ高いけれど、胸板も腕の太さも凌太くんの方が厚くて太い。こういうところに、アルファとオメガの体の差を感じる。
「なんかさ、当たり前だけど全員知らない人ばっかだったから、蛍の顔見てほっとした」
「そっか。俺の顔で良ければいくらでも見て」
「ハハ、蛍の顔なら見たら代金発生しそう」
「なんと凌太くんは恋人特権で特別タダですよ」
「最高だろそれ。見すぎて穴空くかもな」
怪我もしているし誰の顔もわからないし、不安で疲れるのも当然だ。だから俺の顔でも癒しになるのなら嬉しい。……というか、たぶん俺、今犬みたいな尻尾があったらぶんぶん振っているだろう。
嬉しいかっこいい大好き。
朝生くんは超デキる男だから、こんな風に弱って甘えられることは滅多にない。だから珍しいし、記憶を失っても顔を褒めてくれるのはさすがにニヤニヤが止まらない。
「なんかほっとするんだよな、こうしてると」
存分にハグして、それから少し体を離した凌太くんは、そっと俺の頬に触れた。その指先が、意味を持って頬を辿り、唇の端で止まる。
「……なあ、ちゃんとキスしたいって言ったら、どう?」
「どうって……びっくりする。だって凌太くんにとって俺って、自称恋人の怪しい男でしょ?」
「まあ俺的には昨日会ったばっかりの相手だけどさ、なんか無性にしたいんだよな。フェロモンが合うのかな」
視線が熱い。
さっきのほっぺたへの可愛らしいチューがなんだったのかというくらい、欲を帯びた視線に突き刺されて思考が止まる。
だって、恋人なんて言ったって、あくまでそれは俺が言っているだけであって凌太くんに実感はないはず。そしてそれを強く信じるような要素だって俺は持ち合わせていないのに。
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