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第15話 うさくまおおかみの暗殺日記

その日は珍しく、ギルドの掲示板に、C難易度以上の依頼が一枚も張り出されていなかった。 ぼんやりと張り紙を眺めていた俺は、思わず天を仰いだ。 (マジか……。C難易度以下の依頼、労力の割に合わないのが多いんだよな……) A級モンスターの岩竜(サクスムドラコ)を素手で倒した、伝説の筋肉三兄弟だ。 正直、C難易度の依頼なんて、家庭菜園のジャガイモに業務用のデカいポテトハーベスターを突っ込むようなもんでしかない。 「……これ、ほとんど小遣い稼ぎレベルなんだよね」 掲示板の前で腕を組みながら、俺はため息をひとつ。 張り出された依頼は、護衛、薬草回収に古井戸の掃除、害獣退治――C難易度すらないラインナップ。 「……二手に分かれるか?」 ガウルが淡々と告げる。 「俺はアヴィと組む。クー、ユーマを頼む」 「えっ、なんかその組み合わせ珍しくない!?」 「うん! 任せて!」 クーはニコッと笑って、胸を張った。 いや、嬉しそうなのはいいんだけどさ―― アヴィがちょっとだけ口元を緩めてこっちを見るの、なにその余裕? 圧がすごいんだけど? (ってか、なんで俺が末っ子ポジ固定なの!?) 文句を言う暇もなく、チーム分けはあっさり決定していた。 「よし、じゃあこの護衛依頼……俺とアヴィで行く」 掲示板の前で、ガウルが当然のように張り紙をはがした。その手には、隣国行きの護衛依頼。荷物も人手も多いから、筋力が要るらしい。まあ、ガウルとアヴィなら完璧だろう。 「こっちの“害獣討伐”……ユーマとクーで頼む」 「なになに、養蜂農園でポンゴの討伐?」 ガウルの手元を覗き込んでそう呟いた俺の目に留まったのは、依頼用紙に書かれた“害獣討伐”の文字。 ポンゴ―― 小型の猿みたいな見た目をしたモンスターで、そこまで危険ってわけじゃないけど、群れで畑や養蜂箱を荒らす、地味にやっかいなヤツだ。 ハチミツを狙うあたり、味覚だけは妙に贅沢らしい。 俺たち二組は、それぞれの依頼書をギルドに通し、現地へ向けて準備を整えた。 「じゃ、いこっかユーマ♡」 満面の笑みとともに、クーは片手で俺の腰をヒョイッと持ち上げた。 「うわっ!? ちょ、待って! 降ろして! 歩けるから俺!!」 「レッツゴー!」 「聞いちゃいねぇぇぇぇ!!」 養蜂農園に到着すると、小柄なお婆さんが縁側から出てきて、手を合わせるようにして迎えてくれた。 「おやおやまあまあ、お若いのがひとりで……ありがとうねぇ。助かるよぉ」 「え、いや、二人ですけど……?」 思わずそう答えると、お婆さんはきょとんとした顔で俺の後ろを見上げた。 「あらまあ……いたのねえ」 どうやら、クーがデカすぎて視界に入ってなかったらしい。 (デカすぎて見落とすってどういうこと……!?) クーはにこにこしながら手を振っている。お婆さんも「まあ立派な男の子!」と嬉しそうに笑ったが、俺はそのギャップにツッコまずにはいられなかった。 俺たちは、ポンゴの群れを待ち伏せするため、養蜂農園の外れ――茂った植え込みの中に身を潜めていた。 クーは弓を構え、弦に軽く矢をあてがっている。動きは静かで、無駄がない。 相変わらず、“狩り”になるとクーはまるで別人だ。 さっきまで「ハチミツ食べたいな〜」なんて、どこかの黄色いクマのようなことを言っていたとは思えない。 今のクーの瞳には、研ぎ澄まされた狩人の光が宿っていた。 前から戦いの時は真剣な目をしていたけれど―― 今の姿に進化してからは、その瞳にどこか獣のような、野生の艶が加わっていて。 筋肉の浮かぶ褐色の肌。しなやかで力強い動き。 思わず目が奪われて、息を呑んでしまう。 その時、不意に目が合った。 クーは、ほんの一瞬だけ柔らかく目を細めて、穏やかに笑った。 けれどすぐに、その視線は前方――ポンゴが現れるであろう森の影へと戻される。 (……やば。今のちょっと、心臓に悪いって……) 緊張と、もうひとつ別の熱に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。 ポンゴは、思った以上に群れて現れた。 10頭はいたと思う。木の上から、地面から、わらわらと。 だけど――クーは、まるで風を読むように、一本ずつ矢を放った。 無駄のない動き、迷いのない精確さ。 静かに、確実に、一頭ずつ、ポンゴを仕留めていく。 (……すげぇ……) 戦いの最中だってのに、思わず見とれてしまった。 弦を引く腕も、矢を射るタイミングも、全部が研ぎ澄まされていて。 でもどこか優しいのは、クーらしいというか―― 「全部倒したよ♡」 と、にこっと笑った時には、もう全てが終わっていた。 農園のお婆さんに報告をしに行くと、 「おやおやまあまあ、ありがとうねぇ」と、 大きなガラス瓶いっぱいのハチミツを手渡されて、クーは両手で大事そうに抱えていた。 「わぁっ……こんなに、いいの!? やったぁ♡」 あの弓を引いていた姿と同じ人物とは思えないほど無邪気に喜んでいて、 俺はつい、ふっと笑ってしまった。 (……ったく、ほんとギャップの塊みたいなやつだよな) そんな風に思いながら、俺はその横顔を眺めていた。 *** 木漏れ日が、まだ明るく森を照らしている。 ポンゴの討伐を終えたオレたちは、二人並んで、ゆっくりと帰路についた。 この森の中には、何が潜んでいるかわからない。 本当は、ユーマを抱っこして運びたかった。 でも「歩けるから」と、頑なに断られてしまった。 ……まあ、そうだよね。 けど―― 気がつけば、ユーマの背中が、ずいぶん小さく見えるようになっていた。 少し前までは、オレの方が追いかける側だったのに。 今は、あの背中を、守りたくなる。 なにかに傷つけられないように。 風に吹かれないように。 もう二度と、震えないように。 そんなことを思いながら、数歩先を歩くユーマの姿を、 目で追っていた。 ただ隣を歩いているだけなのに、 それが、すごく特別に感じた。 この森がどこまでも続いてくれたらいいのに―― ふと、そんなことまで思ってしまった。 そんな時だった。 風に揺れる枝葉のざわめき―― その“ノイズ”に、わずかに混じった、異質な気配。 気づいた瞬間、オレの中の“狩人”が目を覚ます。 足音、呼吸、衣擦れ。 研ぎ澄ませた感覚が、それを確かに捉えていた。 ……尾行者だ。 ユーマはまだ気づいていない。 オレのすぐ前を、何も知らずに歩いている。 その細い背中が、今はひどく無防備に見えた。 ――守らなきゃ。 さりげなく歩幅を詰め、ユーマとの距離を一歩だけ縮める。 ……いた。 遠く、森の奥。 木の陰。気配を殺しきれなかった誰かが、こちらを伺っている。 その“視線”の先にあるのは――オレじゃない。 ユーマだ。 (……悪いけど、狙う相手を間違えたね) 俺は、弓にそっと手をかけた。 この距離なら――十分、届く。 黒いローブ―― あれは、ガウルから聞いていた“魔法省”の手の者。 オレから父親を奪い、 ただの道具として利用しようとしたやつら。 その手が、今度はユーマに伸びようとしている。 ……許せるわけがない。 ユーマは、誰にも渡さない。 ユーマは父を助け、オレに生きる希望をくれた、大事な人だ。 再び木の陰から覗く気配を、息を殺して待つ。 “狩り”は一瞬。 矢を放つ時には、情も言葉もいらない。 次に顔を出したその瞬間―― それが、おまえの最期だ。 音もなく風が揺れた瞬間。 枝葉の隙間に、奴の顔がわずかにのぞいた。 ――今だ。 弦を引き絞る。 鋭く研ぎ澄ませた矢じりが、呼吸のように自然に放たれた。 「クー……?」 ユーマの小さな声が背後から届く。 その声が届くと同時に―― 「……うっ」 短く、重たいうめき声。 オレの矢は、正確に眉間を貫いていた。動きはなかった。即死だった。 夜になれば、魔物が喰う。 跡は残らない。 ユーマが小走りでこちらに近づいてくるのを感じる。 「えっ、なに!? なにがいたの!?」 オレは一拍だけ間を置いて、いつもの声色で答えた。 「……ポンゴの残党がいただけだよ」 ユーマの目が丸くなっている。 でも、それでいい。 ユーマは、知らなくていい。 危険も、過去も、汚れたものは全部―― オレが射抜いておく。 ユーマの笑顔に、影なんて落とさせない。 *** 行商人の護衛依頼を終え、僕とガウルさんは街へ向かって歩いていた。 平穏な帰路――の、はずだった。 数日前、ガウルさんが“始末”した魔法省の手先。 だが、あれでは終わらなかった。 今度は数を揃えてきたらしい。あからさまな尾行。雑なくせに数だけは揃えてきたところを見るに、あちらも手探りで動いているのだろう。 監視対象にされているのは、どうやらご主人様だけじゃない。 僕たち全員――というより、“僕ら”の関係性ごと、目をつけられている。 歩きながら、ガウルさんが低く呟いた。 「……ひと気のない場所で、捕縛する」 僕は短く頷き、ローブの内側、いつもの位置に収めた短剣にそっと指をかける。 ――面倒だな。 だが、こちらにとっては都合がいい。 どうせ来るのなら、まとめて“処理”できたほうが手間が省ける。 もちろん、ご主人様には気づかせない。 そのためにも、ここで終わらせておく必要がある。 僕は静かに息を吐き、殺意を沈めたまま、足を止めた。 合図もなしに、僕とガウルさんは同時に走り出した。 敵の視線を分断するよう、あえて別の方向へ。 物陰に身を滑り込ませた直後――予想どおり、一人が単独で僕の方へと追ってきた。 足音が近づいた瞬間、その襟首を引き込み、刃を喉元に突きつける。 「……目的を吐いてもらいましょうか?」 男は顔を引きつらせたまま固まった。 間もなく、ガウルさんももう一人を抑えて戻ってきたようだった。 僕が木に縛り付けた頃には、彼も同じように、無言の男を連れてきていた。 2人並べて括りつけると、ガウルさんが短く訊いた。 「……何が目的だ?」 しかし、男たちは揃って口をつぐんだまま、何も言わない。 ――まあ、そう来るだろうとは思っていた。 「無駄です。ガウルさん、拷問しましょう」 俺がそう言うと、ガウルさんは露骨に眉をひそめてため息を吐いた。 「……俺の趣味じゃない」 「僕もですよ」 嘘だけど。 とはいえ、必要な情報を引き出すための“作業”に、感情を挟む理由もない。 ナイフの刃をわずかに傾けながら、僕はにこりと笑った。 「でもまあ……効率は大事ですからね」 ガウルさんはしばらく沈黙したのち、ゆっくりと視線を外す。 そのまま、僕の隣にいる男を見下ろし、ぼそりと呟いた。 「……アヴィ。任せる。俺は……そのやり方は好かない」 そう言って、ガウルさんは静かにその場を離れていった。 背中には、嫌悪と戸惑いの混じった重い気配が滲んでいた。 ……まあ、そうなるだろうとは思っていた。 残されたのは、二人の使者と僕だけ。 さあ、ここからが本番だ。 僕はゆっくりとしゃがみ込み、男の顔を覗き込む。 「ねえ、君たち、選べるよ。 言葉で済ませるか、それとも……手間のかかる方でいくか」 男は歯を食いしばって睨み返してきたが、その目には明らかに迷いがあった。 僕は笑みを浮かべながら、荷袋から細工用の小道具を一つずつ取り出す。 細いナイフ、火打石、鈍い釘――拷問のためというより、“語らせるための演出”だ。 道具を並べて見せただけで、片方の男の顔色が変わった。 「……っ、や、やめろ、俺は……!」 「いいよ。じゃあ、代わりにもう一人の方から始めようか。 どうせ後で同じことになるし」 僕がそちらに体を向けた瞬間―― 「待ってくれ、言うっ、言うから……!」 喉元に浮かぶ汗が一筋、光った。 ふう、と僕は安堵の息を吐いたようなふりをして立ち上がる。 ……最初から、こうなると思っていた。 「最初からそうしてくれれば良かったのに」 僕は小道具を片付けながら、男の言葉を待つ。 「……“対象”はあんたら四人。特に……ユーマって奴。 能力が未知数で、魔法省の上層部が興味を持ってる……」 ――やっぱり、そこか。 言葉を一通り聞き終えると、僕は静かに目を細め、「ありがとう」とだけ言った。 帰せば、次はもっと多くの追手が来る。 生かしておけば、奴らに“確信”を与えてしまう。 ……ご主人様には、“価値”がある。 それを奴らが確信した瞬間、間違いなく攫いに来る。 僕を闇に沈めたあの魔法省の人間たちが―― 今度は、ご主人様という“光”を奪おうとしている。 そんなこと、絶対に許さない。 だから、選択肢は一つしかない。 この口を、永遠に――塞ぐ。 もう悩む必要はなかった。 あとは、“始末”するだけだ。 さっさと片付けて、ご主人様の元に帰ろう。 あの人が待つ場所に――何もなかったような顔で。 ご主人様を守るために。 僕は静かに、ナイフの柄に手をかけた。

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