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幸せの約束⑦

メッセージを送った直後に、スマホがブルブルと震え出した。天陽からの着信だった。 『雪弥、今の本当? 今、家?』 天陽の声に安心する。安心して涙ぐんでしまう。 「駅までの途中。コンビニの前」 『そこを動くな。迎えに行く』 しばらくすると自家用車が目の前に止まった。後部座席から転げ出るように天陽が降りてくる。 一晩別に過ごしただけなのに、やっと会えた、そんな感覚が起きる。 (天陽、会いたかった……) 人目もはばからずに天陽とひしと抱きしめ合う。 (天陽、もう離れたくない。俺、もう、天陽から離れたくない) 「雪弥、俺の番になるって本当?」 雪弥は天陽の胸の中でうんと頷いた。 「天陽、俺を番にしてくれ。俺、もう大学にも行かない。家で天陽のこと待ってる」 (もう疲れた。天陽がいてくれれば俺はもう十分だ。もう十分戦った。もがき尽くした。悪あがきだった。もうひっそりとΩとして隠れて生きていけばいい) 「約束だよ?」 天陽が喉に何かがつかえたような声を出している。 自動車に乗り込むと天陽が訊いてきた。 「家で何かあったの?」 早朝のメッセージに天陽は雪弥に何かが起きたことを察したらしい。 もう天陽に対するガードを完全に失ってしまっている雪弥は、天陽の前では涙でも何でも垂れこぼすようになっている。弱音でも何でも天陽には吐ける。『みっともない目』でも向けられる。 「お父さんに、家の鍵返せって言われちゃった。学費も出してくれないって。アメリカに行くどころじゃなくなった。お父さんに思ってた以上に嫌われてたみたいだ。俺、もう、帰る家もなくなった、家族もいなくなっちゃった」 口にすると涙が次から次へと溢れてくる。こんなに呆気なく家族がなくなるとは思っていなかった。 「俺がいるだろ」 天陽が頭を抱いてくる。こらえていた嗚咽が漏れる。 天陽が番になろうと言ってくれたことが、今になってどれだけありがたいことか。天陽がいなければ保護施設行きになるところだった。 「ごめん、俺、天陽を利用してるかもしれない」 「別にいいよ?」 いつもの天陽の言葉がとても頼もしく響く。いつもいつも天陽が助けてくれる。 運転手の目も構うことなく、雪弥は天陽の胸にしがみついて泣いた。 Ωでも一人で生きていこうと頑張っていたつもりだった。できればαに戻りたかった。もうこれ以上は頑張れない。でも、天陽がいてくれる。もう頑張らなくてもいい。安心して天陽の胸に飛び込めばいい。 (もうΩでいい) 「俺には天陽しかいない。天陽がいてくれたらそれでいい」 「雪弥。つらくて血迷っていたとしても、番の約束はもう取り消せないよ?」 「うん」 天陽の部屋に入ると天陽は雪弥を担ぎ上げた。 「嬉しい! 嬉しいぞー!」 寮の数倍の広さの部屋を雪弥を担ぎ上げたまま、くるくると回りながら奥に向かう。 天陽が嬉しそうなのを見て、雪弥もまた嬉しくなる。 αの自分を諦めると、すっかり肩の荷が下りた。そうなると、今度は、天陽と番になれる喜びが湧いてきた。 (そうだ、これこそが俺の欲しかったものだ。俺、天陽とともに生きていけるんだ) 巨大なベッドに雪弥を下ろすと天陽はねだるような目で見てくる。 「しよ? 駄目?」 「さすがにここでは駄目だろ。お前の両親もいるんだろ?」 「ここにはαばっかりだから、俺の匂いを擦り付けておきたい。俺の家族、節操がない奴らばっかりだし」 「それで寮でも毎日アホみたいにやりまくってたの?」 「それもあった。俺の匂いで他のαを牽制してた。ね、雪弥、いいでしょ?」 「寮に戻るまでダ、メ」 雪弥は自分の声が甘いものになっていることに気付いた。もう天陽を好きだという気持ちをしまい込む必要はない。 (俺は好きなだけ天陽を『好き』でいられるんだ) 「もう寮に戻らなくても良くない? 俺たち、寮を引き上げようよ」 天陽の『俺たち』の言葉に、天陽と番うことをひしひしと実感する。 寮で天陽と一緒に過ごした時間を、この先も、続けることができる。 あらためて、雪弥は幸せに酔いしれる。 天陽は雪弥を押し倒してきた。 「ね、いいでしょ? 雪弥にはもう俺を拒否することなんかできないんだよ?」 ベッドに押し倒された雪弥の視界の端に、見覚えのある青色が見えた。 開きかけたクローゼットの奥に鎮座する『Victim』。 「あの絵?」 視線で尋ねると、天陽が照れ笑いをした。 「雪弥の絵を美術室に置いたままに出来ないから、俺の部屋に運ばせておいた。勝手にごめんね」 「いや、気遣いが嬉しい」 天陽は雪弥の知らないところでも雪弥を大切にしていくれている。それを感じる。 天陽の思いやりが雪弥の幸せをまた一段上に押し上げる。 天陽は、クローゼットの扉を大きく開けた。 朝の光の中では、その絵には宗教的な崇高さしか感じられない。『情欲』を誘うものではない。 「文化祭のときのと違う絵に見えるな」 「そうなの? どう違う?」 「アクが抜けて『Victim』ってタイトルが似合わない」 「俺はこの絵を『Grace』って呼んでる」 雪弥は両手をブンブンと振った。 「うそ、やめて。それは俺が恥ずかしい」 「決めた。この絵のタイトル、『Grace』ね」 思えば、Ωになったために天陽とも番になれるのだ。それを思えば大山のしでかしたことも今やありがたい。雪弥に起きたことは『Grace(神の恵み)』のようにも感じられる。 「『Grace』に見られながらする?」 「それは絶対やだ」 「じゃあ閉じとくね」 「この青、そのうちオオヤマブルーって呼ばれたりするかもね」 クローゼットを閉じる天陽が雪弥をジトッとにらんでくる。 「今、他の男のことを話すなんて、いじわるだ!」 雪弥は天陽に向けて首をかしげて腕を開いた。 「す、る?」 (もう天陽にすべてを任せておけばいい。すべてそれでうまくいく) 天陽はパッと顔を輝かせて雪弥にガバッと飛びついてきた。 二人向き合ってベッドに横になり、見つめ合う。 (俺、幸せだ。本当に幸せだ) 雪弥は涙ぐんだ目で天陽を見つめた。天陽も優しい目で見つめ返している。 静かに胸に広がっていく幸福。 (俺の天陽。俺のα) ずっと天陽を雪弥のαにしてしまいたかった。その想いが叶う。 (天陽が俺のものになる) 番の約束は幸せの約束だった―――。

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