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一線を越える 5
「……ん?」
なにか聞こえた気がして気だるく重いまぶたを上げる。
ベッドの上。体はさっぱりしていて、どうやら凌太くんが後始末をしてくれたらしい。シャツもパンツも着ているから、ここまでしてくれたんだろう。
ただ肝心の凌太くんの姿が見えない。
代わりに寝室の入り口のドアが薄く開いていて、リビングから洩れる光が見えた。そしてその隙間が音の元らしい。
「りょうたくん?」
凌太くんが誰かと話している声がする。でも一人分の声しかしない。電話だろうか。
「……はぁ? ふざけんなよ」
もしかして病院からなにか、ともつれそうになる足で寝室を飛び出した途端、凌太くんの声が大きくなった。
スマホを手に、険しい顔をしている。なにか、怒ってる?
「どうしたの?」
声は出さずに口パクだけでなにかあったのかと問うと、俺が起きてきたことに驚いたのか、凌太くんが目を丸めてこちらを見た。
「あ、いや。なんでもない。なんか、イタズラ電話」
タップして切ったのか、スマホをその場に置いてよろける俺に手を貸してくれる。
「そんなことより体大丈夫か? いいから寝てろよ。疲れたろ」
そういえば朝生くんもこんな風にやたらと体の心配をしてくれたな。大丈夫だと言っているのに、負担をかけないようにとあれこれ気遣ってくれた。
やっぱり根っこの優しさは変わっていないんだ。それがなんだか嬉しい。
「へへへ、またお姫様抱っこで連れてってくれる?」
「……蛍、が望むなら」
さすがにお姫様抱っこはやりすぎだと思ったのか、さっきを思い出して恥ずかしくなったらしい凌太くんがそっと目を逸らせる。それでも嬉しい答えをくれたからにやけてしまった。
「冗談だよ。俺は頑丈だって言ったでしょ。それより凌太くんも一緒に寝ようよ。疲れたのは凌太くんも一緒でしょ?」
手を引っ張ってベッドに戻ると、ちょっと照れながら向かい合わせに寝転んだ。
「なんか、恥ずかしいかも」
まるで同棲した初日みたい。
その時はまだ家具が揃ってなくて、マットレスを敷いて二人で寝た。
引っ越しで疲れてるし仕事があるからと一回だけして、それからもう一回しないのかとねだる俺を抱きしめて強引に寝かせてきた朝生くん。同じような体勢で、それを思い出した。
今は基本背中合わせで寝ることが多くて、向かい合わせに寝て喋るなんてことはしない。だからピロートークみたいなことが慣れなくて妙に照れる。
それ以外のことはたくさんしているというのに、恋人同士みたいな仕草が照れるなんて本当に今さらすぎるけど。
「蛍、の、明日って、予定なんだっけ」
「明日? 明日は明後日の撮影のために髪切りに行く予約してるけど、お昼からは特にないよ」
一応俺の予定は朝生くんも見れるネット上のカレンダーに共有してる。けれど元々の朝生くんも見ていなかっただろうし、凌太くんもほぼスマホは触っていないから予定はいつも口頭連絡だ。
ミャーくらい売れっ子だと毎日撮影があるんだろうけど、俺くらいのレベルだとジムとレッスンと自分を整える日と仕事とで一週間が埋まる。たまにオーディションは受けるけど、いくらでも優秀なアルファのモデルがいるんだ。迫力で敵わない分、地道な努力を重ねるしかない。それだって、効果があるかなんてちっともわからないんだけど。
「なになに、デートでもしてくれる?」
ふわふわした頭で調子に乗ったことを口にしてみたけど、あくまで軽口のつもりだった。でも、凌太くんはそうは取らなかったようだ。
「……そうだな。デートするか」
「……へ?」
予想外の答えが返ってきて、間抜けな声を上げてしまう。自分で言いだしたこととはいえ、まさか本当にそんな返しをされると思わなかったから。
「どこがいいか考えといて」
「デート?」
「したくないなら無理にとは言わないけど」
「したいよ。したいけど、デート? 俺と凌太くんが?」
「何度言うんだよ。あ、待った。体が辛くなければ、な」
たまに二人で買い物に出かける時は勝手にデートと呼んでいたけれど、呼び名だけじゃない本物のデートをするのか? 明日?
あまりに現実味がなさ過ぎて繰り返す俺に、軽く眉をしかめた凌太くんがすぐに俺の心配に移る。
そうか。最初にしては激しかったもんな。男の体だし、凌太くんは優しいから心配にもなるか。
でも、逆に言えば激しくても一回は一回だ。消耗はそれほどじゃない。
「凌太くんは知らないだろうけど、ヒートの時は一日中してるから大丈夫だよ。これでも体力はあるんだから」
抑制剤は効くけれど、無理やりフェロモンを抑え込むために体に負担がかかるのは事実。だから仕事の時以外はいつも朝生くんが発散させてくれる。無尽蔵かと思うほどに湧いてくる性欲には辟易するけれど、朝生くんがそれを受け止めて何度も気持ち良くしてくれるからヒート期間はいつも甘えてしまうんだ。
特にオメガのフェロモンに煽られ、アルファの発情であるラットを起こしている朝生くんはそれはもう美しい獣で恐いぐらい色っぽい。そうなると本当に一日中しているから、いくら激しくても一回くらいならなんともない。
「……じゃあまあ考えといて」
「どこでもいいの?」
「行ける範囲でな」
「なんで急に?」
「蛍が行きたいかと思って」
凌太くんからしたら、恋人をデートに誘うのは当たり前なのか。そうか。恋人同士ってそういうことか。
一線超えたことで、思いが加速したのかもしれない。
「へへへ、行きたい。デートしたい。……やばい。楽しみすぎて寝らんないかも」
「いいから寝な」
おでこにちゅー、された。
しかも抱きしめられた。
ちょっと糖分が過剰じゃないだろうか。やっぱり一度したから距離が縮まったのか?
こんなデレ方されたら、心臓のドキドキがうるさすぎて寝れやしないじゃないか。
「……あの、凌太くん、もう一回する?」
「朝から髪切りに行くんだろ。寝ろ」
「……はい」
さっき自分でいった予定とともに真っ当な意見を返されて、今度こそ大人しく目を閉じた。
こう見えて生真面目な部分も変わらない。やっぱり記憶がなくても根本的な部分は同じなのかもしれない。
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