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come 1
「あ、ちょっと待って」
家に帰ってきて玄関を開けた瞬間、はっとして入ろうとする朝生くんを止めた。
「なに」
「待って。俺が先に入る」
そして朝生くんを押しのけ靴を脱ぎ捨てると、改めて玄関の方を向いて両手を広げる。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
すぐに俺のやりたいことは伝わったようで、静かな声でそう返してくれた朝生くんはそのまま俺を抱きしめてくれた。
「ただいま。それと、ごめん」
温かいぬくもり。俺の知っている香り。それから少し早い心臓の音が伝わってきて、一気に感情が溢れてきた。
「うぅぅおかえりぃー! 朝生くんが帰ってきたぁー……っ!」
「悪かったって。心配させてごめん。あと黙っててごめん。迷惑かけた」
溢れ出した涙が止まらなくて、朝生くんにしがみついてわんわん泣き声を上げる。
ただいまおかえりの言葉が、こんなに嬉しいだなんて思わなかった。
しかも朝生くんが優しく俺を抱き留めて背中を叩いてくれるから、余計涙が止まらない。
今までの不安が爆発してしまったみたいに、朝生くんにしがみついたまま動けなくなった。だってこの手を放してまたいなくなってしまったら困る。
「蛍」
そんな俺をなだめても落ち着かないと思ったのか、耳元で名前を呼ばれた。
低く囁く声が耳朶を打ち、ぞくぞくぞくっと体が震える。低音の名前呼びはファンサが過ぎる。
「とりあえず中入るぞ。色々話したいことあるんだろ?」
「……はい」
こんなの従わざるを得ない。驚きで涙も止まった。
大人しく頬の涙を拭ってから、まだ靴さえ脱いでいない朝生くんの手を引っ張る。
「でも、一回いつもみたいに呼んでほしい」
「……キス以上されたかったら大人しく中に入れ、月夜見」
「へへ。うん」
「なんで名前呼びよりいい顔すんだよ」
長年聞き慣れた朝生くんの声での俺の名字。それは特別な響きを帯びていて、そう呼ばれるのが大好きなんだ。
ずっと聞きたかったそれを聞いて、やっと落ち着けた。
もちろん名前呼びも恋人っぽくていいけど、それとは別種の満足感がある。
朝生くんが戻ってきたことをそれで実感して、大人しく手洗いうがいをしてからソファーにスタンバイ。
本当はベッドに直行したかったけれど、そうしてしまうと聞かなきゃいけないことがあやふやになってしまいそうだから。
「マジで教えて。なんで俺のこと番にしてくれないの? そんなにイヤ? 俺が番になったら恥ずかしい?」
「んなわけあるか」
だから朝生くんがソファーに座るや否や問い詰めた。
「番になれないって歌にしたのはどうして?」
「ぐっ」
俺の勢いに押されて、喉が詰まったような声を上げる朝生くん。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「そういやそれもバラされたんだっけか」
ライブでしかやらないという曲。『Brace』というタイトルの、ファンだけが知っている歌。
メンバー談では、番になりたくてもなれない男の歌で、俺には聞かれたくない内容らしい。それで英語で歌っていると。
どこかで歌詞を見つけて翻訳ソフトにかけるという荒業もあるけれど、それよりなにより本人からちゃんと話を聞きたい。
朝生くんに対する、一番のどうして。
俺のことをちゃんと好きでいてくれたらしい話を聞いても、番になる道を選ばない理由がわからないことには不安が拭い去れない。
「取るな、これ」
「え、うん?」
どんなとんでもない理由があるんだと構えていると、朝生くんはなぜか俺の首輪を外しだした。そして外したそれをテーブルに置いて、そのまま話し出す。
「俺がお前を番にしない理由は、ここが、綺麗だから、です」
「ん……ここって、首?」
首筋を辿るように後ろに回した手でうなじをなぞられ、ぞくぞくと身を震わす。普段首輪で隠れている部分だから、余計敏感になっている気がする。そうじゃなくても朝生くんの指だ。感じもするし緊張もする。
「モデルしてる時にさ、すっと背筋伸ばして立ってる月夜見の首筋がすげぇ綺麗でな。シルエットでわかるくらい、イイんだよ。でも番になるためには、ここに俺の歯型を残さなきゃいけないだろ? それが嫌なんだよ」
ここ、とうなじをなぞられて、意識が浮つきそうになるのを無理やり戻す。
ただ、それ以上のなにかがあるかと待ってみても、続きはなさそう。
つまり、俺の首筋が綺麗だから歯型を残したくない、ってこと?
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