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第56話 フォーマンセル ー轟獣竜戦ー⑤

 轟獣竜(ごうじゅうりゅう)ルギドとの死闘から、幾日かが過ぎた。  瓦礫は片づけられ、補修の槌音が響き、街にはようやく人々の笑顔が戻りつつある。  そんな日の、宮廷魔術士としてのバイト。  護衛役のアヴィと共に治癒魔術士団の詰所に顔を出すと、マルコム室長が険しい表情のまま歩み寄ってきた。  深く刻まれた皺が、まるでそのまま心の重さを映しているかのようだった。  「ユーマ君、少し……来てもらえないか」  普段は温厚な室長の声が、妙に硬い。  アヴィと顔を見合わせ、胸の奥にざらりと不安が広がるのを感じながら、その背を追った。  案内されたのは、魔道士団塔の最奥――普段は立ち入りを禁じられている区画。  中に足を踏み入れると、まるで闇市場の倉庫のような光景が広がっていた。  壁際には古びた絵画や薬瓶、魔道具に宝飾品――どれも曰くありげな気配を放っている。  だが、部屋の中央に鎮座する“それ”が、すべての空気を支配していた。  白布をかけられた巨大な塊。  その前に、魔道士団副長のロイドが立っていた。  いつもは軽口を絶やさない男が、今はまっすぐ背を伸ばし、表情を引き締めている。  「やぁ、出勤早々ごめんね★」  軽い声色ではあったが、冗談の響きはない。  「ちょーっち、手ひどい“訳あり”でね。マルコっち、ありがと」  マルコム室長は無言のまま腕を組み、眉間の皺を崩さない。  ロイド自身も、どこか疲れきった顔をしていた。  「……ロイドさん、これは?」  問いかけると、ロイドは黙って白布に手をかけた。  静かに布が滑り落ちる。  ――中には、檻。  大型犬がゆったり入れるほどの鉄格子の中に、それはいた。  艶やかな黒曜の鱗。  わずかに胸が上下している。  だが、その“姿”を見た瞬間、俺は息を呑んだ。  「……ルギドの……赤ちゃん?」  呆然とつぶやく。  そこに横たわっていたのは、先日、王都を襲った轟獣竜(ルギド)をそのまま縮めたような――禍々しくも完全な存在だった。  (まさか……これが、あの襲撃の原因……?)  沈黙の中、ロイドが低く告げる。  「……そう。あのルギドさ――俺たちが討伐したのは、“雌”だったんだよ」   彼は、そう言って静かに目線を下げた。  言葉が落ちた瞬間、部屋の温度がひとつ下がった気がした。  「何日か前に、密告があったんだ」  ロイドは檻を見下ろしたまま、低く言った。  「王都に出入りしてる行商人の中に、使用が禁じられてる薬物を売りさばいてる奴がいる――ってね」  「……まさか」  「そう、そのまさか」  肩をすくめて笑う仕草はいつも通りなのに、声の調子だけがやけに冷えている。  「ルギド騒動に乗じて隣国に逃げようとしてたところを、憲兵団が押さえた。で、そいつの荷馬車に積まれてたのが、ここにある“ブツ”ってわけ」  言葉が落ちるたびに、部屋の空気がじわじわと重く沈んでいく。  薬物と一緒に運ばれていた“命”。  その意味を察した瞬間、背筋に冷たいものが走った。  頭のどこかで否定したいのに、視界の端の“それ”が、何よりも雄弁に真実を語っている。  ――あの巨大な咆哮も、突進も、すべてはこの子を取り戻すためだったのか。  「……母親、だったんですね」  声が震える。喉の奥がひりつくように痛む。  ――いや、今さらそんなことを思ったって、偽善にしかならない。  これまで、俺たちは散々、竜や魔物を狩り、食べ、生きる糧としてきたじゃないか。  なのに、目の前のこの小さな命に、どうして胸が張り裂けそうになるのか……。  ロイドは答えなかった。  ただ、ほんの一瞬だけ、瞼を伏せる。その仕草が答えのすべてだった。  「仕方なかったんだよ……そうしなきゃ、こっちがやられてたからね」  ロイドの言い分も分かる。だが、本当にそれが正しい「選択」だったのか――俺にはまだ、答えが出せなかった。  「……この子は、どうなるんですか?」  問いかける声が、いつになく細く響く。  「そこもね、上で意見が割れてるんだよねー」  ロイドは肩越しに首を振る。  「ルギドみたいに個体数が少なくて、生態系の頂点に君臨する種は保護しろって声と、 生かしておけば母親の復讐でまた人里を襲うだろ、って声が拮抗しててさ」  俺は小さな竜を見つめたまま、言葉を失う。胸の奥がじわりと重くなる。  その沈黙を破ったのは、マルコム室長だった。  「そこで、君の名があがったんだよ」  「……俺の?」  声が裏返りそうになる。  「ああ。もし君の魔法でルギドを手懐けられるなら、この子は殺すべきじゃない――と、そっちの意見が強くなる」  (魔物に、ソウルリトリーバルを……? そんな発想、一度たりとも頭をよぎったことがなかった)  「今まで、動物に魔法を試したことはあるかい?」  室長がこちらを覗き込む。  「……いえ。人と“獣人”にしか、まだ……」  言いながら、ふと隣のアヴィに目を走らせる。彼は黙ってこちらを見下ろしていた。  「それと、魔獣化したクーの父親と、ライトの呪いを解いたことくらいです」  マルコム室長は目を細め、肯くように言った。  「なるほど。試す価値はありそうだね」  「じゃあユーマっち、お願いしていいかな? さっきまでめちゃくちゃ檻の中で暴れてたけど、今は餌に混ぜた睡眠薬で眠らせてるから、ちょっと触ったくらいじゃ起きないよ」  ちょっと触ったくらいじゃ起きない——それはつまり、普通にヒールをしろってことだよな?  内心でそう算段した瞬間、言葉が口をついて出た。  「……あの、エクストラヒールは?」  ロイドは肩を竦める。  「うん。全ステータスが1.5倍になったら、檻をぶち破る力が出るかもしれないから勘弁してほしいかな★」  (やっぱり、エクストラヒールはダメか……!)  「へーきへーき! まだ赤ちゃんだから全然怖くないって!」  ロイドの軽い朗らかさに、思わず背筋が凍る。  「いや! 見てくださいよ、このギザギザの歯! 噛まれたら指どころか手首ごと飛ぶレベルなんですけど!?」  青ざめる俺の横で、アヴィはホルダーから短剣を抜き、指先でくるりと一度回して柄を握った。  「安心してください。ご主人様の手首が飛ぶ前に、僕がルギドの首を切り離しますから」  「いや、安心要素どこ!?」  アヴィを目線で制して、俺は意を決して檻に一歩近づいた。  (ええい、これはもう、俺がやるしかない……!)  「……じゃあ、やります!」  格子の隙間からそっと手を伸ばし、眠るルギドの皮膜に触れる。  ざらついたゴムのような感触は、思いのほかぬくもりを帯びていた。  息を整え、指先に魔力を集める。三人に見守られながら、俺はヒールを唱えた。  ルギドの身体が、ふんわりと柔らかな光に包まれる。  その光は波のように広がり、鱗の艶を浮かび上がらせ――やがて、体内に吸い込まれるように音もなく消えていった。  そして――。  グゥという大きな鼻息と共に、ルギドのまぶたがゆっくりと震えた。  「……起きた!」  ロイドが小声で呟く。隣でマルコム室長も、信じられないものを見るように目を見張った。  檻の中で暴れていたとは思えないほど穏やかな瞳が、ゆっくりと俺を見つめる。  ――大人しい。獰猛で気性が荒いと恐れられている竜の子が。  「クルル、クルル……」  仔竜は小さく鳴きながら、俺をじっと見上げる。  首を傾げる仕草が、なんとも幼くて、胸が締めつけられた。  「クルル、クルル……」  仔竜の緑色の瞳が、光を映して潤んでいる。  檻の向こうで小さな体が揺れ、まるで甘えるように、今にも頭を擦り寄せてきそうで――  「……ごめんな、お前の母さんはもう――」  気づけば頬をひとすじ、涙が伝っていた。  「クルル、キィピィィ……」  ​俺はただ、押し寄せる感情をこらえるように、嗚咽をこらえて唇を噛んでいた。  その声は、竜の子どもが母親に甘えるときの鳴き声だった。

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