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隠し込んだ『好き』
雪弥が目を開けると、視界は夕日で赤く染まっていた。
周りを見回して、資料室であることを思い出した。窓の外から騒がしい音が聞こえてくる。文化祭は終わり、後夜祭が始まっているのだ。
天陽の体温を感じる。ずっとそばにいてくれたらしい。
それを意識した途端に、ズクッ、と体の芯が痺れた。
(あつい……。まだ、熱が下がらないのか)
雪弥が起きたことに気づいて、天陽が声をかけてきた。
「雪弥? 大丈夫? お水、飲む?」
天陽の囁き声に、再び、体じゅうに痺れが沸き起こる。
(あ、あつい。おれ、おかしい)
天陽が蓋を開けて渡してきたペットボトルを受け取った。ごくごくと喉を鳴らしながら飲む。
熱が冷めていく。しかし、完全には冷めきらずに、心臓の鼓動が、毛細血管の脈動までが、大きく波打っているのを感じ取る。
「起きられるか?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ移動するぞ。寮に戻ろう」
「うん」
ずくずくと体内の疼きが大きくなっている。
立ち上がって、天陽と体が離れると、唐突に激情に襲われる。
(離れたくない)
ドアノブを掴んだ天陽のシャツの背を咄嗟に掴んでいた。
(離れたくない………)
「ん? 何?」
天陽は振り向くと首をかしげて訊いてきた。ひどく優しい顔つきだった。伸びやかな顔で微笑む天陽は、目を細めて雪弥を見返している。雪弥に、思いもかけなかった衝動が沸き起こる。
雪弥は衝動に突き動かされるままに、天陽に抱き着いていた。その唇に自分の唇を重ね合わせる。
(おれ、天陽が……)
驚いて固まっている天陽の唇に、ひたすら自分の唇を重ねる。背中に腕を回し、力いっぱいに抱きしめる。
(俺、天陽が好きだ)
ブワッと感情が弾ける。
自分の感情の名前を知るとどうしようもなくなった。隠し込んでいた『好き』がここぞとばかりに噴出して、雪弥を天陽に向かわせる。
天陽は固まっていた。体を強張らせている。
しかしやがて、キスに応じるように舌を差し込んできた。熱い舌が雪弥の口に侵入してくれば、体中が歓喜に沸き立った。
(天陽……!)
唾液が絡み合う。
(俺……、お前が好きだ……)
無我夢中で舌を絡ませ、唾液を交換する。角度を変えて何度も口づける。
赤い夕陽が二人を染めて、やがて暗く翳っていく。
(欲しい、お前が欲しい)
欲望に全身が震えている。
そのとき、ドアの向こうから元気の良い声が聞こえてきた。
――来場者数、集計できました!
どっと拍手が沸く。
雪弥はやっと我に返った。
(おれ、……おれ、な、にやったんだ……)
唇を離すのに手間がかかった。やっとのことで顔をずらすと、天陽の目が笑っていた。
「ごめん、天陽、おれ、ごめん、熱でおかしくなってる」
「別にいいよ?」
天陽は相変わらず伸びやかな顔で笑んでいる。雪弥に、狂おしいほどの衝動が沸き起こる。
(天陽を俺のものにしたい)
自分の衝動の核がそこにあることに恐れおののく。体の端々は燃え立つように熱いのに、頭の芯が凍り付く。
(何を無謀なことを、俺は)
男同士、α同士、無謀極まりない。だから抑え込み、隠し込んだ想い。それが熱のせいでぽろっとこぼれてしまった。
ふと書棚のガラス扉に映る自分の顔が見えた。
『欲情』に満ちた顔。
いつの間にかあふれ出た涙でぐちゃぐちゃになっている。
その顔はひどく無様だった。
(滑稽だ……。滑稽で惨めだ……)
『別にいいよ?』
天陽のその軽い一言も、雪弥を惨めにしていた。天陽にとってはその程度のこと。
「ごめん、先に帰るわっ」
雪弥はそう言うと、ドアを開けて駆け出した。
「雪弥、待て。行くな!」
電灯の眩しい生徒会室。天陽の声を振り切って、顔を隠して逃げるようにドアに向かう。
「藤堂先輩っ?」
「テンテン先輩っ?」
呆気にとられた生徒会メンバーの声。
(俺、馬鹿だ。情けない。恥ずかしくて、惨めだ……。ずっと抑え込んでいたのに)
沸き起こる衝動を自覚した今は、もう天陽とはいられない。
「雪弥、駄目だ、行くな」
天陽の捕まえようとする手を振り払い、生徒会室から飛び出した。
廊下は暗かった。後夜祭の盛り上がる音が聞こえてくる。
(惨めだ、惨めでたまらない……)
雪弥は廊下をひた走りに走った。シューズのまま外に飛び出して、校庭を全力で走った。
***
生徒会室ではメンバーが唖然と顔を見合わせていた。
「くそっ、あいつ、追いかけなきゃ」
雪弥に腕を振り払われた天陽に秀人が声をかける。
「藤堂先輩、このままじゃまずいんじゃ」
「俺が何とかする。お前は黙ってろ」
「何をですか」
「知るか」
雪弥の後を追って生徒会室から出て行った天陽を、生徒会メンバーが呆然とした顔で見送った。
誰かがぽつりと言った。
「何か、変な匂いするね。甘ったるい」
「Ωっぽいやつ」
「っぽい、ていうか」
「Ωそのもの、だよね」
そう言った生徒は気まずそうな顔で腰をもぞもぞと動かした。顔を真っ赤にして何度も椅子に座り直す。
「誰の匂い?」
「さあ?」
「まさか、藤堂先輩?」
「んなわけないでしょ」
「じゃあ、テンテン先輩?」
「笑える」
「うん、笑える」
しかし笑い出すものは誰もいない。シンと黙り込めば、何か事情を知っているらしい秀人に注目が集まる。
秀人は険しい顔で目を閉じて腕を組んでいた。こそこそと生徒会メンバーは語り合う。
「Ωはこの学校にいないよね」
「だよね?」
「Ωならここにはいられないよね」
「だよね?」
「勘違いじゃん?」
秀人がつと立ち上がり、窓を開けた。初秋の涼しい夜風が入ってくる。空気が入れ替わる。Ωの匂いも消えた。
「そうだ。お前らの勘違いだ」
秀人はそう言い切った。
秀人をじっと見つめる目があった。
先ほどから黙ったままの琢磨だった。秀人と目が合うと琢磨は唇の端を吊り上げて、フイと視線を逸らした。
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