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砂上を歩く 1
次の日は朝から浮かれっぱなしだった。
朝、幸せな気だるさから目覚めたらすでに凌太くんは起きていた。そして作ってもらった朝ご飯を食べて送り出されて、予約の時間より少し早くヘアサロンへ向かった。俺の恋人が男前すぎる。
そこで、誰もが惚れるような可愛さに溢れた魅力的な髪型にしてください、という大変抽象的で厄介なオーダーをして、お任せで切ってもらった。夏向けの撮影があるし、さっぱりと髪が軽くなったおかげで危うくスキップで辺りを飛び跳ねるところだった。
スキップする180の男はさすがに不審者だ。
けれどそれくらい浮かれるものなのだ。朝生凌太とデートというイベントは。
たとえ、記憶を失った後で俺のことを一切覚えておらず、人となりを知る前に「恋人である」という条件を押し付けてしまった人だとしても。
ともかく、怪しく思われないように極めて大人しく待ち合わせ場所に向かった。浮かれすぎた結果職務質問でもされたら台無しだ。
約束の時間よりだいぶ前に着いた駅で、スマホを片手に楽しい待ち時間を過ごす。待っている間もデートだとはよく言ったものだ。一分一秒が楽しい。きっと急な仕事が入ったとドタキャンされたとしてもあまり傷つかないくらいには浮かれている。
そんな、地上から数センチくらい浮いているんじゃないかという状態だったから、すぐ傍に車が近寄って来たことも大して気にならなかった。
「なあ美人さん。乗ってかない?」
だから開けた窓の奥から声をかけられてなお、それがなんだか正しく認識できなくて。
「……凌太くん?」
むしろやばい人に声をかけられたのだと思って危うく無視するところだった。たまにいるんだ。俺の首輪を見て、面白半分で声をかけてくる男が。
普通のオメガと違うから、なんとなく軽くイケるんじゃないかと思われるらしい。
だから今回もその手のものだと思ったけど、全然違った。
あまりに予想外の登場だったから、反応がだいぶ遅れてしまう。サングラスに銀髪のイケメンなんてそうそういるわけないのに。
「く、車、どうしたの?」
「借りた」
まさかの車で登場した凌太くんは、俺の疑問を一言で返してくる。あまりにあっさり返されて、口をあんぐりさせてしまった。
レンタカー? それとも先輩? いやメンバーの誰か?
「運転には記憶関係ないからな。まあ、蛍が不安ならやめとくけど」
「ううん、嬉しい。よろしくお願いします」
「ん、乗って」
記憶がないのは人間関係に対してだけで、日常生活を送るのに支障がない部分の知識があるのはわかってる。運転もそこに属するのだろう。たとえそうでなくても、元々器用なアルファだし心配はしていない。疲れたら俺が運転したっていい。
ただただ予想外だっただけだ。まさか車で迎えに来てくれるなんて思わなかったから。
ドライブデートなんて絶対したいに決まってるじゃないか。
とりあえず写真を撮りたい気持ちは山々だけど、駅前でずっと停まっているわけにいかないからそそくさと乗り込んだ。
「で、どこ行くって?」
「海行きたい」
「この時期に?」
「うん。人いなくていいかなって。デートっぽくない? 海」
「いいけど。蛍が行きたいなら」
ピンとは来なかったようだけど、それでもどの辺? と聞いてナビに入れてくれるところが優しい人だ。
とはいえ別に特定の目的地があるわけじゃなくて、フィーリングの問題だから適当に決めた海に向かって走り出した。
どこだっていいんだ。二人で出かければそれがデートだから。
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