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第38話 魔法と筋肉のハーモニー

俺たちは、再び治癒魔術士団の拠点がある棟へと足を運んだ。 王城ほどの煌びやかさはないが、白を基調とした欧風建築は端正で、整然とした威厳を感じさせる。 木製の扉や手すりは無駄な装飾をそぎ落としたシンプルなもので、魔道士や兵士たちの規律正しさを象徴しているかのようだった。 ロイドさんは普段通りの落ち着きで、研究室の扉の前で二度軽くノックを打つ。 中から「どうぞ」と落ち着いた声が返ってくる。 でも俺は、胸の奥がそわそわと騒ぎ、肩に力が入ったままだ。 研究室の向こうに何が待っているのか、まだ心の準備ができていない――そんな気分だった。 ロイドは、普段通りの軽やかな調子で「失礼しやーす」とドアを押し開く。 「室長、約束通りユーマくん連れてきたよ」 その声で、俺は少し身を強ばらせた。 部屋に足を踏み入れると、書棚や机に所狭しと魔法器具や魔石、巻物が並んでいて、淡い光があちこちから漏れていた。 天井の浮かぶ魔力の玉が、室内を柔らかく照らす。 薬草の匂いと魔力の気配が混ざり、俺は思わず息を呑む。 「ユーマ・クロードです。今日は、よろしくお願いします!」 思わず声が少し震えるのを感じながら、頭を軽く下げる。 「……ああ、よく来てくれたね。我々は君を歓迎するよ。私はここで室長を務めている、マルコムだ。よろしく頼む」 白いローブをきちんと纏い、白髪混じりのグレーの髪を整えた室長は、眼鏡越しに目尻のシワを柔らかく寄せながら微笑んだ。 「もちろん、そっちの彼のことも、ユーマ君のお目付け役だということは陛下から伺っているよ」 室長の穏やかな声に、ちょっと安心しつつも、内心で眉がぴくり。 「うん、ユーマの見張り役だよ♡」 クーのにっこり笑顔に、思わず心の中でツッコミを入れる。 (……完全に不貞監察官じゃん! せめて“護衛”ってことにしておいてくれ……!) 俺の心の叫びもお構いなしに、クーは楽しげに肩を揺らしている。 「じゃあ俺っちは持ち場に戻るよ。可愛い子ちゃんたちが俺を待ってるからね。マルコっち、あとはよろしくねん〜★」 ロイドの軽やかな声が響く。 「……ロイド、その呼び方はやめてくれないか」 室長の苦笑混じりの声に、俺は思わずくすっと笑いをこらえる。 「ユーマくんとクーちゃんも、またね〜★」 ロイドはニヤリと笑みを残し、そのまま得意げに去っていった。 「さて、さっそくだが、君のエクストラヒールを見せてもらうことは可能かい?」 マルコム室長の真剣な眼差しが、じっと俺を見つめる。 「はい……一発しか使えませんが」 「十分だよ。エクストラヒールは魔力の消費も大きい。ここでも扱える者は限られているんだ」 室長は椅子から立ち上がり、ゆっくりと部屋の中央に俺を呼び寄せた。 (……う、緊張するな……) 「あの、俺……本当は普通のヒールしか使えなくて……。でも、クー――それに仲間の獣人の体を媒介にした時だけ、なぜかエクストラヒールになるんです」 室長は眉をひそめ、興味深そうに首をかしげる。 「……なるほど。それはかなり特殊なケースだね。よければ、私がヒールを試してみてもいいかな?」 「クー、いいよな?」 「うん、いいよ♡」 室長は小さく息を整え、そっとクーの肩に手を添えた。 「……失礼するよ。軽く、彼の体に触れているだけでいいのかな……?」 「はい、おそらく……」 一拍置いたのち、室長は静かに術式を唱える。 「……ヒール」 手のひらから淡い光が迸った。柔らかくクーを包み込むが、ただそれだけで、エクストラヒールにはならなかった。 「……なるほど。やはり、ユーマ君限定なのかもしれないね」 室長は思案するように顎に手を当て、ゆっくりと問いかける。 「君は、何か彼らと特別な“契約”を交わしていたりはするかい?」 ――契約……。 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭にひとつだけ思い当たる節があった。でも、ここで口にするのは果たして正しいのだろうか。 (いや、これ言ったら公開処刑だろ……!?) 俺が口ごもるのを見て、室長はにっこりと微笑み、静かに言った。 「……ふむ、私は口は固い方だよ」 その言葉に少しだけ胸が軽くなり、俺は小さく頷いた。 「……実は、獣人のことは俺もよく分かんないんですけど、彼らにとって、俺って伴侶というか、その、“番”みたいな位置づけらしいんです。エクストラヒールが発動するようになったのも、その後で……」 室長は静かに息を吐き、感嘆をにじませながら俺を見つめる。 「……そうか。あくまで憶測だが――おそらく細胞、いや分子レベルで、君の魔力しか受け付けないようになっているのかもしれないね」 その言葉に、俺は小さく息を呑んだ。 (……やっぱり、俺とあいつらだけの、特別な力なんだな……) 「じゃあ、オレとユーマの愛の結晶なんだね♡」 「……まあ、そういうことになるかな」 (……いや、いいのかそれで!?) 「では、その“愛の結晶”とやらを実際に見せてもらおうか」 彼は作業机の上に置かれた、大きな水晶球の前へと歩み寄った。 「この魔道具はね、感知した魔術の効果を数値化してくれるんだ。……やってみてもらえるかい?」 「はい」 俺は深く頷き、クーの腕にそっと手を添える。静かに意識を集中させ、息を整えた。 「……ヒール!」 瞬間、仄かな光が二人を包み込む。クーの足元から展開した光の魔法陣が研究室を満たし、眩い蝶の群れがふわりと宙を舞った。 「……これは……」 室長が僅かに息を呑む。その眼差しは研究者というより、一瞬、ただの観客のようにその光景に魅了されているようだった。 やがて、近くの水晶球に刻まれた文字が淡く青く輝き出す。 表示された数値に、俺の目は釘付けになった。 ・回復量 +100% ・物理攻撃 +50% ・魔法攻撃 +50% ・物理防御 +50% ・魔法防御 +50% ・素早さ +50% ・運 +50% ・一定時間、自動回復付与 「……嘘、だろ……? 全ステータス五割増!?」 「やったね、ユーマ♡ これでオレ最強だぁ!」 「いやすでに規格外なんだよお前は!!」 室長はというと―― 「……はは、これは歴史に残る大発見だ……」と、研究者魂を爆発させていた。 俺は思考が追いつかず、その場に固まったまま、ただ水晶球を凝視するしかなかった。 「……おや?」 室長が眼鏡の奥の目を細める。 「しかし、君の“例の魔法”は感知できなかったようだ。魔法の形態があまりにも特殊で、この魔道具では解読しきれないのかもしれないね」 確かに……水晶球のどこにも、“ソウルリトリーバル”の文字は浮かんでいなかった。 「ありがとう。実に興味深いものを見せてもらったよ」 室長は満足げに頷く。 「以前、君のエクストラヒールを受けた兵士から噂を聞いていてね。どうしても確かめたかったんだ」 「……あの、城門前の?」 室長は小さく笑みを浮かべながら頷いた。 「ただ、その時の媒介はクー君ではなかったよね? もしまた彼以外の獣人仲間を連れてくることがあれば……ぜひ、再びここを訪ねてほしい。彼らの力を調べられる貴重な機会だから」 「は、はい……もちろんです!」 胸の奥で緊張がほどけるような感覚と同時に、研究者らしい室長の期待のまなざしに、妙な責任感まで芽生えてしまうのだった。 室長は水晶球の光が収まるのを見届けると、戸棚からトロリと粘度のある透明な液体が入った小瓶を取り出した。 「さて……ついでと言っては何だが、君には軽くポーションの基礎も見てもらおうか。これは最近ようやく実戦でも使えるようになった、ポーションと呼ばれる回復薬だ」 「ポーション……ですか?」 「そう。これが、長年私が研究していたポーションの素だよ。薬草は一切使わない。術者の魔力そのものを固着させるんだ」 そう言うと、室長は掌を小瓶の口にかざし、低く術式を唱える。 「……ヒール」 淡い光が液体へと注ぎ込まれ、瓶の中がやわらかな緑色に染まっていく。室長は手早く、それを丸い型へと流し込んだ。 「ほら、もう固まる」 数秒もしないうちに、ぷるんとした半透明の塊が型の中で揺れる。室長はそれを指先でつまみ、俺の前に差し出した。 「こんなふうに手のひらサイズの“ポーション”になる。経口摂取が基本だが、飲めない状況なら潰して皮膚に触れさせるだけでも効果は発揮される。つまり、戦場で意識のない兵士にでも与えられるというわけだ」 「……お菓子作りみたいですね」 思わず口にした俺の言葉に、室長は目尻をほころばせた。 「ああ。術者によって味が微妙に変わるんだ。試験的に若い兵士たちに配ったら、“治癒グミ”なんて呼び名が定着してしまった」 「きっとユーマのグミは甘くて美味しいよ♡」 「いや、激マズだったらどうすんだよ」 「ハチミツかけて食べる!」 くだらない掛け合いに、俺は苦笑しながらも興味深げにポーションを手に取った。 だがその瞬間、胸の奥がずきりと痛む。 「……でも今日は、もう魔力切れで。俺じゃ、これ作れそうにないです」 「気にしなくていいさ。むしろ、今の君に必要なのは回復よりも学びだろう」 室長は椅子に腰を戻すと、じっと俺の目を見据えてきた。 「――体内に蓄えられる魔力量を増やす方法に、興味はあるかい?」 その言葉に、思わず指先に力が入り、胸の奥がじんわりと熱くなる。 「……そんなこと、できるんですか?」 「もちろんだ。ただし、一日や二日でどうにかなるものじゃない。毎日の積み重ねで、体が魔力を生み出す力を少しずつ鍛えていく――地道な作業だよ」 アヴィの傷を癒せなかったあの瞬間の光景が、まざまざと思い出される。 無力だった自分への苛立ちと、彼を守れなかった罪悪感、そして――もっと魔力があれば、あの痛みを取り去れたのにという、やりきれない悔しさ。 「お願いします。教えてください」 「ああ。ただ、方法は単純だ。体を意図的に“魔力切れ”の状態にさらす。すると脳が『もっと魔力を作れ』と指令を出すんだ。その結果、空気中に漂う微量な魔素を積極的に体内へ取り込み、魔力に変換していく。それによって、蓄積できる魔力の量も徐々に増えていくんだよ」 室長は机の引き出しから、黒く光る小さな石を取り出した。 「でも魔法を無駄打ちするのは勿体ないからね。これは魔力を貯めておくことができる石だよ。今はただの石だけど、魔力を宿せば文字通り“魔石”になる。蓄えた魔力はここでポーションに変換できるから、ある程度貯まったら持ってきてほしい」 手渡された石を見つめ、俺は思わず息を漏らす。 (……これを使えば魔力を無駄にせず貯められるんだ……!) 「ただし、ひとつ注意点がある。常に“魔力切れ”の状態を続けると、体が必要以上に疲弊する。やりすぎには気をつけるんだ。何事も体が資本だからね」 「わ、分かりました……」 「それと、基礎体力はあるに越したことはない。魔素を魔力に変換するとき、実は体力も同時に消耗しているんだ。魔法使いは細身のイメージを持たれがちだけど、うちの治癒魔術士メンバーはね――そこのクー君ほどじゃないにしても、みんなそこそこガタイがいいんだよ」 「…………」 「……どうかしたかい?」 「あ、いえ! き、筋トレがんばります……!」 (ま、まさか……俺、ここでも筋肉まみれになる運命なのか!?) そんな不安を抱えたまま、室長に連れられて他のメンバーと顔合わせすることになった。 案内された作業所に足を踏み入れた瞬間、俺は――見てはいけないものを見た気がした。 魔導書で埋まった棚の下に、なぜか転がるダンベル。 机の端には、用途不明の金ピカトロフィー。 奥の壁にはドンと貼られた「目指せ! 一日腕立て千回」の張り紙。 「君がユーマくん? よろしくなー!」 「お、腕ほっそ! ……いや、俺らが太いだけか?」 「でっか! 本当に獣人っているんだな!」 みんな俺にもクーにも優しくて、歓迎ムードはありがたい。……ありがたいんだけど。 ここ、魔法使いの作業所じゃない。 どう見てもラグビー部の部室だ。 (完全に、マネージャー志望の新入生ポジじゃん俺!!) 宮廷魔術士としての初仕事――というか、ほぼ雑務を終えた帰り道。王城を出ると、空はうっすら茜色に染まり始めていた。 「なんか……大したことしてないのに、やけに疲れた気がする」 「ユーマ、大丈夫? 魔力切れのせいじゃない?」 「いや大丈――ぶっ!? な、なんだっ!?」 急に視界が高くなる。気づけば俺はクーにヒョイっと抱き上げられていた。 「帰りは抱っこしていいって約束だったよね♡」 「……あ、あれ本気で覚えてたのか!? お、重いだろ? これでも俺、60キロぐらいあんだぞ!」 「ぜーんぜん♡」 (……いや、俺の体重を“ぜーんぜん♡”で処理するなよ!) それでも、クーの腕に包まれると、不思議と胸の奥がじんわり温かくなる。 「……ありがとな、クー」 小さく呟いたその言葉に、クーはにっこり笑い返してくれた。 腕に抱かれながら、俺はほんの少しだけ、自分が守られている実感を噛み締めた。 体は密着しているけど、圧迫感はなく、むしろ温かく柔らかい。 (……なんだろう、この安心感……) クーの腕の中にいると、呼吸も心臓の鼓動もゆったり落ち着いていく。 大きな手の動きや髪の香りも、どこか心をほどくようで、緊張や疲れがすっと消えていった。 「……ユーマ、夕焼けで光る雲がキレイだね♡」 耳元でクーが囁くと、体中の力が自然と抜け、全てを預けても大丈夫な気がした。 「ああ……そうだな」 夕陽に照らされながら歩く二人の影は、長く伸びて揺れている。 抱かれたままの距離感が、甘く、静かで、心を満たす温もりになった。 「……ユーマ、もうすぐ家だよ」 門をくぐると、俺はクーの腕の中で背伸びして家の外観を見上げた。 すると玄関の扉がぱっと開き、リィノがちょこんと顔を出す。 「……お、お帰りなさい」 「ただいま〜♡」 リィノはクーに抱きかかえられている俺を見て眉をひそめた。 慌てて身をよじり、「降ろして」とクーに伝えるが、クーはまったく意に介さず華麗に無視。 「ユーマさん、具合でも悪いんですか?」 「あっ、いや、これは……っ」 「うん、そう。魔力切れで立ちくらみ起こしちゃったんだよ」 「そうだったんですね。お疲れ様でした。ご飯はもうできてますよ。リーヤとライトも手伝ってくれて……」 リィノはそう言いながら、玄関のドアを開けてくれる。 「ありがと♡」 扉をくぐり、クーがそのまま寝室に向かうと――なんと、クーたちが作った魔改造ベッドの上で、ライトとリーヤ、チビーズが身を寄せ合ってひとかたまりになり、すやすや眠っていた。 (なっ……なんだ、この尊さを凝縮したような光景は……!! 誰か一眼レフカメラを貸してくれ!!!) リィノは申し訳なさそうに頭をかきながら言った。 「すみません……止めるよう言ったんですけど、全然言うことを聞かなくて……」 「大丈夫だよ♡ 起こしたら可哀想だから、ユーマの書斎にいこっか」 「えっ、クー、もう俺、大丈夫だから降ろしてくれっ!?」 俺の抗議も耳に入らず、クーは優しく抱えたまま書斎へ向かう。 ベッドに降ろされると、クーはすぐに俺の上に覆いかぶさった。 「ちょっと、クーっ!」 「ユーマと密着してたら、ドキドキが止まらなくなっちゃった……♡」 唇が俺に重なり、最初は軽く触れる程度のキスだったのに、すぐに甘く吸い付くようになり、息が詰まりそうになる。 「く、クー……っ、そんなに……」 「ダメ……我慢できないんだもん……♡」 クーは俺の耳や頬にまで、甘く舌を這わせるようにキスを散らし、胸元に手を回してぎゅっと抱きしめる。体が完全に密着し、クーの温もりが全身に伝わってくる。 「んっ……ユーマのこと、全部感じたい……♡」 唇は俺の首筋へと下り、甘く熱いキスを散らす。息が詰まるような熱に、思わず体を震わせる。 「……っ、クー……だ、ダメだよっ、リィノがいるから……」 腰や背をそっと押さえられ、ぴったりと重なる体温。耳元に降る囁きは、甘い息と一緒に胸の奥を震わせる。指先は髪を梳き、肩を抱き寄せ、唇は離してくれない。 「ユーマ……大好きだよ。ずっと、ずっと大切にするから……」 まるで世界でただ一人の存在を愛おしむみたいに優しい口づけが降り注ぎ、胸の奥がじんわりと溶かされていく。 抗う気持ちなんて、もうとっくに消えていて――俺はただ、安心と幸福に包まれて、自然と身を預けていた。 ――その時。 「ユーマさん、クーさん、夕飯の準備できましたよ」 ドアの向こうからリィノの声が響き、俺は心臓を跳ねさせた。 「……ありがと~♡ 今いくね~!」 さっきまでのとろける甘声から一転、いつもの明るいトーンでクーが返事をする。 そして俺の耳元に、もう一度だけ低く囁く。 「……ユーマ、続きはあとでね♡」 最後にそっと口づけを落とすと、クーは名残惜しそうに俺を解放した。 去っていく背中を目で追いながら――熱の残る唇に思わず指先を触れ、赤く火照った顔を両手で覆う。 胸の奥がまだドクドクと騒いでいて、俺はしばらくベッドの上で身動きできなかった。

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