12 / 52

優しさと戸惑い 4

「凌太くん、お腹空いてない? なんか作ろうか?」 「あ、そうだった。ちょっと待って」  とりあえず欲の種類をずらしてみようと提案すると、凌太くんはソファーを肘掛けを跨いで降り、キッチンへと駆けて行った。 「これ、病院帰りに買ってきた」  冷蔵庫を開けてなにかを取り出すと、すぐさま元の位置に戻ってくる。ただ俺との間に微妙な半人分の距離がある。 「え、すごい。可愛い」  凌太くんがテーブルに乗せたのはケーキの箱だった。覗き込むようにして開ければ、色とりどりのケーキがいくつも入っている。  スクエアのショートケーキには大きなイチゴが乗っていて、粉砂糖が雪のようなガトーショコラに生クリームの乗ったチーズケーキ、艶やかなコーティングが可愛らしいレモンケーキ、ドレスみたいなモンブランに色鮮やかなフルーツタルトと、まるで箱の中でパーティーが開かれているようだ。 「ここのケーキ美味しいから好きなんだ。どうしてわかったの?」 「財布にここのレシートが入ってたから」  ものすごい偶然か、それとも相性の良さか。そんなドキドキの考えは呆気ないネタバラシで一瞬にして霧散する。 「あ、そっか」  思い出された記憶でもなく単純な購入の記録。  ……朝生くん、こういうの買うんだ。  家には買ってきたことがないから、誰かに向けて買ったのだろう。そもそも俺が知ったのも仕事の時に差し入れで貰ったものだから、流行っていて朝生くんも差し入れしたのかもしれない。まあ、こんな可愛らしいケーキを差し入れに持っていく場所はあまり想像できないけれど。 「どういうのが好きかわからないからいくつか買ったんだけど、好きなの選んで」  想像で落ち込みそうになって、凌太くんの声で慌ててケーキに意識を戻す。 「えーどれでも美味しそうだし先に凌太くん選んでよ」 「俺は蛍がなにが好きか知りたい」 「俺も凌太くんがなにが好みか知りたい」  忘れてしまったのなら知るところから。  考えは二人とも同じようで、笑い合ってそれぞれ食べたいものを指差した。凌太くんはレモンケーキ、俺はガトーショコラ。  選んだケーキをお皿に載せて、ついでに凌太くんにはティーパックの紅茶を、自分用にココアを入れて、凌太くんの無事を祝うお茶会を開いた。  ……自ら買ったりはしないけど、朝生くんは意外と甘いものが好きだ。この中だったらきっとホイップクリームに惹かれてチーズケーキを選んでいただろう。  そんな小さな違いにちくんと胸が痛んで、けれど気にしないようにしてケーキを口に入れる。  濃厚なショコラの苦みと甘みが、胸の痛みを甘く包んでくれた。もう一口、と頬張っていると、視線を感じて横を向く。 「一口食べる?」 「……買っといてなんだけど、蛍ってモデルなんだよな? カロリーの制限とか大丈夫か?」  すでに一口分しか残っていないケーキを指して聞くと、凌太くんは恐る恐ると言った様子で聞いてきた。俺があまりにも躊躇なく食べているから気になったのかもしれない。  今はもう俺の体質を知っていて気にもしない朝生くんにも、昔同じようなことを聞かれたっけ。懐かしいなと口元が緩んだ。 「なんか太らないんだよね、俺。むしろヒートの時とか痩せすぎちゃわないようにカロリー多めに摂らないといけないくらい。朝生くんも食べろって言うし」 「毎回そんだけ激しいってこと?」 「……もう一個食べちゃおうかな」  緩みすぎた。  その話題から離れようとしたのに、自分でネタを放り込んでどうする。  焦っても仕方ないなんて偉そうに言った傍からすぐこれだ。うかつすぎて、朝生くんに笑われてしまう。  いつもみたいに軽くかわす朝生くんじゃないんだ。変な空気にならないように、もっと慎重に距離感を測らないと。  大丈夫、転ばないよと言ったばっかりですぐつまづく俺を、余裕を持って支えてくれる朝生くんにいつも言われていた。まっすぐ前を見るのはいいけど足元をおろそかにするなって。  そう。まずは足元を見て、ここにちゃんと凌太くんが、俺の隣にいてくれることを確認する。焦らず日常を過ごす。先生もそれがいいと言っていたじゃないか。  まだ出会ったばかりの凌太くんとの距離をちゃんと測れば、後はなるようになる。きっとそういうものだ。  求められれば話すけど決して無理やり記憶を思い出させようとしない。怪我を治すことを最優先。それを意識して過ごした数日はとても穏やかだった。  最初の設定のせいで距離が近い凌太くんとするキスは、少しだけ慣れた。スキンシップが多いのも朝生くんとは違うけど、その手で触れられるのはやっぱり心地よくて。  そうやって日が経つうちに凌太くんの腕の怪我もだいぶ良くなり、見た目だけならさほど気にならなくなった。  このまま穏やかに暮らしていけば、いつかは記憶が戻るのかもしれない。そうじゃなくても、俺のことを好きでいてくれる凌太くんに甘やかされる日々はだいぶ魅力的で、蠱惑的で。  もしもこのまま可愛らしいカップルになれるのなら、それでもいいのかも。  そんなことを思った矢先のことだった。

ともだちにシェアしよう!