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セカンドアタック③

雪弥は美術室に向かっていた。 大山が雪弥に悪意を抱いているとは思えない。それどころか好意を抱かれているとの自惚れがある。 大山は一方的な想いをこじらせてしまったのか。だが、最後に会ったときにはそのような気配はかけらも感じなかった。それに、ここ最近は文実の委員長として寝る暇もなかったはずだ。雪弥に嫌がらせを思いつくような余裕はないはずだ。 (もしかすると作品の一環なのか?) 大山は雪弥には最も理解できない思考の持ち主だ。価値観も感性も全く違う。たかだか文化祭のために三年も留年することなど理解不能だ。 雪弥にとって大山はまるで別次元に生きている。大山がデッサンに夢中になると、鼻息がすごくて室内の空気が薄くなる、とのジョークには、ひどく納得した。 (だとすればまだわかる) 大山が何を意図しているのかはわからないが、ともかく雪弥をその芸術に巻き込んでいる、とすれば。それならあり得る。 (あの芸術バカがわざわざ俺のために時間を費やすことなどない。だが俺を利用することならやるだろう) そう考えれば大山に対しての腹立ちは治まってくるものの、かといって、見過ごすわけにもいかない。 (『Victim』というのはやりすぎだ。大山はいったい何を考えているんだ) 大山の芸術センスは雪弥には判断しがたい。しかし、その性格はある程度わかる。直情型で猪突猛進なところがある。 (その直情型のエネルギーが俺に向かってきたら) 大山がデッサンに向かうように雪弥に向かってきたら、と考えて、雪弥はゾッとする。 ふと雪弥は背後を振り向いた。雪弥からつかず離れずの位置にいるはずの天陽の姿が見えなかった。 (あいつを俺だけに構わせるわけにはいかない) それは普段から雪弥が戒めていることだ。天陽は校内のどこででも引っ張りだこだ。特に生徒が入り乱れるような学校行事の際は、天陽を独り占めしてはいけない、と雪弥なりにわきまえている。 そのために雪弥からは天陽についてこいと言ったことはない。今も、誰かと話していた天陽に声をかけないで出てきた。だから天陽がついてきていないのも当然だ。 しかし、そのときの雪弥は怖気を自覚していた。天陽がいないのが不安だった。大山には自分を傷つける意思がないと信じられるものの、その暴走が本人に制御できるかがわからないのだ。 美術室に向かう途中で、雪弥に向けられる視線が一層、あからさまなものになってきている。 美術室から出てくる人が、雪弥を見て、「キャー」と歓声を上げた。そのことで、大体の見当はついた。 室内に入るなり、青で視界が埋め尽くされる。入り口正面に窓ガラス二枚分以上のサイズの、絵画 が掲げてあった。 タイトルは『Victim』。 「あ、藤堂先輩」 美術部員が小声で叫んで入り口を見た。雪弥の出現によって、室内にどよめきが走る。 ――あ、ねえあの人! モデルの人じゃない? ――本人よ、きゃあ、すごい! 雪弥に一斉に視線が集まる。 (……うっ) 室内には、保護者やOBらしき訪問客もいる。彼らからも容赦のない視線を浴びせられる。 その場にいるものの幾人かが、雪弥の宗教的な絵画に明らかにみだりな情欲を引き起こされている。『情欲』のこもった威圧が、しかも、成人αの強い威圧が、雪弥に襲い来る。 雪弥は自身も威圧を咄嗟に身にまとった。と同時に、辺りを強くにらみつける。 (大山はどこだ?) 見回すが室内にモジャモジャ頭は見当たらない。 その間も、成人αの値踏みする視線が雪弥に突き刺さる。 ――あの子が噂の藤堂くんか。 ――いい素材だな。 視線に隠そうともしない無遠慮な『情欲』が混じる。社会で地位を得た者の尊大な視線に『情欲』が込められている。 ――彼を手札に加えることが出来たら、さぞかし優越感をくすぐられるものだろうな。 ――彼が欲しい。 『欲しい』と欲情の塊をぶつけられる。雪弥の威圧が適うものではない。 (……うああっ……) 体の中を熱い棒で容赦なくかき混ぜられる感覚が起きる。 ぐらりと視界が傾きそうになるのを足を踏ん張ってこらえる。 「きみ、藤堂くんと言ったね。一度、話したいと思っていたんだ。私の顔はわかるね?」 雪弥に近づいてきた年配のOBが腕を伸ばしてくる。財界の重鎮だ。尊大な態度の奥底に隠しようのない情欲の炎が燃えている。強烈な威圧が仕掛けられてくる。 (……うあっ、俺を舐めやがって……) 「ええ、良く拝見しています。光栄です」 雪弥は何とか無礼にならない返事をして、よろめきながら一歩後ずさった。 「どうかしたのか? 顔色がすぐれないね。気分でも悪いのかね」 いかにも調子を崩している雪弥に、OBはここぞとばかりに威圧を強めた。弱っている相手にはとどめを刺すのが定石だといわんばかりに。 (うああああっ……やめろ……) 他のOBも容赦なく威圧を浴びせてくる。 「どこかで休んだほうが良さそうだね」 OBのトーンの高いネコナデ声に、背中が粟立つ。 (うぁぁっ……。おかしくなりそうだ……) 早くその場を去らなければならないと頭で警告が鳴っていた。腕を取られそうになるのをさりげなくかわして、一礼する。 「き、急用がありますので、失礼します」 雪弥は必死で威圧を振り切って、廊下に出た。しかし、廊下でも雪弥に威圧が付きまとってくる。四方八方から絡みついてくる『欲情』に満ちた威圧。 (ど、どこかに身を潜めないと) 雪弥はふらつく足元で、廊下を進んだ。進めども進めども、視線が絡みついてくる。 (どこに行けばいいんだ。どこもかしこも人がいて身を隠す場所がない) 俯いて視線から身を隠すようにして、先に進む。廊下の向こうに生徒会室がある。 (生徒会室なら、人が少ないはずだ) 生徒会は文実とともに文化祭を取り仕切っているために、ほとんどの生徒が出払っているだろう。 (とりあえず、生徒会室に) そのとき、廊下の先に、人影を見つけた。 (天陽……!) 雪弥は舟底に閉じ込められた船員が脱出口を見つけたときのように、救いを求めて天陽に手を伸ばす。 (天陽……ここだ、きてくれ……) 目が合うと視線で縋り付く。天陽が焦った様子で雪弥に駆け寄ってきた。 安堵のあまり気が緩む。 バランスを失った雪弥が、廊下の床に落ちる前に天陽がその胸に支えた。雪弥は張り詰めた意識が遠ざかるのを感じた。 「雪弥、探しただろ。一人でどこかに行くな。危ないだろ」 天陽からもまた、ホッとしたような声が聞こえた。 「あぶ、ない………?」 「お前は夕方になると熱が出るんだから」 (こいつは本当に俺に過保護すぎる) 天陽の声にひどく安心し、気を失った。

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