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知っているのに知らない人 7
「はい」
家に着いて開口一番、夕凪 先輩はそう言って両手を差し出してきた。
一瞬面食らうも、持ってきたお土産の入った袋を渡せば、先輩はにこりと(とは言ってもブツを受け取ったヤクザみたいな顔で)笑って部屋の中に戻って行った。
迎えにきてくれたわけではなく、欲しいものを取りに来ただけらしい。
とりあえず俺たちは勝手に靴を脱いで後を追う。
夕凪先輩は俺にとっては大学の二つ上の先輩。そして先輩のバイト先がライブハウスだったため、朝生くんのことも知っていて、つまり俺たち二人ともの顔見知りだ。そしてひょんなことから二人の関係を知られて以来、頭の上がらない先輩として度々お世話になっている。
短い金髪に加え普段は丸型のサングラスをしているせいで、中華マフィアかなにかのヤバい売人か、というような怪しげかつ怖い見た目をしているけれど、中身はそこまでではない。
現在は音楽ライターをしているから、朝生くんが雑誌に載る時のライターとして名前を見ることも多い。
そんな先輩だからこそ、俺の知らない本当の朝生くんのことも知っているはずだし、もちろん俺の話も知っているからここなら本当のことがわかると思った、んだけど。
「なんだ。あそこのケーキじゃないのか」
パソコン前のゲーミングチェアに座って袋の中を漁る夕凪先輩。その絵面は怖いけど、内容は可愛らしい。
「あ、なにか食べたいのありました?」
「ほら、言ってたじゃん。前に差し入れでもらったケーキが美味しいって言ってたから、その店リョ……あ、これナイショのやつだったわ。ソーリーソーリー」
とても気になる雑な誤魔化し方をして、先輩は中のエッグタルトを掴み出した。これはこれでお気に召したらしく、さっそく噛みついたから安心して勝手にソファーに座る。
差し入れのケーキと言われて思い出すのは、凌太くんが病院帰りに買ってきてくれたお店のもの。
確かに先輩には前にケーキの写真を見せて聞いた。こういう情報にも詳しいからお店がわからないかどうかと。でもなんでそれがナイショなのか。
教えたのは朝生くんに、ということか?
じゃあ凌太くんが見つけたレシートは夕凪先輩へのお土産……だとすると話が変か。
「ま、いいや。で、記憶喪失なんだって? マジのやつ?」
「マジじゃないやつあります? てか、そうじゃなきゃ来てませんよ」
初めて会う凌太くんだって、口も挟まず黙ってるけどそろそろ気づいているだろう。とても面倒な先輩だと。
俺の言葉にもギャハハと愉快そうに笑い、それから指を舐めて凌太くんに視線を向けた。
「えーじゃあ俺も初見?」
「はあ。えっと、先輩なんですっけ?」
「わは、なにその口調。俺と月夜見が大学繋がり、お前とは音楽繋がりだよ。マジで忘れてんの? こいつのことも? そりゃ重症だな」
「俺が蛍のこと覚えてないの、やっぱり変なんですか」
「ほたる! 蛍って呼んでんの? お前が? 名前で? マジで重大事件じゃん」
「いやだって、恋人同士なら普通呼ぶでしょ」
「えええー今の録音したいからもっかいゆってぇ〜! アンコール! アンコール! あ、ついでに『俺は蛍を愛してる』ってイイ声で言っといて。きっと将来的に役立つから」
ひひひ、と歯を見せて笑う夕凪先輩。いっそ可愛らしいほど無邪気な様子ではあるけれど、仕事用のボイスレコーダーを片手に目を輝かせられたらとてもいい使い方をするようには見えない。例えるなら強盗に鍵を渡すようなものだ。
「……蛍、俺この人苦手なんだけど」
「なんと朝生くんも苦手としてます」
当然苦い顔になる凌太くんに、こそこそと囁く。
夕凪先輩はこういう人だから、弱みを握られるととことんよろしくない。
悪意はあるけど悪気はないというか、無邪気な子供のまま大人になってより磨かれたというか、味方の悪魔みたいな人だ。頼もしくもタチは悪い。
だから必要なこと以外では直接会いたくなかったんだけど、この場合は仕方なかった。なぜなら俺と朝生くんの両方の素の姿を知っているのはこの人しかいなかったから。
「まあ俺も結構付き合い長いからねぇ。頼るよね。わかる」
うんうん頷きながらビールのプルタブを開ける先輩はとても上機嫌。嫌な予感しかしない。
「例えば、バンドを取っ替え引っ替えしてた時に、黒髪で目立たないように地味ーにギター弾いてたリョータを、一番後ろからキラッキラの目で見てた月夜見とか」
「いやそれは別にいいじゃないですか」
大学に入ったばかりの頃の話を突然持ち出されて、懐かしさと恥ずかしさで手を振る。見てたけど。後方彼氏面どころか後方全力ファンっぷりを晒していたけれど。
今俺の話はしなくていいじゃないか。
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