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第16話 違うんだ、それは誤解だリセル①

王立魔法学院。 兄さんの魔法について、カーヴェル先生に打ち明けてから―― もう、数ヶ月が経っていた。 季節が少し進んだある日の放課後。講義が終わって教室を出た僕は、廊下でその人に呼び止められる。 「……リセル君、少し時間をもらえますか?」 低く穏やかな声が背中にかかる。 振り返ると、カーヴェル先生が立っていた。 相変わらず表情は読みにくい。でも、目だけは真っ直ぐ僕を見据えている。 はやる気持ちを抑え、僕はカーヴェル先生の部屋へ同行する。 「進展が――あったんですか?」 期待を込めて問いかける僕に、カーヴェル先生は静かに頷いた。 「……あれから、魔法省にお勤めの君のご両親にも、お兄さんの魔法についてお話を伺いました。ですが――」 一拍の間のあと、少し言いづらそうに、言葉を継ぐ。 「“愚息はヒール魔法しか使えない”と仰るばかりでしてね」 僕は、思わず苦笑いをこぼした。 「……はい。父は昔から、自分の目で見たことしか信じない人でしたから……」 「真偽が曖昧なままでは、学院としても正式な判断ができません。そこで……さらにその上、魔法省の中央にも、情報を共有しました」 先生の目が、わずかに険しさを帯びる。 カーヴェル先生は、デスクに置かれた資料に一度視線を落としてから、ゆっくりと言った。 「……そして先日、魔法省から職員を4名、調査のために派遣したそうなのですが……」 その一言に、僕は思わず背筋を正した。 息を呑むような静寂のなかで、先生は静かに続けた。 「その4人が——いまだに戻ってこないのです。連絡も、一切途絶えたまま」 「……え?」 頭が追いつかず、僕は思わず聞き返していた。 「彼らは、お兄さんに関する記録の精査と、周辺関係者への聞き取りを任されていたとのことです」 そう言ったあと、先生は一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐く。 「現在、魔法省では“行方不明”として処理されています。……ですが、偶然や事故とは考えにくい、という声も上がっているようでしてね」 沈黙が落ちた。 何かがおかしい。――いや、もう、とっくにおかしいのだ。 どう考えても―― 兄さんの手紙にあったあの“仲間”や“同居人”。 実際に会ったわけじゃないけれど、その存在には、どうしても引っかかる。 兄さんの魔法に気づいていて、利用するために近づいた――そう考えるほうが自然に思えてしまう。 囲い込んで、兄さんの力を独占している。 そんな風にしか、僕には見えなかった。 「そこで――」 カーヴェル先生は、慎重に言葉を選ぶように、一呼吸置いた。 「弟である君の協力を仰ぎたい、という申し出が……つい先ほど、魔法省から届きましてね」 「……僕に、ですか?」 思わず聞き返す僕に、先生は小さく頷いた。 「もちろん、正式な要請というより“非公式な打診”に近いものです。だが、いずれ本格的な形になるだろうと、私は見ています」 「……具体的に、どんな“協力”を?」 「この学院に連れてきてほしいのです。 ここには優秀な魔法使いが多数おり、もしソウルリターナーの系譜に該当する者であれば、速やかに判断を下せるはずです」 魔法省の使者たちが“帰ってこなかった”理由がもし、兄さんの周囲にあるのだとしたら—— 僕が行けば、無傷では済まないかもしれない。 それでも。 それでも、僕は——兄さんを。 「……わかりました。お受けします」 僕の声は、驚くほど静かだった。 でも、迷いはなかった。 もしそれが、兄さんの真実に近づく手段なら。 もしそれが、兄さんを守るために必要なことなら。 たとえ、どんな役割を背負わされても——僕は構わない。 ……だって、兄さんは。 僕にとって、何より大切な人だから。 *** その日は、ガウルと一緒に台所に立っていた。 なんと、アヴィとクーがそろって―― 冒険者として、ついにシルバーランクに昇格したのだ。 「よし。だったら今日は、盛大に祝うしかないな」 そう言って、俺たちは腕まくりして、大量の肉の仕込みに取りかかっていた。 ふたりは、昇格にともなう手続きのため、今はギルドに行っていて不在だ。 ……俺だけ、まだブロンズランクのまま。 でも、不思議と悔しさはなかった。 それよりも――嬉しさが勝っていた。 クーとアヴィの実力が、ようやくちゃんと認められたんだ。 あの二人なら、プラチナランクだって夢じゃない。 それくらい、強くて頼もしくて、大切な仲間で。 ギルドの判断は、むしろ遅いくらいだと思ってる。 だから今日は―― とびきり美味い肉で、あいつらの昇格を祝ってやりたい。 「……あっ、そうだ!」 仕込み途中で思い出して、俺は勢いよく戸棚を開ける。 「この前、養蜂農園でもらったハチミツ、まだ残ってたはず……あった!」 とろりとした黄金色の液体。瓶の蓋を開けた瞬間、甘い香りがふわっと立ちのぼる。 「よーし、今日はコレで“甘辛ダレ”いけるかも」 味噌も醤油も、この世界には存在しない。 だから俺たちの味付けは、いつも手探りだ。 玉ねぎモドキに、塩とハチミツ、それに高級食材のスパイスをちょびっと。 分量を間違えれば即アウトだけど、今日の俺は本気だった。 「……肉にハチミツ?」 ガウルが眉をひそめて、まるで毒でも入れるかのような顔でこちらを見る。 「いや、美味いんだって!……たぶん!」 慌てて笑ってごまかしながら、俺は鍋の中をかき混ぜる。 (ほんとは……味噌か醤油が欲しいんだけどなあ……) この世界じゃそんな贅沢は言えない。 だから、あるものでやるしかないんだ。 「ほら、ハチミツってさ、焼くとコクが出るっていうか、照りもいい感じに……」 「甘すぎないか?」 「そこをうまく、塩と香辛料でバランス取るの! たぶん! たぶんね!」 スプーンの先にタレをすくって、ガウルの前に差し出す。 「ほら、一口いってみ? 意外と……いけるかもよ?」 ガウルは無言のまま、それをじっと見つめ―― しぶしぶ口に運んだ。 「…………」 「ど、どう?」 「……悪くない」 「やった!!」 (うおー!これでいける! あとは肉を浸けて焼くだけ!) 勢いよく振り返って準備を続けようとしたとき―― 不意に、低く呼びかけられた。 「……ユーマ」 「んー?」 「……この前の坑道での、あんたの“ヒール”」 ガウルはぽつりと呟くように言った。 その声の温度に、思わず俺は顔を上げる。 「……あれで、左足の傷が、完全に消えてた」 「……え?」 (……あの時の、なぜか“エクストラヒール”みたいになった、アレ……?) ガウルはほんの少しだけ、視線を伏せていた。 その横顔には、わずかな寂しさが滲んでいる。 あのトラバサミの傷―― ガウルにとっては、ただの怪我じゃなかった。 あの日、あの森で、俺と出会った証。 その痕を見ながら、「これを見るたびに思い出すんだ」と、優しく笑っていたことを……俺は、忘れていない。 だからこそ、消えてしまったことが、彼にとって少し――“喪失”だったのかもしれない。 俺は言った。 「……でも、傷跡が消えても。思い出まで消えるわけじゃないだろ?」 ガウルは少しだけ目を見開き、それからゆるく息をついた。 「……ああ」 その横顔は、少しだけ寂しげだった。 「でも俺にとってあれは、俺があんたのものだっていう証だった」 サラリととんでもないことを言うガウルに、俺は手にしていた鍋を落としかけた。 (え、俺のもの? ガウルが……俺の……?) 「いやいやいや、ちょっと待って!? 勝手に飼い主認定みたいにされても困るんですけど!?」 あまりにも動揺して、鍋の柄を持つ手に変な汗がにじむ。 「……そうか。でも、俺は思ってた」 ガウルは表情ひとつ変えずに、俺の視線を真正面から受け止めていた。 「俺がこの足で立っているのは、あんたのおかげだ。俺が今、生きてるのも……ここにいるのも」 低く、淡々と告げられる言葉。 なのに、重い。ズシリと、胸の奥に響く。 「……それは、感謝とか恩とか、そういうのとは違う。もっと、根っこのところで……俺は、あんたに“繋がれてる”って思ってた」 「ガウル……」 一歩、近づかれる。 俺は鍋を持つ手をそっと下げた。 その代わりに、胸の鼓動がバクバクと煩くなる。 「……でも、傷が消えて、“証”がなくなったら……なんだか、あんたの隣に立つ資格も、薄れた気がして」 そう言って、小さく肩を落とすガウルが、妙に無防備に見えて―― 思わず、俺は口を開いた。 「資格なんて、いらないだろ? ……隣にいるのが、お前なら。俺は、嬉しいって思うよ」 言ってから、ハッとした。 (……やべ、俺、今――) とんでもなくキザなことを口にした気がして、顔が一気に熱くなる。 けれど、それ以上にガウルの反応が気になって、そっと彼を見やった。 そのときだった。 「……なら」 不意に、ガウルが俺の手を取った。 その手は、いつも通りごつくて、あたたかくて。 でも、どこか震えているようにも感じた。 「“今度は、消えない証”を……俺に刻んでくれ」 「へ?」 「今度は、形のあるもんじゃなくていい。……でも、俺だけにしかわからない、“あんたのもの”って証が欲しい」 ――うわぁぁあ!? またサラッととんでもないこと言った!? 「ちょ、ちょっと待って!? それどういう意味!?!? どこに何を刻む気なのガウル!?」 「……任せる。でも、ユーマの手で、頼む」 (は!?!? 俺の精神に今、爆弾落ちたよね!? 警告なしの直撃だよね!?!) 不意に、ガウルにぎゅっと抱きしめられた。 その腕の熱が、ダイレクトに背中へと伝わってきて―― 「ユーマ……」 (や、ヤバい……心臓ごと……爆発する……!!) ま、待って待って待って!? ちょっと前までタレ作るために、ガウルが玉ねぎモドキ刻んでたよな!? なんで今度は、俺がガウルを“刻む側”になってんの!?!?? 意味わかんない!! 意味わかりたくない!! ていうか理解が追いつかないぃぃぃ!!! ていうか俺、今まともな判断できる自信ゼロなんですけど!? ガウルの手が、俺の背中を包む。 その温度に――俺の理性は、静かに、そして確実に崩壊していった。 (誰か俺の理性にヒールしてくれ!!!!!) *** 兄さんが暮らしているのは、魔法学院からずいぶん離れた街だった。 けれど今回は、魔法省からの要請ということもあり、学院からの外泊許可は思いのほかあっさりと下りた。 ――とはいえ、まったく不安がないわけじゃない。 実際、先に派遣された魔法省の使者が、4人も消息を絶っている。 記録の精査や聞き取りのために向かったはずの彼らが、揃って行方不明になったという話を、僕は先生から聞かされたばかりだった。 (兄さんの身に……何かあったんじゃ……) そんな考えを打ち消すように、僕は手にした地図を握りしめる。 頼りになるのは、兄さんの手紙に書かれていた住所と、この街の簡易マップだけ。 街の空気は活気に満ちていて、歩いているだけなら不安になる理由なんて一つもないはずなのに、心の奥にはひどく冷たいものが沈んでいた。 (……兄さん、どうか無事でいて) 願うように息を吐き、僕は人混みの中を進んでいった。 マップに視線を落としながら歩いていた僕は、不意に何か硬いものにぶつかって足を止めた。 「……っ、すみませんっ! 余所見してて――」 顔を上げた瞬間、思わず言葉を飲む。 壁かと思ったそれは、筋骨隆々とした大男だった。 けれど彼は、見た目に反してにこりと笑って首をすくめた。 「大丈夫だよ♡ 気をつけてね」 拍子抜けするほど柔らかい声に、僕は胸をなで下ろした。 よかった、怖い人じゃなかった……と、ほっとしてその場を通り過ぎようとした――その時だった。 「今の子、ちょっとユーマに似てたね」 「……ええ、そうですね」 すぐ後ろで交わされた言葉に、僕は反射的に振り返っていた。 「す、すみませんっ……今、“ユーマ”って言いましたか!?」 気づけば、僕の声が思ったよりも大きく響いていた。 驚いたように振り返ったのは、さっきぶつかった男と、その隣にいたもう一人の大男だった。 さっきは咄嗟で気づかなかったけど―― (……獣人!?) 一人は、分厚い肩と岩のように大きな手を持ち、体格は完全に壁。厚い胸板にぶ厚い眉、口元からは鋭い牙が覗いている。まるでクマがそのまま人の姿になったような迫力だった。 もう一人はそれよりは細身に見えたが、実際には引き締まった筋肉が隠されているのがわかる。長い脚と均整の取れた体躯は、むしろ戦士として磨き上げられたもの。栗色の長く柔らかそうな耳がぴくりと動いた。ウサギのような耳なのに、どこか鋭い印象を与えるのは、彼の目が――冴えた、無機質な光を宿していたからだ。 その体格に加えて、ただならぬ雰囲気に、僕は思わず息を呑んだ。 僕は気圧されながらも、手にした手紙をぎゅっと握りしめながら、言葉を選ぶように口を開いた。 「“ユーマ”は……僕の兄なんです。 この住所を頼りに来たのですが、初めての街で……もし、何かご存じでしたら、教えていただけませんか?」 「うそ! ユーマの弟!?」 「なるほど……どうりで似ていると思いました。ご主人様に、弟がいらしたなんて」 ――ご主人様? ……え、今なんて言った……? 僕の思考がふと止まる。 その言葉にこもる“距離の近さ”に、どう反応すればいいかわからなかった。 「オレたち、ユーマと一緒に暮らしてるんだ。 ちょうど今、家に戻るところだったし……良かったら案内するよ!」 「一緒に暮らしてる!?」 思わず、素っ頓狂な声が出た。 (じゃあこの人たちが……兄さんの手紙にあった“同居人”!?) (兄さんの風呂に勝手に入ろうとしたり、寝てる兄さんの上に乗ったりしてたっていう……あの!!) 目の前の二人を、交互に見上げる。 どちらも、重戦車みたいな筋肉をまとった獣人だ。 (兄さん……こんな人たちと、毎日……!?) 想像すればするほど、不安しか湧いてこない。 弟として、いろいろと――いや、ものすごく心配だ。 「え、あの、兄は……無事なんですよね?」 そう訊ねると、クマのような方が屈託なく笑った。 「うん、元気元気! 昨夜もオレの上で暴れてたし♡」 「それは、クーさんの“筋肉ぶとん”が暑すぎたからでしょう」 冗談まじりに言い合う二人は、やけに楽しそうで。 ますます、僕の顔は青ざめていった。 「そ、そうですか……はは……」 (だ、大丈夫なのかな兄さん……。これは一刻も早く、無事をこの目で確かめないと……!) 震える足を奮い立たせ、俺は二人の後ろについていく。 兄さんと再会するのが楽しみなような、怖いような……胸がぎゅっと痛んだ。

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