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優しさと戸惑い 3
「なにより、キスした時の顔見たい」
「ん……っ」
囁かれ唇を塞がれて、反射的でも押し返す手は出なかった。
そして実際してみて、改めて凌太くんは朝生くんとは違うんだなとわかってしまった。
すごい。唇も吐息も朝生くんのものなのに、違う人としてるみたい。でもまるっきり別人じゃないのは、唇の感触が同じだから。すごく不思議な感覚だ。
優しくて甘くて、どこかまだ遠慮の気配がある。
「やっぱ可愛い。つーかエロい」
「あんまり可愛いって言われると照れる……嬉しいけど」
「可愛いに慣れてないって、俺はどうやって蛍を口説いてたわけ? 美人? 綺麗? イケメン? あ、ミュージシャンならもっとポエムとか曲にしたとか」
「うううう……」
そんなこと言うなんて絶対違う人だ。だけどそれが朝生くんの顔と声で発せられるから、ひたすらに嬉しくて恥ずかしくて頭が爆発しそう。
複雑すぎる。キャパオーバーで頭が追い付かない。
「あ、そういえば俺の部屋だっていう部屋漁ったけど、特になにも見つからなかった」
俺があまりに茹っていたからか、凌太くんは軽く笑って話を変えてくれた。いやむしろミュージシャンからの連想かもしれない。
2LDKの我が家には、朝生くんの仕事部屋である防音室がある。ここに入居する時に許可を得た上で窓を潰すようにして壁全面と床に防音パネルを貼った部屋で、朝生くんはいつもそこで作業している。本格的な歌入れはスタジオでやるけれど、ある程度までならそこでできるらしい。
とはいえそこは朝生くんの城なので俺は入らないし手を出さない。だからそこになにがあるのかはまったく知らないんだ。
「というか機材とか高そうで触るの恐いし、パソコンもパスワードわかんないから入れないし、日記とかないし。ざっと見たとこだけだけど、なにか思い出しそうなもんはなかった」
「そっかー、パスワードかぁ」
朝生くんの性格からいって見えるところにパスワードを貼りつける人ではないので、本人とはいえパソコンの中を見るにはなかなか苦労しそうだ。
しかもたとえ仕事のデータをやメールのやりとりを見たところで記憶が戻るものなのかといえば、その可能性は薄い。
「スマホの方は一応顔認証で行けたけど、色んなものざっと見ても特になにも感じなかった。まあ、なんか鍵かかったファイルとかも多いし本当に軽く見ただけだけど」
「セキュリティ意識がしっかりしていてさすがだなぁ」
いいことなんだけど、この場合は記憶を失った本人にもその情報が手に入れられないということ。この分じゃパソコンと同じで、劇的な反応は起きなさそうだ。
「ギターも高そうだからあんまり触れないけど、突然メロディが浮かぶとかいきなり弾けるとかはないっぽい」
「だよねぇ」
俺がいない間に一通り試したらしい凌太くんは、そこでふと視線を落として俺の唇を見た。
「残念ながら、キスでも目覚めなかったな」
「ははは、そうだね。俺がお姫様じゃなかったからかな。あ、この場合凌太くんの方がお姫様かな?」
おとぎ話だったらキスですべての記憶が戻ってめでたしめでたし。だけど現実はそうはならず、凌太くんの中の朝生くんは目覚めてこない。……やっぱり俺とのキスじゃ反応してくれないか。不甲斐ない恋人で申し訳ない。
「回数が足りないとか?」
「じゃあもう一回し……んんっ、ん」
してみる? とふざけたつもりが、すぐに唇を塞がれて言葉を飲み込む。幾度か軽いキスを交わして、されるがままになっている間にソファーに押し倒されていて。気づいたら凌太くん越しに天井が見える体勢になっていた。
「それとも情熱が足りないか?」
もう一度、戯れのようなキスを落としてから俺の目を覗き込む凌太くんは、俺の判断を待っている。
このまま先に進めば、本当の番のような甘ったるい関係になれるかもしれない。朝生くんではなく、凌太くんとして新しい記憶を作っていって、そこにはちゃんと俺がいる。そんな未来もあるのかもしれない。
ただ、それって本当にいいことなのか? と頭の中の自分が囁く。
「……焦っても仕方ないし、安静にしないとダメだよ」
その声で熱が冷めて、さすがにこのまま流されるのはよくないだろうと、凌太くんの肩を押して体を起こした。
正直なことを言うと、迫られ慣れていないというのも戸惑う一因かもしれない。
「確かに、焦った。ごめん」
思ったよりあっさりと引いてくれた凌太くんは、体を起こして俺のことも起き上がらせてくれた。
とはいえ、この微妙な空気の気まずさは心当たりがあるから空気を変えたくて周りを見回す。
何気なく、しませんかとお誘いした時に「明日仕事だろ」とすげなく断られた自分が蘇って居た堪れない。
ヒートの時は言わなくてもしてくれるのに、普段はお互いが次の日になにも予定がない時ぐらいしか手を出してくれない朝生くんを思い出す。まあその分ヒートの時がとても濃いから釣り合いは取れているんだろうけど。
……いや、今はそんなことを思い出している場合ではない。
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