50 / 56

第50話 でんかのほうとう①

 夜の書斎に、カリカリとペンの音が響く。  机いっぱいに本を広げて、俺は額を押さえながら唸った。  「……誰だよ、魔力干渉波の式変換なんて考えたやつ……頭おかしいんじゃねぇの……」  ぶっちゃけテスト勉強なんて、うん十年ぶりだ。  ノートには途中で諦めた跡が何本も走っている。  インクの染みができたページをめくりながら、ため息が漏れた。その時――  コン、コン。  控えめなノックの音が響く。  「……はいはい、どーぞ?」  俺は机に向かったまま、背中越しに声をかけた。  「……すいやせん、ユーマの兄貴」  「チビか。どした?」  振り返ると、チビが申し訳なさそうに頭を掻いていた。  机の上に広がるノートと教科書を見て、ますます肩を落とす。  「兄貴、勉強中だったんすね……! すいやせん! また出直して――」  「いや、大丈夫だって。なんかあったのか?」    苦笑しながら呼び止めると、チビは小さく頷いて踵を返すのをやめた。  「……いや、申し訳ねぇ。実は兄貴に見てもらいたいもんがありやしてね」  案内されるまま、食堂の奥にあるキッチンへ向かうと、その中央の作業台には、ドンと大きな保存壺が置かれていた。  「実はこの壺の中に、塩漬けした豆を入れといたんですがね――」  チビがそう言いながら蓋を開けると、もわっと温かい空気が漏れた。  俺は恐る恐る中を覗き込み――思わず顔をしかめた。  「……なにこれ!?」  中には豆の面影すらなく、ドロッとしたペースト状の何かが沈んでいた。  色は悪くないが、質感がどうにもおかしい。  「いや、あっしもタマゲましてね。でも妙なんすよ」  「……いやこれ、腐ってるようにしか見えないけど……変な匂い、しないな?」  鼻を近づけた瞬間、ぴんときた。  (――いや、待て。この匂い……まさか)  「そうなんすよ! それが気になって、兄貴にも確認してもらおうと思った次第でして!」  チビはどこか誇らしげに言う。  俺は頭を掻きながら尋ねた。  「この豆って、いつ漬けたの?」  「確か三ヶ月くらい前ですかね。棚の奥の方にしまってたのを、さっき掃除してて見つけたんすよ。いやぁ、面目ねぇ……完全に忘れちまってたみたいで」  「三ヶ月……」  (それ、条件的に……まさか発酵して――?)  「試しに舐めてみたら、こりゃまた悪くない味わいで……。でも、こんな得体の知れないもん、兄貴たちに食わしていいものかどうかと……」  俺は壺の中のそれを小指で掬い、鼻先へそっと近づけた。  「……やっぱり、これ……」  そのまま恐る恐る舐めると、塩味と凝縮された旨味、そして豆のほのかな甘みが舌に広がった。  間違いない。  「……チビ、これ――味噌だよ」  「……みそ?」  「そう。俺……の遠い親戚が住んでる小さい村に伝わる調味料だ。豆を発酵させて作るんだ。肉や魚の味付けに使ったり、スープに溶かしたりしてな」  「へえ〜、これが……」  チビも感慨深げに壺の中身を凝視していた。    たぶん偶然の産物だろうが、それでもすごい。  俺は壺の中を見つめながら、なんとも言えない懐かしさに浸った。  (……やれやれ、まさか文明開化の第一歩が“チビの保存ミス”から始まるとはな)  「……チビ、でかしたぞ! これはノーベル文化賞ものだ!!」  「……! な、なんだかよくわかんねぇっすけど――恐悦至極ッス! 兄貴ッ!!」  チビは勢い余って、バシィッと拳で胸を叩いた。  (いや、“ノーベル”とか絶対通じてねぇよな……)  「兄貴、また(いとま)がある時でいいんで、これの調理の仕方、伝授してくださいやせんかねぇ」  「ああ、テスト期間終わったらな。それまでに、なんか考えとくわ」  「……あざっす!!」    「それにしても、これ……肉に揉み込んで焼いたら、絶対うまいやつじゃん……」  (……ヤバい、米が欲しい)  想像した瞬間、腹の虫がグ〜ッと主張してきた。  「兄貴、こいつを使って、なにか簡単な夜食でもこしらえやしょうか?」  「いいのか?」  「もちろんでさぁ!」  チビは気合い満々でブルファングの生肉を分厚くスライスし、筋切りを入れると――  「こうすっと柔らかくなるんでさぁ!」  バシィィィッ!!  拳で肉を殴り始めた。  「ちょ、テーブルまで破壊するなよ!?」  「多少の失敗は愛嬌っすよ!!」  「多少で済むのか!?」  そんな理屈があるかと思いつつ、見事に叩き柔らかくなった肉に、刻んだハーブと異世界味噌をたっぷり塗り込んで焼き上げるチビ。  香ばしい匂いが台所に広がり、夜中なのに完全に飯テロ。  焼けた肉をスライスし、トマトモドキを添えてパンに挟み――  「できやした! 魔猪(まちょ)の味噌焼きサンドでさぁ!」  皿を差し出され、俺は唾を飲み込む。  「……俺には分かる。これ、絶対うまいやつ」  チビの作った魔猪の味噌焼きサンドを一口――噛んだ瞬間、香ばしさと旨味が爆発した。  「……うまい、うますぎる……!」  思わず天を仰ぐ。  味噌の濃厚さにトマトの酸味が絶妙すぎる。  これはもう、文明開化の味だ。異世界版B級グルメ革命だ。  ――と、その時。  廊下のほうからドタドタと足音が近づく。  「あー! ずるーい! オイラも食べたいー!」  「…………お肉」  「……ユーマさんこんな時間に何してるんですか?」  「……騒がしいぞ」  「なんかすっごくいい匂い〜♡」  「ご主人様、これは一体なんの騒ぎですか?」  わらわらと集まってくる、ライト、リーヤ、リィノ、ガウル、クー、アヴィ、そしてチビたち。  まるで餌の匂いに釣られた野生動物の群れだ。  「ちょ、ちょっと待て! 順番! 順番だから!!」  「兄貴、量が足りねぇっす!」  「肉はまだある! 急げチビ、追加焼きだ!!」  「オッス兄貴!!」  深夜の厨房が、謎のテンションで試食会会場と化した。  「うまっ」「これやみつきになるな」「……美味しい」「おかわりー!」「オイラもあと二皿!!」  「おい、おまえら! 明日の朝の食材まで食い尽くすな――!!」  ……こうして異世界の夜、味噌焼きの香りが王都の空にしっかり刻まれたのだった。    

ともだちにシェアしよう!