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知っているのに知らない人 9

「これ、俺……?」 「え、これ蛍? ……そっか。モデルなんだもんな。めちゃくちゃ美人」  それは俺が前に出たことのあるブランドのファッションショーの動画だった。画角からして正面に近い場所から撮られたもののようだ。  水墨画がコンセプトのモノトーンを基調とした服は大きく首元が開いていて、それに合わせていつもの首輪はしていない。厳かな雰囲気と相まって我ながら別人のように見える。  自分でさえそう思うのだから、凌太くんにとっては普段とのギャップを強く感じたのだと思う。ちゃんとプロにメイクしてもらっている上にショーの最中なこともあって雰囲気がだいぶ違って見えたのか、凌太くんが覗き込みながら感心しているのが気恥ずかしい。 「これ、どうしたんですか」 「そこの奴に頼まれたんだよね。どうしても見たいから動画くれって。ま、俺にも色々なツテがありますから? お望み通り手に入れました。よく撮れてるっしょ?」 「……朝生くんに?」  指を差したのは凌太くんだったけれど、この場合は朝生くんなんだろう。  朝生くんが、わざわざ先輩に頼んだ? この動画を? 「これを送ったお礼にワインをいただきました」  どうやら飲んだワインの味を思い出しているらしく、ご満悦な表情をする先輩。ということは安いものではなかったはずだ。そこまでしてこの動画を手に入れたかった、と? 「な、なんで?」 「いやそりゃ見たいからでしょうよ。恋人の晴れ姿、しかも目玉の服もらってるよね、これ」 「朝生くんが、見たい? なんで?」 「いや見たいだろ。なんでそんな不思議そうな顔してんの」 「だってそんなの一言も……」  ショーに出る時は報告していたけれど、大したリアクションはなかったし、帰って来た時も興味なさそうだったのに。わざわざ先輩に頼んでまで動画を手に入れていたなんて、意味がわからない。  凌太くんじゃなく、朝生くんが、なんでしょう? 「ヒネモスのメンバーにも聞いたんだろ? リョータが他でどう言ってんのか。事実だよ、信じな」  アポを取った時に三人に会った話はしたけれど、細かい内容は喋っていない。だけど予想がつくのか、先輩は呆気なくそう認めてスマホを置いた。なにを話したか簡単にわかるくらい、朝生くんの行動は知られているのか。 「リョータが俺に連絡してくるのは、お前の情報が欲しい時と、自分のノロケを口止めする時。俺が書いた記事で『Brace』の話が詳しく載ってないのはそういうわけ」 「え、あの、ちょっと」 「まあ、とりあえず 色々恥ずかしい思い出がいっぱいあるからさ、聞きたくなったらいくらでも聞かせるからいつでも来な。お土産付きなら歓迎してあげよう。ってことで帰って。俺忙しいから」  いつでも来いと言うわりには返す刀で追い出されて、混乱が深まったまま外に出た。  今最後の最後でものすごく重要な情報を詰め込まれた気がする。  俺の情報? ノロケ? 『Brace』は番になりたくてもなれない曲だと聞いたけれど、その話をライブでしていたの? ……それが『買収』ってこと? 「なんか俺、思ってた以上に蛍のこと好きだったんだな」 「いやたぶん、なんか認識が違うと思うんだよな。いや、うん、嫌いではないだろうしそれなりに好きではあってくれたと思うんだけど」  凌太くんは先輩の話を聞いてしみじみ納得しているけれど、俺の方は余計疑問と謎が強まっただけだ。  俺の知っている朝生くんと、みんなが語る朝生くんの話がズレすぎてて同じ人だと認識できない。なにもかも印象が違いすぎる。一体どうなってるんだ。  そもそも朝生くんの話を聞きに来たのに、なんで俺の話ばかり聞いているんだ。やっぱりからかわれているのか? 「なんか、むしろ俺の恥ずかしい話ばっかりじゃなかった? これじゃあ凌太くんの記憶を取り戻すきっかけにならなくない?」 「けどさ、みんな俺の話になると同時に蛍の話になるのって、それだけ普段からしてたってことだろ? それがつまり『朝生凌太』ってことじゃないのか?」 「……なんでなんだろ?」 「なんでって、好きだからだろ?」 「それを俺だけ知らないってあり?」  周りに語っていて、周りはみんな知っていて、だけど当事者のはずの俺だけがなにも知らない。  誰よりも近くにいたはずの俺が、大好きな朝生くんのことをなにもわかっていなかったってことなのか? 「あー、とりあえず家帰るか。俺もよくわかってないんだから、蛍やばいだろ。目白黒してる」 「全員口裏合わせてるとか、洗脳の可能性は?」 「そこまで信じられないって、それこそ俺どういう態度取ってたんだよ?」  凌太くんまで不安にさせるほどの困惑を振りまきながら、俺たちはそのまま家へと戻った。  どうして最初よりも人に聞いた後の方が余計謎が深まっているんだ?

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