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第17話 違うんだ、それは誤解だリセル②
「ユーマ……」
俺は今、ガウルにホールドされたまま動けずにいた。
当然、がっしりとした腕から逃れられるはずもなく、もがく俺をガウルは軽々とホールド。
びくともしない。むしろ、押しが強くなってる……!
(や、ヤバい……心臓が……爆発する……!!)
「ガウル、いったん……ちょっと落ち着こう!? な!!」
必死に声をかけながら見上げると――
ガウルの目は完全に据わっていた。しかも、なんか……熱っぽい。
(ひ、ひぃぃ……これ絶対あかんやつ……!!)
顔が近い。めっちゃ近い。
綺麗に整ったその顔が、どんどん迫ってくる。
(う、うわぁぁぁぁ……ちょ、ちょっと待ってくれ!?)
その唇が、俺の唇に――
重なろうとした、まさにその瞬間だった。
玄関の方で、人の気配。
――ガチャッ。
そして、ドアが開く。
「なんかハチミツのにおい〜! ユーマ、お祝いのごはん作ってくれてるの!?」
「ただいま戻りまし――」
(アヴィとクーぅぅぅぅう!!!!!)
やばい。
完全にやばい。
ガウルにがっしりと抱きすくめられた状態のまま、俺の顔は真っ赤。 しかも、ちょうどキス未遂の体勢。
よりにもよって、その現場と――
バッチリ目が合った。
玄関に立ち尽くすアヴィの手には、ギルドの書類。
クーは、でっかい肉袋を抱えたままフリーズしている。
三秒の静寂。
俺は頭を抱えたい気持ちをこらえながら、叫んだ。
「ああああのこれは!! ち、違うんだ!! 違うっていうか誤解っていうか!! 違わなくても違うってことにしてくれ!!!!!」
「……現行犯ですね」
低く冷ややかな声が、玄関から響く。
「……チッ。空気読め」
すぐ横で、ガウルが舌打ちしながら眉間に皺を寄せた。
そのくせ、俺を抱きしめたまま離す気はさらさらないらしい。
そして――追い打ちの無邪気な声。
「ガウルずるいー! オレもあとでユーマとイチャイチャしたいな〜♡」
「待って!?!? なんでそうなる!?!? なんでそんなスムーズに次の予約入れてんの!?」
叫びながら、俺の顔は真っ赤だった。
逃げたい。穴があったら掘ってでも入りたい。
むしろ穴がないなら作ってくれ、ってくらい逃げたい!!
(いやもうほんと……誰か……助けてぇぇぇぇぇぇ……!!)
「……兄さん!?」
突然の声に、心臓が跳ねた。
ガウルに抱きしめられたままの姿で、俺はぎくりと顔を上げる。
クーとアヴィの背後――
そこに立っていたのは、見間違うはずもない、俺の弟。
リセルだった。
「リ、リセル……!?」
まさかこのタイミングで!?
なんで今!?
いや、いろいろあるけど今だけはダメだろ!?!?
俺の脳内で警報が鳴り響く。
一方リセルはといえば、目を見開いたまま、その場に硬直していた。
(う、うわあああああああああ!!!)
俺は思わず――いや、ほとんど本能的に、渾身の力でガウルを突き飛ばしていた。
「ちょ、おま、離れろぉぉぉおお!!!」
ガウルがわずかによろめいて、腕がふっと緩んだ。
その瞬間、俺はガウルに抱きすくめられていた体勢から解放され、息を切らして立ち尽くした。
「ち、違うんだリセル!! これはその……事故というか、いや事故ではないけど誤解というか……!」
しどろもどろに弁解する俺に、玄関先の三人――リセル、クー、アヴィが見事に固まっている。
アヴィは無表情で目を細め、クーは「えっ? なにこれ」とでも言いたげにキョトンとしていて、
リセルに至っては、口を開いたまま声が出てこないようだった。
(だ、誰かこの空気を浄化してくれ……っ!!!)
***
ダイニングテーブルを挟み、俺とリセルは向かい合って椅子に腰掛けていた。
そんな緊迫した空気の中、クーが軽やかな笑みを浮かべながら、水の入ったコップをそっとリセルに差し出す。
「はい、どーぞ♡」
リセルは無言で頭を下げたが、その視線は険しさを帯びて俺をじっと見据えていた。
(いや……いやいや、そりゃそうだよな!?)
久しぶりに兄に会いに来たら、マッチョな獣人と抱き合ってる現場に遭遇するとか、悪夢にもほどがある。
俺は額から冷や汗を流しながら、なんとか笑顔を作って声をかけた。
「……リ、リセル。元気そうで何よりだよ。しばらく見ないうちに、背、伸びたんじゃないか? 学院での生活は順調? あ、もし彼女できたら、ぜひ紹介してくれよ?」
……無理があるって、自分でも思った。
リセルは眉をひそめたまま、小さく唸るように――しかし、どこか感情を押し殺したような声で言った。
「……兄さん」
その声に圧があって、俺は思わず息を呑む。
「……は、ハイ……ッ!」
緊迫した空気に飲まれて、俺の声は裏返った。
そのままリセルの目をじっと見ていると、彼の険しい視線が一層鋭くなる。
「……あの手紙に書いてあったことは、本当なんですか?」
その問いに、俺は思わず言葉を詰まらせた。
(……え、手紙? なんの……手紙……?)
次の瞬間、リセルは一拍置いて、淡々と、けれど確実にトドメを刺してきた。
「……同居人が兄さんの風呂に侵入しようとしたり、寝ている兄さんの上に乗ったりしてくるって……」
一つひとつの言葉に合わせて、視線が鋭さを増していく。
その眼差しは、まるで“断罪”だった。
「――これ、あなたたちのことですよね?」
声は静かだったのに、部屋の空気がキン、と音を立てて張り詰めるのがわかる。
(やっっっっべぇ……!! 思い出した……あの手紙! ガウルたちがまだ“進化前”だった頃に書いたやつだ!! あれ、日記感覚で送ったやつじゃん!? なんで覚えてんの!? いや、それより今リセル絶対とんでもない誤解してる!!)
「いや、あのリセル、それはね、色々こう、誤解っていうか、当時はその……っ」
「前はよくユーマの上に乗ってたけど――今は、ユーマが上に乗ってるよね♡」
(おいコラァァァァア!!)
瞬間、頭が真っ白になった。
(ちょ、ちょっと待てクー!? その発言、誤解を100倍に濃縮して投げてるから!! しかもリセルの目が、今、氷点下通り越して絶対零度なんだけど!?!?)
俺の心の悲鳴とは裏腹に、クーはいつもの無邪気な笑顔でにっこりしていた。
それを聞いたリセルは、鋭い視線で俺の背後にいるガウルたちを真っ直ぐに睨みつけて――、はっきりと告げた。
「……兄さんを、返してください」
空気が一瞬で張り詰める。
「兄さんは……こんな場所にいるべき人じゃないんです」
(ちょっ、待って!? 今“こんな場所”って言った!? ここ俺ん家なんですけど!? ボロ屋だけど居心地いいんですけどーー!?)
「リセル、それ……誤解なんだよ。本当に、いろいろあって……」
「兄さんは黙っててください!」
「ハイッ!?」
反射的に背筋が伸びた。リセルの声は静かなのに、なぜか軍隊式に命令されてる気分になる。
そのままリセルは、まっすぐ俺を見て、迷いなく言い切った。
「兄さんは、もうここに縛られている必要なんてありません」
「…………え?」
一瞬、空気が止まる。
「――だって、兄さんは……ただの回復術師なんかじゃないんですから」
(え……何それ……今さらそんな裏設定、俺にあったっけ……?)
「だから、一緒に来てください。魔法学院へ。
兄さんの力を、ちゃんとした場所で――正当に証明するために」
「ちょ、ちょっと待って!? リセルも知ってるよね!? 俺、オ◯ナインヒールしか使えないんだけど!? ……えっ、もしかしてこれ、あまりに陳腐すぎて逆に伝説級だったとか、そういうオチ!?!?」
思わず、情けない声が裏返る。
でもリセルは、そんな俺をまっすぐ見据えて言い放った。
「……いいえ。兄さんは――ソウルリターナーです」
「……は? なにそれ?」
リセルの声は静かだったが、どこか確信めいていて、妙な重みがあった。
「呪いやトラウマを癒して、希望を与える――そんな特別な魔法を使う人のことです。
かつてこの国を救った英雄も、その力を持っていたと言われています。彼は、“ソウルリターナー”と呼ばれていたそうです」
(トラウマを癒して、希望を与える魔法……?)
最初はピンとこなかった。
だけど――心のどこかが、ざわりと揺れた。
思い出す。
アヴィも、ガウルも、確かにそんなことを言っていたような気がする。
クーだって、あれほどオロとの別れを嫌がって泣いていたのに……翌朝には、けろっと笑ってた。
俺はあれを「偶然」とか「気のせい」だと思っていたけど――
まるでパズルのピースが、ひとつずつ音を立ててはまり込んでいく感覚。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
(まさか……俺の“ヒール”の裏で、その“ソウルなんとか”が勝手に発動してたってこと……!?)
ガウルたちの方を、リセルはまっすぐに見据えた。
「……あなたたちは、もう気づいているんでしょう? 兄さんが、どれほどの魔法使いか」
リセルの声は一見静かだった。
だがその奥には、鋭く研がれた怒りの刃が隠されていた。
「兄さんの魔法の調査のために、魔法省から派遣された使者が……4人も、行方不明になりました」
リセルの視線が鋭くなる。
「――あなたたちの仕業じゃないんですか?」
数秒の沈黙ののち、ガウルが低く、抑えた声で応じた。
「……知らない。魔物にでも喰われたんだろ」
淡々としたその言葉には、明確な拒絶と、何かを守ろうとする強い意志が滲んでいた。
しかしリセルは、目を逸らすことなくさらに踏み込む。
「――魔物に“喰わせた”、の間違いじゃないですか?」
ガウルは腕を組んだまま微動だにせず、鋭い眼差しをリセルに向けている。
アヴィは静かに目を伏せていたが、そのまなざしは冷ややかにリセルを見据えていた。
クーは椅子に逆向きに跨り、背もたれを抱いて顎を乗せたまま、俺とリセルを交互に見ている。その瞳には、不安と戸惑いが滲んでいた。
リセルは拳をぎゅっと握りしめ、奥歯を噛みしめる。そして、ぽつりと、胸の奥に溜め込んだ想いが零れるようにこぼれた。
「……どうして、兄さんが……こんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんですか……」
その声は、かすかに震えていた。
「兄さんは、ずっと両親に疎まれてきた。誰にも理解されなくても、兄さんは……優しかった。
なのに、やっとその兄さんが認められると思ったのに……どうして……どうして、またこんな目に……」
言葉が途中で詰まり、リセルの瞳に、涙が滲んでいく。
「――お願いします。兄さんを……返してください……!」
その言葉と共に、堪えきれなかった涙が頬を伝って流れ落ちた。
俺は、何も言えなかった。
ただ、その涙が胸にずしりと響いた。
「……リセル」
掠れた自分の声が、思ったよりも小さくて頼りなかった。
でも――リセルの姿は、もう“弟”という枠だけじゃなかった。
あれほどまっすぐな眼差しで、自分を案じてくれる存在が、他にいるだろうか。
これは“家族”という絆の強さだった。
だったら、俺も――応えなきゃいけない。
「……違うよ、リセル」
ゆっくりと息を吸って、言葉を探しながら、俺は続けた。
「俺は、脅されても、操られてもいない。ここにいるのは……俺の意志だよ」
そう言って、ガウルたちにちらりと視線を向ける。
「確かに、ちょっと……普通じゃないかもしれないけどさ」
苦笑しながら言うと、リセルの眉がわずかに動く。
「……でも、ガウルも、クーも、アヴィも――俺にとっては、大事な仲間なんだ。
たとえ俺が……その、“ソウルリターナー”ってやつだったとしても、それは変わらないよ」
リセルは、黙ったまま俯いていた。
その沈黙が、答えを探している証拠のように思えて、俺はそっと声を重ねた。
「……俺は、誰かに認められたいわけじゃないんだ」
ゆっくりと、でも確かな声で俺は言った。
「ただ、ここでの暮らしが――好きなんだ。
毎日笑って、冗談言って、ときどきケンカして……でも、それでも一緒にいられる。
……俺にとって、“帰る場所”って、もうここしかないんだよ」
リセルは、唇をきゅっと噛みしめた。
納得がいかないような、何かを飲み込もうとしているような――そんな顔だった。
「……兄さんは、それで……本当にいいんですか?」
まるで、確かめるような声だった。
不安と、諦めと、祈りのような感情が、わずかに滲んでいた。
「ああ。……ありがとうな、リセル。
兄さんのために、いろいろ悩んで、動いてくれたんだよな」
そう言って、俺はゆっくりと微笑んだ。
リセルは目を伏せたまま、何も言わなかった。
ただ、その肩がわずかに震えていた。
そして――ぽたり、と、膝の上にひとしずく、涙が落ちた。
「……僕はただ、兄さんのことを、みんなに認めて欲しかったんです」
リセルの声は小さく、震えていた。けれど、その胸の内に渦巻く悔しさや焦りは、はっきりと伝わってくる。
「だから……学院でも、兄さんの“ヒール”は、ただの回復魔法じゃないかもしれないって……話してしまったんです」
唇をきゅっと噛みしめ、膝の上で握られた拳が震える。
「それがきっかけで、魔法省にもその話が伝わりました。……兄さんが“他国の手に渡る”ことを、あの人たちは何より恐れています。
だからきっと……このままじゃ済みません。彼らは“兄さんの力”を手元に置いておこうと、動き出すはずです」
「……えっ、そんなヤバい魔法なの、俺の?」
ぽかんと漏れた俺の声に、場が一瞬静まり返った。想像力の乏しい俺には、どうにも現実味がなさすぎる。
その沈黙を破ったのは、アヴィだった。
「……ご主人様の魔法は、“救い”にも、“脅威”にもなりえます。
心の痛みすら癒やすその力は、軍事的な価値だけでなく、政治や宗教にとっても、非常に――危険です」
「……そんな、大げさな……」
未だ半信半疑の俺にアヴィは静かに続けた。
「……いいえ。もし軍がその力を手にすれば、“兵士の心を壊さず、何度でも戦場へ送り出せる”戦力の拡大に繋がる。
政治家が手にすれば、外交の場で“特別な交渉材料”として利用される。
宗教がその存在を取り込めば――
“奇跡の使い手”として、ご主人様を神格化し、信者を集める道具にされるでしょう」
「……マジ?」
「……マジです」
冗談の欠片もないその目に、俺は思わずごくりと息を呑んだ。
「……ごめんなさい、兄さん」
リセルは顔を伏せたまま、ぽつりと絞り出すように言った。
「僕が……先走って話してしまったばかりに……結果的に、兄さんの気持ちを無視する形になってしまった……」
その声には、後悔と自責の念が滲んでいた。
兄を想って行動したはずなのに、それが兄の居場所を脅かすことに繋がってしまった――
その事実が、リセルを深く傷つけているのが、痛いほど伝わってくる。
「リセル、手、出して?」
声をかけると、リセルは目に涙を浮かべたまま、戸惑いながらも小さく頷いた。
おずおずと差し出されたその手は、まだかすかに震えていた。
俺はそっとその手を包み込み、指先から、静かに魔力を流す。
馴染んだ癒しの術式――ヒール。
でも、これは傷を癒すためじゃない。
「……ごめんなんて、言わなくていいよ。ちゃんと、伝わってるから」
ふわりと柔らかな光がリセルの手に灯る。
温もりがじんわりと肌に染み込んでいくように、魔法が心まで届いていくのを、俺自身が感じていた。
リセルは目を伏せたまま、小さく唇を噛んでいた。
そしてぽつりと、震える声で言った。
「……兄さん」
その一言に、こらえていた涙が、また一粒、静かに頬を伝った。
「……大丈夫。なんとかなるよ。ってか、もう、なるようにしかならないし。なぁ……そうだろう?」
俺は肩の力を抜いて、仲間たちの顔を順に見た。
ガウルは静かに頷きながら、低く頼もしい声で言う。
「ああ、そうだな。――あんたが危険な目に遭いそうだったら、俺が守る」
アヴィはまっすぐに俺を見据えて、一切の迷いもなく続けた。
「ええ。例えこの国を敵に回すことになっても、僕はご主人様の味方です」
そして、クーはいつも通りの笑顔で、明るく言ってくれる。
「ユーマのことは、オレたちに任せてよ♡」
――ああ、なんて心強いんだろう。
思わず笑みがこぼれる。
たとえ何があったとしても、この仲間たちと一緒なら、きっと乗り越えられる。
根拠なんてなくても、そう思えた。
リセルは立ち上がり、ゆっくりと深く頭を下げた。
「……みなさん、兄さんのこと、どうかよろしくお願いします」
その声は、震えていた。
必死に感情を押し殺しているのが伝わってくる。
「……もう、兄さんがどんな道を選んだとしても、僕がそれに口を挟むつもりはありません。
だけど――」
リセルは小さく息を吸い込み、視線をそっとガウルたちのほうへ向けかけたが――すぐに、また俯いた。
「……せめて。兄さんのそばにいてくれる人たちが……本当に、兄さんのことを大切にしてくれるなら……
それだけで、僕は……いいんです」
俺は思わず立ち上がって、そっとその肩に手を置いた。
「……バカだな、お前は」
リセルがはっとして顔を上げる。その瞳にはまだ、涙の名残があった。
「お前こそ……ちゃんと幸せになれよ。俺のことなんていいから、自分の人生をちゃんと歩け。立派になってくれて、ありがとな」
言いながら、どこか胸が熱くなるのを感じた。
リセルは何も言わずに、だけど小さく頷いて……ほんの少しだけ、子供みたいな顔で笑った。
「リセル。とりあえず、今日は泊まっていくだろう? ちょうど夕飯の支度をしてたんだ。肉、食べるかい?
飛竜リオバロスの肉なんだけど、これが美味しくてさ」
「……ひ、飛竜!?!?」
「うん。さっき、ガウルたちが腕っぷしだけで倒したんだ。すごいだろ?」
「ちょ、兄さん!? よりによって飛竜!?
いや、違う!!そこじゃない!!肉の名前にビビる前に、周囲のマッチョ獣人を警戒してよ!!!」
「……え? なにが?」
「兄さんが“ソウルリターナー”だってことより、こんな変なマッチョ獣人を三体も手懐けてる方が――
国際的にヤバいんじゃないの!?!?」
「……こんなで悪かったな」
「……失礼ですね」
「でもユーマに似てて可愛いから、許す♡」
リセルの無遠慮な一言に、三者三様、控えめながらも抗議の声があがった。
「うん、そう。俺も……最初はそう思ってたけどさ。……慣れって、怖いよな〜……あはは」
苦笑いしながら頭をかく俺を、リセルが絶句した目でじっと見つめていた。
――わかるよ、その顔。俺も最初はそうだった。
でもな、リセル。
筋肉だけでダンジョンを攻略するのを目の当たりにしたり、
筋肉の壁に囲まれて飯を食い、筋肉ベッドで眠り、
ちょっとえっちな(?)筋肉マッサージを受けたりしてると……
……人間って、どこまでも順応するんだよ。
「ふふ……いずれリセルにも、わかる時がくるさ」
「兄さんやっぱり今すぐ帰ろおおおおおおおおお!!!」
***
「兄さん! 本当に……ほんとうに、これでいいんですね……!?」
リセルは、三歩進んでは振り返り、また三歩進んでは「本当に!?」と確認してくる。
まるで、置いていかれる子犬。
……いや、あいつのスペック的には大型犬だな。キレたら噛む。
「大丈夫だって。ほら、気をつけて帰れよ」
しぶしぶ納得したふうのリセルは、ようやく魔法学院へと引き返していった。
どうやら魔法省から「兄を学院に連れてこい」という爆弾ミッションを受けていたらしい。
……が、そのへんは自力でなんとかするらしい。
さすがは俺の弟。口も頭もまわる優秀ボーイ。兄とは大違い。
「よーし、じゃあ行ってくるね〜♡」
ひょいっと背後から現れたクーが、当然のようにリセルを担ぎ上げた。
「ちょっ、やめ、やめてください! 僕は歩けます! 自分の足でっ……ぎゃーッ!!」
そのままクーは軽快に跳ねながら、森の向こうへフェードアウトしていった。
遠ざかっていく悲鳴に手を振りながら、俺はほっと息をついた。
ガウルは無言のまま腕を組み、ただリセルの背中をじっと睨んでいた。
アヴィはと言えば、「弟さん……なかなか肝が据わっていますね」と、どこか遠くを見るような目でぽつりと呟く。
――まあ、色々あったけど。これで、ひとまず一件落着……だよな?
そう思いながら、俺はふうっと深く息を吐いた。
ようやく訪れる、静寂。ささやかな、日常。そして――
こうして、我がボロ屋には、ようやく平穏(※当社比)が戻るはずだった。
……あの時までは。
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