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第36話 あの日の魔法使いと狼

「ねえ、どうして喋らないの?」 「お母さん、狼なの?」 「じゃあ、人の言葉を教えてもらえなかったんだ」 「獣人って、人間を襲うんでしょ?」 「……あーあ、また泣いちゃった」 孤児院の小さな庭の木の根元で、俺は小さくうずくまるしかなかった。 口を開こうとしても喉が詰まり、声は出ない。 ただ、涙だけが頬を伝って落ちていく。 「なにをしているのですか!」 シスターの鋭い声が響いた瞬間、俺を取り囲んでいた子たちは、はっとした顔でわっと散っていった。 「なにもしてないよ、シスター。ただちょっと話しかけただけなのに、こいつが勝手に泣き出したんだ」 俺の目の前にシスターがしゃがみ込み、そっと視線を合わせてくれる。 「ガウルは繊細な子なんです。大勢で取り囲んだら、怖いに決まってますよ。もっと優しくしてあげなさい」 「してるよ。でもこいつ、“ありがとう”の一つも言わないんだ」 「ねぇ、獣人って喋れないの? なんでずっと小さいままなの?」 無邪気な言葉が、鋭く胸に突き刺さる。 声を出したくても出せない。どうすればいいのか分からない。 そんな俺を守るように、シスターがきっぱりと言った。 「見返りを求めて優しくするものではありません。ガウルはきっと、大変なことを乗り越えてきたんです。それに、獣人の生態は分からない事が多いんです。見た目は変わらなくても、皆さんと同じように成長しているんですよ」 胸の奥がぎゅっと痛む。けれど、シスターの声は柔らかくて――その響きに、少しだけ安心した。 「えー、そのうち狼に変身して人間食べちゃうんじゃないの?」 「食べません。いいから、もうあっちへ行きなさい」 シスターはポケットからハンカチを取り出し、そっと俺の頬を拭った。 「ガウル。……貴方には、貴方にしかない良いところがたくさんあるんです。涙を流せるのは、心が優しい証拠。なにも恥じることなんてありませんよ」 その一言ひとことが、胸の奥にじんわりと染み渡っていく。 声は出せなかったけれど――俺は小さく頷いた。 温もりに触れたように、強ばっていた肩の力がふっと抜けていくのを感じた。 「……そうだ」 ふと、シスターが何かを思い出したかのようにその場を立ち去る。 足音が小さく遠ざかり、やがて戻ってくる。 手には、一冊の本が抱えられていた。 表紙には、小さな魔法使いと狼が並んで描かれている。幼いながらも勇ましく杖を掲げる魔法使いと、その隣で寄り添う狼。 「ガウル、これは私のお気に入りの本です」 シスターは優しく微笑み、その本を差し出した。 戸惑いながらも、俺は震える手でそれを受け取る。厚みのある装丁の温もりが、掌から胸の奥へとじんわり染み込んでいく。 「……読んでみて。もし気に入ったなら、貴方に差し上げますよ」 その声は、ささくれ立った心を包む毛布のように柔らかかった。 胸の奥に、小さな灯がともった気がして――俺は思わず、ぎゅっとその本を抱きしめた。 手渡された本をめくると、そこには――弱虫な魔法使いと、同じように弱虫な狼が描かれていた。 魔法使いはいつも物陰に隠れ、何をするにも「どうせ僕にはできない」と口にしてしまう。 狼は孤独で、誰からも怖がられていた。 けれど二人は出会い、やがて少しずつ、互いを守りたいと願うようになっていく。 魔法使いは狼に寄り添い、狼は魔法使いを支えながら、数々の困難に挑んでいく。 そしていつしか、一人と一匹の絆は深まり、どんな試練も一緒に乗り越えていくようになる――。 ……読みながら、胸の奥が熱くなった。 弱虫なのに、弱いからこそ、支え合える。 そんなふうに描かれているこの物語が、俺に向けられたシスターの想いなのだと気づいた瞬間、涙がまたあふれて止まらなくなった。 それと同時に、本の中の二人が羨ましくもあった。 こんなふうに想い合える相手が俺にはいなかったし、現実はそんなに都合よくはいかないことも分かっていたから。 それでも――ページを追う間だけは、不思議と心が満たされていく気がした。 庭の木の下で夢中で読んでいたそのとき――影が差した。 「なに読んでるの? 見せて」 同室のエルフェンが、俺の手から本をひょいと取った。 「あっ……!」声にしようとしても、喉が張りついて何も出ない。 返して、って言いたいのに。 大事なんだ、これはシスターから貰ったんだって、そう伝えたいのに。 「ちょっとくらいいいじゃん」 ぱらぱらとページをめくられていく。 胸の奥がざわついて、どうしようもなく苦しくなる。 ――返して。 気づけば、体が勝手に動いていた。 相手の手から本をぐっと奪い返した瞬間、勢い余って、その子を突き飛ばしてしまった。 尻もちをついた相手が、呆然とこちらを見上げている。 (……違う、俺はただ、本を――) 声さえ出せれば、こんなことにはならなかったのに。 俺は本を握りしめたまま、そのまま駆け出していた。 ある日、食事を終えて部屋に戻ると、机の上に置いていたはずの本が見当たらなかった。 慌ててベッドの下や棚の隙間まで探したけれど、どこにもない。 胸がざわついて、冷たい汗が背中をつたう。 ――ない。どこにも。どうして……。 そのとき、後ろから聞こえた。 「そんなに大事ならさ、ズボンの中にでもしまっとけよ」 振り返ると、エルフェンがニヤついた顔で俺の肩を小突いてきた。 嘲るような目、吐き捨てるような声。 カチン、と。 何かが俺の中で音を立てて崩れ落ちた。 気づいたら――俺は相手の胸ぐらをつかんでいた。 震える手。熱くなる頭。 声は出ないのに、心の中は叫びでいっぱいだった。 (……返せ! 俺の……!) 「シスター、大変だよ! ガウルとエルフェンが取っ組み合いのケンカしてる!」 廊下に誰かの叫び声が響いた。 次の瞬間、開け放たれた部屋の扉から、シスターが飛び込んでくる。 「なにをしているんです!」 俺は我に返った。 手はまだ相手の胸ぐらを掴んでいて、相手の顔は恐怖と怒りで真っ赤に染まっていた。 頬には赤い引っ掻き傷。爪痕は俺の頬にも走っていて、じんわりと血が滲んでいる。 周りの子たちは円を描くように距離を取り、口々に騒ぎ立てていた。 「ガウルが急に掴みかかったんだ!」 「違うよ、エルフェンがからかったんだ!」 「エルフェンが、ガウルの本を隠したんだ!」 ――その言葉に、俺の拳は自然と振り上がろうとした。 しかし、すぐにシスターが肩をしっかりと押さえ、強くも優しい声で言った。 「ガウル、もうやめなさい!」 「……っ」 顔を顰め、俺は乱暴に相手の襟を放した。 掴んでいた手の温もりが消えても、周囲の視線は鋭く突き刺さったままだった。 「エルフェン大丈夫……?」 「血が出てるよ……」 「怖い……」 囁き声が耳に残る。 俺の胸の奥で、何かがぎしぎしと軋んだ。 シスターがなにか言おうと手を伸ばしてきたけれど、その温もりに触れたら、涙がこぼれそうで――。 俺は首を振って、その手を振り払うように背を向けた。 「ガウル!」 呼ぶ声を振り切って駆け出した。 孤児院の扉を乱暴に押し開け、冷たい風をまともに浴びながら森へと飛び込む。 枝が頬をかすめても、胸の痛みの方がずっと強い。 ただ逃げたかった。 あの視線からも、囁きからも、なにより――自分自身から。 無我夢中で森の中を走り抜けていた。 ――その時。 ガシャン。 次の瞬間、左足に焼けつくような痛みが走り、体は前のめりに地面へ叩きつけられた。 罠だ。鉄の牙が足首を噛み締め、血の匂いが立ちのぼる。 「っ……あああ……!」 必死に外そうとするが、罠はびくともしない。 痛みと焦りで視界が揺れ、胸が潰れそうになる。 その時――茂みの奥から人の気配。 まずい。“外”の人間だ。 知らない人間は、何をしてくるか分からない。 見つかれば、きっと危険だ――そう直感した。 恐怖で後ずさろうとしても、足は罠に囚われ逃げられない。喉の奥で声にならない叫びが渦巻く。 「ま、待って! 大丈夫、酷いことなんてしない!」 緊迫した空気を破るように、慌てた声が森に響いた。 声の方を振り返ると、茂みをかき分けて現れたのは、まだ少年の人間だった。 年は俺より少し年上に見えた。 慌てたように息を切らし、けれどその目は怯えるどころか真っ直ぐで――。 「……ちょっと、足見せて。血、止めなきゃ……」 俺は咄嗟に身を引こうとしたけど、罠が足を掴んでいて逃げられない。心臓が喉から飛び出しそうで、呼吸も苦しい。 でも――彼は、無理やり触れてきたりはしなかった。ただ、俺の目を見て、怯えさせないようにするみたいに、ゆっくり動きを止めた。 この人は今、俺を助けようとしてる。 「よし、外すぞ。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してくれ」 金具に手をかけた彼は、小さな声で呟くように魔法を唱えた。 微かな光が罠の周りに揺らめく。 治癒魔法……? けれど、その光は弱く、少し痛みが和らぐ程度だった。 それでも――。 (……な、んだ、これ……) 瞼の裏に、突然、鮮烈な映像が流れ込む。 まだ幼かった俺を胸に抱き、孤児院の前で力尽きた女の姿。 息が詰まった。頭の奥に雷が落ちたように、全身の毛穴が総立ちする。 ……それは、絶望じゃない。 確かに、母の愛だった。 まるで、胸の奥でこびりついた恐怖と絶望でできた塊を、一瞬で溶かされたような感覚―― 魂の奥深くまで届き、俺のすべてを揺さぶる。 世界の色が反転した。 泥水で満たされた俺という器が、鮮やかな光で塗り替えられていく。 そして、目の前の少年を見た瞬間―― 全身の感覚が、心臓が、体中が、理屈も理由もいらない、と叫ぶように震えた。 ──この瞬間、俺は、初めて誰かを“確かに”求めた。 その衝撃に、思考は追いつかない。 ただ、胸が高鳴り、呼吸が止まりそうになる。 その時、森に他の人間の声が響いた。 「兄さーん!」 驚きのあまり、咄嗟に逃げ出してしまった。 息を殺し、木の陰に身を潜める。 心臓の高鳴りだけが、森の静寂の中で響いていた。 彼の背中が、少しずつ遠ざかっていく。 その歩幅、髪の揺れ、力強くもどこか柔らかな存在感――すべてが目に焼き付く。 声をかけたくても、体が動かない。 ただ、そっと見送るしかない自分がもどかしく、胸が締めつけられた。 木々の間から、彼の姿がやがて小さくなり、森の影に溶けていく。 でも、目に映ったあの背中は、きっと忘れない。 ――俺は、確かに今、恋に落ちていた。 孤児院に戻ると、シスターが慌てた様子で飛び出してきた。 「ガウル! よかった……戻ってきてくれたのね」 どこか後ろめたさを抱えながら、無意識に震える声を口にした。 「……ごめん、なさい」 (……!! 俺、言葉が……出せる……!) 思わず胸が高鳴り、自分の存在を認められたような、不思議な充実感が広がる。 「……ガウル! 喋れるようになったのね……!」 シスターは涙混じりに俺を抱きしめる。その温かさに、安心と誇らしさが全身を満たし、胸の奥の空っぽだった場所が少しずつ満たされていくのを感じた。 それから、俺の人生は一気に180度変わった。 きっと、あの人はただ者じゃない――すごい魔法使いに違いない。 胸の奥がぎゅっと熱くなる。もっと知りたい、もっと――彼のことを。 名前は? どこに住んでいる? あんなに恐ろしく感じていた“外”の世界――孤児院の壁の外――。 でも、そこに“彼”がいるというだけで、胸が跳ね、心が躍った。 風に混ざる木々の匂いや、湿った土の香りまでが鮮やかに、いつもより鋭く感じられる。 心臓の鼓動が耳の奥で響き、体中の神経が熱くざわめいた。 俺は孤児院を抜け出し、彼の痕跡を追った。 目で、鼻で、耳で――あらゆる感覚を研ぎ澄ませ、影のように後をつける。 森の中、葉擦れの音に身をひそめ、あの人の匂いを辿る――ただ知りたくて、ただ近くにいたくて。 本能のままに足が動いた。 そうして知った、彼を取り巻く環境は、俺の想像とはまるで違っていた。 彼――ユーマ・クロードは、両親から冷たく扱われているようだった。 「あなた、リセルがユーマを魔法学院に入学させてあげてほしいって、うるさいのよ」 「は? 放っておけ。あいつの実力じゃ門前払いだろ。そもそも学院で何を学ぶっていうんだ。才能もないのに。家はリセルに継がせる」 ――そんな会話が、家の窓越しに時折もれてくる。 聞くつもりはなくても、耳に突き刺さる言葉ばかりだ。 その断片だけで十分だった。 ユーマがどれほど理不尽に扱われているのか、痛いほど伝わってきた。 両親が家にいるあいだ、ユーマは決まって外に出ていた。 森や湖のほとり、小川の流れ――あてもなく歩いては立ち止まり、岩場に腰を下ろして小石を投げる。 その背中には、遊びでも探検でもない、ただ時間をやり過ごしているような影がまとわりついていた。 その日も俺は、ただユーマの背中を目で追っていた。 木の根元に腰を下ろした彼は、やがてまぶたを落とし、穏やかな寝息を立て始める。 その横に、俺もそっと腰を下ろした。 ――“あの時は、助けてくれて、ありがとう” ただ、そのひと言を口にすれば済む話だ。 けれど俺には、どうしてもできなかった。 種族も違う。 ましてや女でもない俺が、道ならぬ恋をして、彼の何になる……? 初めから叶わぬ想いなら、いっそ最初からなかったことにしたほうがいい。 そう思い込もうとした、その時。 ふっと風が吹き抜けた。 混じる匂いに、俺の耳がぴくりと動く。――獣の気配。 王都に近いこの辺りは比較的安全とされている。 だが、危険な魔物が絶対に現れない保証など、どこにもない。 俺は音もなく立ち上がる。 ユーマの背に影が迫ろうものなら、迷わず刃を振るうだろう。 それが獣人としての本能なのか、ただの執着なのか――自分でもわからない。 だが考えるより先に、体は宙を駆けていた。 ナイフの切っ先が迷いなく閃き、魔物の息の根を絶つ。 心臓の鼓動だけが、やけにうるさく響いていた。 ナイフを引き抜き、血の匂いを払い落とす。 魔物の体は地に伏し、静寂だけが戻った。 振り返れば、木の根元でユーマが穏やかに眠っている。 何も知らず、無防備なまま――まるで世界の中心に彼ひとりだけがいるように。 俺はほんの一瞬、その寝顔に見入った。 けれど胸の奥が痛み出し、思わず視線を逸らす。 ……これでいい。 気づかれなくていい。知られなくていい。 そっと足音を消し、森の影へと身を隠す。 眠る彼の耳に届いたのは、きっと風の音だけだった。 俺が狩った小型の魔物を孤児院に持ち帰ると、シスターは目を丸くして息を呑んだ。 「……血抜きもして、内臓も取ってある。悪くならないうちに、皆で食べて」 差し出した獲物を見て、彼女はぽかんとした後、ゆっくりと微笑んだ。 「ガウル……あなた、狩りの才能があるのね。本当に、すごいわ」 ――才能。 そんな言葉を向けられたのは、生まれて初めてだった。 「わー! ガウルすごーい!」 「もう“泣き虫ガウル”だなんて呼べないな!」 子どもたちが口々に叫び、俺の肩や腕にまとわりつく。 くすぐったくて、どうしていいか分からなくて――それでも、気づけば自然に笑っていた。 少しずつ。 ほんの少しずつだが、俺は孤児院の仲間たちと打ち解けていった。 その夜。 俺は、あの魔法使いと狼の物語を読みながら、ふとユーマのことを考えた。 あの家はユーマの弟が継ぐ。じゃあ、その後のユーマは――どこへ行くのだろう。 この本の魔法使いのように、どこか遠くへ旅立ってしまうのだろうか……。 いずれは、俺もここを出なければならない時が、必ずやってくる。 例え、この想いが届かなくても――。 それでも、もし俺がユーマの“居場所”になれたら……。 守る力を持ち、側にいて、彼を笑顔にできる存在に――この物語の“狼”に、俺がなれたら。 足首の傷跡をそっと指先でなぞる。 その想いだけで、体は自然と前を向いていた。 俺は、決めた。 ここを出よう。もっと広い世界で力を磨き、ユーマに受けた恩を、必ず返せる自分になろう――と。 俺は決意を胸に、孤児院の部屋を出た。 窓の外に広がる空――青く澄んだ空――を見上げるだけで、胸の奥がざわついた。自由になる、ということの心地よい重さを初めて感じた。 荷物は最小限にまとめた。自分のナイフと水筒、寝袋、そして――あの魔法使いと狼の物語の本。手放せない、大切な宝物だ。 シスターには、きちんと頭を下げて別れを告げた。 「ガウル……気をつけるのよ。あなたなら、きっと大丈夫」 その言葉に、胸がぎゅっとなった。ありがとう、シスター。俺、頑張るよ――。 孤児院の門をくぐると、世界は思っていた以上に広く、そして光に満ちていた。 足元の小石を蹴りながら、俺は一歩ずつ前に進む。 いつか胸を張って、ユーマの前に立てる自分になるために――もっと強くなるために。 最初に訪れたのは、王都近くの冒険者ギルド。 老若男女、いろんな者たちが行き交う中で、俺はフードを目深に被り、少し緊張しつつも、勇気を振り絞って受付へ向かった。 「……冒険者になりたいんです」 口に出してみると、言葉が自然に胸の奥から湧き上がってきた。恐怖や不安よりも、決意と希望が先に立っていた。 受付の人は少し驚いた顔をしたけれど、にこりと微笑み、手続きを進めてくれた。 こうして、俺――ガウルは、孤児院を離れ、冒険者としての第一歩を踏み出した。 *** 明け方に近い深夜。 誰かが寝返りを打つ、かすかな布ずれの音に目を覚ます。 腕の中のユーマは、静かな寝息を立てていた。 そっと覗き込むと、閉じられた睫毛の下に、微かに涙が光っている。 親指でそれを拭い取り、頬を撫でるようになぞる。 触れられたユーマは小さく身を寄せ、安らかな吐息をこぼした。 (大丈夫だ。今は、俺たちがそばにいる) 森の奥で、居場所をなくしたように佇んでいた彼の背中を思い出す。 おどけて気丈に振る舞うことはあっても、多くを語ろうとはしない――。 その影を、どこか自分と重ねてしまった。 進化前の俺たちに向けられていた優しさは、今も変わらない。 けれどそれは、ただの親切心じゃない。 どこか、自己投影のような気配があった。 ――きっとユーマが幼い頃に「こうしてもらえたら」と願った愛情を、今、俺たちに注いでいるのだろう。 それほどまでに、愛に飢えている。 あの家で育ったのなら、無理もない。 けれど――それだけじゃない気がする。 俺と同じ歳のはずなのに、まるで何十年も孤独の中で生きてきたような、深い寂しさが時折にじんでいた。 俺は彼の手を取り、掌に唇を寄せた。 ユーマの魔法、“ソウルリトリーバル”は、彼自身には、たぶん届いていない。 誰もユーマを癒せないのなら……俺がなる。 (俺が、ユーマの魔法になる……) 涙の跡をもう一度そっと拭い、彼を腕の中で抱きすくめる。 耳元に唇を近づけ、囁くように誓った。 「俺がおまえの居場所になる。 ……ずっと、おまえを守る“狼”でいる」

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