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戻らない日常①
雪弥は、寮に戻ってシャワーを浴びると髪も乾かすものなおざりに寮を出た。
「大山さんのところに行ってみる」
雪弥の体の変化には大山が関わっているに違いなかった。
雪弥からの大山へのメッセージは跳ね返されて、通話も途絶えている。
大山は学校の近くのアパートに住んでいる。両親は海外に住んでおり、大山は一人暮らしだ。雪弥は、人伝手に大山の住所を手に入れていた。
「雪弥、一人で行くな、危ない」
(何でだよ。俺は天陽に守ってもらう必要なんかない)
雪弥はそう言おうとしたが、昨日の暴漢らの襲撃の記憶が蘇る。暴力の痕跡がまだ生々しい。
「好きにしろ」
しかし、人とすれ違うたびに雪弥は身構えて、天陽に身を寄せるようになっていた。
(人が怖くなっているんだ。情けない、何なんだ、クソッ)
そんな気弱になった自分を天陽に気取られたくはない。
天陽は雪弥の内心を知ってか知らぬか、呑気な声を出している。
「モジャ山さんには寮生活は無理だよね。あの人と、一緒に住めるルームメートはいないよね。いろいろ、めちゃくちゃでしょ」
天陽が言うと、陰口を言っているようには聞こえない。「モジャモジャだしさ。あのモジャモジャ見てると、何か腹減ってくるんだよね。醤油かけたら意外とイケそうじゃない?」と続く。
「お前は何にでも醤油かけたがるな」
「味噌でもいいけどさ。あ、バーニャカウダーとかそういうのは無しかな」
(モジャモジャは有りなのか)
大山は高入生だ。高2までは寮に住んでいたが、奇行のせいでルームメートが定着せずに、ほぼ一人部屋となっていた。奇行というのは夜中に飛び起きてデッサンしたり、裸になってドラミングしたりのことらしいが、何しろ、猪突猛進の直情型だ。後先考えずに行動して、トラブルも多い。
高3で親の許可を得て、キャンパスを抱いて寝起きする一人暮らしを始めてからの大山は水を得た魚のようだった。描いて描いて描きまくり、何度も入賞を重ねるようになった。
親も高校3年生を4年も続けるとは思わなかったに違いないが、開花する才能を盾に、周囲を黙らせている。
***
大山のアパートのチャイムを鳴らしたが返事はない。サインペンで『大山大五郎』と整った文字で書かれた表札から、住所はそこに間違いはない。
時刻は九時。
「まだ学校にいんのかな」
「でも、モジャ山さんって、バカ騒ぎするタイプじゃないよね。信者は多いけど友だちはいなさそうだし」
帰り際に遠目に見た校庭では、後夜祭をちりぢりに終えた生徒らがたむろした姿があったが、大山は見えなかった。
「寝てんのかな」
雪弥はバルコニー側に出た。アパートの管理は行き届いていないらしく雑草がはびこっている。
大山の部屋は一階だった。部屋の窓にはカーテンが開いたままになっている。
雪弥は首をかしげる。
生活には無頓着な大山だが、果たして絵画を日光に晒したままにするだろうか。
雪弥のいぶかしむ横で、天陽がバルコニーに足をかけて飛び乗った。中を覗いて呆気に取られた声を出した。
「あ、空っぽ」
管理会社の連絡先を見つけて電話をする。驚くことに、昨日、明け渡しが済んだとのことだった。引っ越し先もわからないとのことだった。
(畜生、どういうことだ? あいつ、どこに行きやがった)
雪弥は嫌な予感に捕らわれる。
(大山め、あいつ、確信して俺に妙なことをしでかしたな。それでやばいと思って姿をくらましたのか?)
天陽が電話をしている。天陽の実家にかけているらしい。いくら親戚が理事長でも、生徒のプライベートまで教えるはずもない。
しかし、天陽は食い下がっている。すぐに教えられるわけもなく、寮に帰ってから事務長らしき人から返事があった。その連絡を受けて天陽が言った。
「昨日付で退学したって。届出が一ヶ月くらい前にあったっぽい」
(大山の野郎、やっぱり、計画的だったのか。クソッ、どうやったら治るんだ、これ)
雪弥は不安に陥った。しかし、何とか気を鎮める。
(いや、これは一時的なことだ。しかももう終わったんだ)
雪弥の体はいつもの調子に戻っている。熱もなさそうだ。威圧が戻らないのが不安だったが、それもすぐに戻るだろう。
(そうに違いない。俺は上位αだ。Ωなんかじゃない)
しかし、その願いは昼を迎える前に早くも崩れ去った。
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