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砂上を歩く 3
潮の匂いを感じながら海沿いの道をしばし走り、凌太くんは大きな駐車場の端っこ、一番海に降りやすい場所に車を停めてくれた。
きっと海水浴の時期だったらここもいっぱいだろうけど、今は一台も停まっていない。
当然だ。まだ海に入るような時期じゃないし、潮風は少し冷たい。だからこそできる海の独り占めならぬ二人占めに、テンションが上がらないわけがない。
「よし、入ろう!」
「まだ冷たいだろ」
「足だけ!」
誰もいない海にはしゃいで、コンクリートの部分に脱いだ靴を並べて置いてそのまま砂浜に駆け出した。砂はどことなくしっとりしている。
一応モデルを職業としている身としては日焼けしないのも仕事のうち。だから撮影で来たとしても夏の海で思いきりはしゃぐことはなく、こんな風に全速力で海に向かって走ったりもしない。
「あ、冷たい!」
「だから言っただろ」
ばちゃんと踏み込んだ足が思ったより冷たくて、思ったまま叫んだら呆れたつっこみが飛んできた。とはいえ嫌な冷たさじゃない。
だからそのまま波を跳ね上げながら波打ち際を駆ける。時期が時期なら海水浴客でいっぱいだろうけど、時期外れなおかげで贅沢に海を貸切だ。
大きく手を広げてくるりとターンすれば、ゆっくりとこちらへ近づいてくる凌太くんの呆れ顔が見えた。
「大型犬だな、まるっきり」
「わん!」
「気に入るなよ」
思ったより可愛い喩えをされて、大きな声で鳴いたら吹き出すように笑われる。
だから勢いよく駆け寄ろうと踏み出した瞬間、濡れた砂に足を取られてバランスを崩した。
「わ、わん!」
「なんでだよ。ったく、危ないだろ」
転ぶ、と思った瞬間、反射的に叫んでしまった俺を、やすやすと抱き留めた凌太くんが呆れたように注意してくる。そして一瞬遅れて心臓が早鐘を打ちだした。
危うく無防備に砂に突っ込むところだった。顔に怪我でもしたら明日の撮影に迷惑をかけてしまったかもしれない。そう思うと今さら焦りと恐さでドキドキが止まらなくなる。
「わぅ……」
「はいはい、恐かったな」
そしてそれをわかってくれている凌太くんに、本当に犬にやるみたいにわしゃわしゃと髪を乱されて、違う意味でドキドキしてしまった。
人より身長の高い人生を送ってきたから、誰かの頭を撫でることはあっても撫でられることは滅多にない。だから普通より耐性がなくて、普通以上にこういうものに弱い。なにより凌太くんの手だ。ときめかないわけがないじゃないか。
「ふっ。馴染みすぎ」
大人しく腕の中に納まって撫でられる俺に、凌太くんは笑ってより一層優しく頭を撫でた。
本当に犬になった気分。むしろこのままペットになれた方が幸せだったりして。
そんなことを考えなら撫でられていたら、黙ってしまったのがつまらなくなったのか、凌太くんは撫でるのをやめて周りを見回した。
それから近くの岩場になっている場所を見つけると、そこに腰をかける。それから俺に向かって指先をくるくると振って動きを示してみせた。
「なあ、あれやって。ショーのウォーキング」
「ウォーキング? いいよ」
大人しく撫でられるのはいいけれど、誰かに見られていたら良くなかったなと今さら気づいて、誤魔化すように凌太くんの提案を了承した。
ショーといっても色んな種類のものがあって、イベントだったりブランドの作品発表だったり、ブランドのコンセプトごとに雰囲気や方向性がそれぞれ違う。
客席の間を歩くものもあれば、一人一人ランウェイを歩いてポージングをするもの、並んで歩き続けるものもあり、生きたマネキンとして立ち続けるものもある。
でもきっと凌太くんが見たいのはあの動画で見たものだろう。
女性のウォーキングと違って、わざとらしくない程度に胸を張りお腹に力を入れて男らしさを見せるのが基本のウォーキング。ミャーが歩く時の自信に溢れた男性らしさは、本当にモデルのお手本だと思う。
だけどユニセックスな服を着ることの多い俺の体格でそれをやると浮いてしまうから、過剰な男らしさは見せない。俺の意識はあくまで動く人形だ。主役である服を魅せるために必要な動きを服に任せる。
見られる意識と魅せる意識。
まっすぐと凌太くんの前まで歩き、シャツを広げるとちょうどよく風が吹いて裾が舞った。作られたステージはないけれど、ロケーションはばっちりだ。観客は一番見られたい人一人。それもまたばっちり。
ずっと昔、雑誌の私服の特集で服に迷った時に、朝生くんに白がいいと言われて以来白がメインのコーディネイトばかりしている。それが映えて良かったと、一人嬉しくなってもう一度ターンして凌太くんの方を向いた。
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