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一線を越える 1

「なんか、全然思ってた感じと違ったな」  なんとか家に辿り着いた俺たちは、ダイニングの方のテーブルに座って飲み物を飲んで一息つく。落ち着くために甘めのコーヒーを入れた。  なんというか、怒涛の時間だった。 「違い過ぎて別人の話聞いてるみたいだった」 「そうか? 俺は割と俺の想いに近いと思ったけど」 「?」 「すごい驚いた顔してる」  ひらひらと目の前で手を振られ、自分の顔に手を当てる。そんな仕草に小さく笑って、凌太くんは頬杖をついて俺を見た。目が優しい。 「だって普通に暮らしてるだけで蛍のいいとこいっぱい見つかるし。いつも笑顔で可愛いとことか、料理の味も俺に合わせて変えてくれてんのにそれを感じさせないようにしてる気遣いとか、本当ならもっと『朝生くん』に言いたいことがいっぱいあるだろうに我慢してる素振り見せないとことか、黙ってれば高嶺の花って感じの美人なのにちょっと抜けてるとことかも可愛いし、居心地いいんだよな、蛍の隣」 「あの、あんまり褒めないで。熱出ちゃう」  指折り数えられ、頬に当てていた手がじんわりと汗ばむ。  まさかそんなに見られていたとは思わなかった。恥ずかしいことだらけだ。 「そういうとこも可愛いけど、そんな蛍に愛されてんのにちゃんと返してない俺自身にはちょっと怒ってるし嫉妬してる」 「自分に嫉妬?」 「俺だけど俺じゃないだろ  記憶がない凌太くんからしたら、朝生くんは本人であっても別人のようなものらしい。凌太くんは凌太くんで、複雑な思いを抱いているようだ。  当たり前だ。周りが当然のように語る自分を、自分が一番知らないのだから。  ……いや、みんなの語る朝生くんを知らないのは俺も同じだ。そう思えば凌太くんの気持ちもわかろうというもの。  本人ではないから絶対的にわかるなんて言えないけれど、思えば俺も同じような立場だ。  なんだ、同じスタートラインじゃないか。 「凌太くんとは、ちゃんと恋人でしょ?」 「……マジでなんでこんな可愛い相手に可愛いって言わないで抑えられてんのかわかんねぇ」  思わずといった態度で立ち上がった凌太くんが、俺をハグしてしみじみと呟いている。  それぐらい正直に気持ちを口にしてくれていれば、もう少し俺も朝生くんの気持ちがわかったかもしれない。俺ももう少し素直に聞けばよかった。あんまり聞いて、面倒臭いと思われたり嫌われたくなくてわかったようなふりをしてた。そのせいで色んなものを見過ごしている気がする。 「あ、なあ、ライブのDVDとかあんの? ヒネモスだっけ?」 「あるよ。見る?」  しばしのハグに浸っていると、凌太くんがそんなことを言い出した。答える俺に耳か尻尾があったら、盛大に立ち上がっていたことだろう。 「見てみたい。蛍が惚れたバンドマンの俺」 「えー、どれにしようかな。全部かっこいいから全部見てほしいんだけど」  即座に凌太くんの手を引いてソファーの方に移って、俺はテレビの前に膝をつく。テレビ台の引き出しに入れてある俺のコレクション。いくつか見ちゃダメだと取り上げられたものがあるから全種類揃ってはいないけど、それでも朝生くんのライブ姿が見られる大事な宝物だ。  一枚選んでレコーダーにセットすると、ソファーに並んで座って鑑賞することにした。凌太くんは当たり前のようにくっつくけど、この距離感がくすぐったい。ただせっかくだから俺からもくっついて恋人同士の距離になってみる。  とりあえず全部見てほしい気持ちをぐっと抑えて、一番スタンダードなライブを見せることにした。初めて大きなホールでやった時のものだ。  何度見ても何度聞いてもイントロから鳥肌が立つくらいかっこいい。 「……マジでボーカルなんだな俺」 「かっこいいでしょー? 普段の朝生くんもかっこいいけど、歌ってる時は特別かっこいいよね。低音の掠れ具合がセクシーでさぁ」 「めちゃくちゃモテそう」 「ふふふ、そりゃモテるよぅ。かっこいいもん」  同一人物のくせして他人事のように言う凌太くんに笑う。  まだ朝生くんが色んなバンドを転々としていた時は何回かライブハウスに行った。いつでも輝いてて本当にかっこよくて、早くみんなに知ってほしい気持ちと独り占めしたい気持ちでいっぱいだった。  もちろん当時から朝生くんは人気だったし色んなバンドから誘われていた上にファンもすでについていた。  だけどいつもなんとなくつまんなそうで、一人抜けたり解散したりであまり一つのところに定着しなかったんだ。  だけど今のメンバーと出会ってからは本当にのびのび音楽を楽しんでいる感じがしたし、事実すぐにデビューして売れた。ファンも増えたし会場も大きくなった。  でもそこからなんでか俺にはライブ禁止令が出て実際のライブ会場に足を運ぶことはなくなったんだ。  まあ代わりにDVDが出るようになったから、繰り返し見れるようにはなったけど。

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