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第63話 赤髪の聖女②

 「……オカマにしか見えねぇだろ、これ」  俺は王城の客室で、大きな姿見を前に盛大なため息を吐いていた。  かつてこれほどまでに“神々しさの欠片もない聖女”がいたか?  ​「女装して男が綺麗になる」だのという話は、漫画やアニメの中だけの都合のいいファンタジーだ。あんなもんは幻想、空想、おとぎ話、都市伝説。現実は悲惨なもんだ。  (よりによって、この城に俺以外に女装適任者がいなかったという、物理的な理由で決まった聖女がこれか)  「顔面の罪で断罪されるとか、あり得る? なぁ、俺……大丈夫か?」  ふんだんにレースがあしらわれた純白の聖女服は、豪奢すぎて逆に罰ゲームの域だった。  シルクの裏地は肌に馴染まず、微かな摩擦が――股にスースーと現実を突きつけてくる。  地毛の赤髪の襟足に、同色の長いエクステ。  慣れない化粧。  そして胸元に押し込まれた“詐欺的な膨らみ”。  (くそっ……やっぱり親子だ。鏡越しの自分が、妙に母さんに似てやがる!)  おまけに背中の紐を、城のメイドさんたちに「もう少し引っ張りますね~♡」とか言われながら、容赦なく締め上げられて苦しい。靴の踵が高すぎて足裏が死んでる。  ……なにこれ、拷問? 呼吸するたびに肋骨がきしむんだけど!?  (ていうか女の人って、毎回こんなの着てるの? 強靭すぎない!?)  俺は、鏡に映る“悲しき聖女もどき”を前に、そっと天を仰いだ。  ――神よ。なぜ俺に、方向性の間違った試練をお与えになったのですか。  そして俺の背後には、この前まで超絶不機嫌だったアヴィが、なぜかご機嫌で控えていた。  ヴェスタリア神聖公国の人々は、神に選ばれし人間こそ至高の存在であり、獣人は“穢れた者”として忌避している。  その排他的な思想ゆえに、俺の遠征には“護衛として連れて行ける獣人は一人まで”と、グローデン国王から釘を刺されたのだ。  その話を家に持ち帰った結果――案の定、大騒ぎになった。  話を聞いたガウルは激怒し、謁見の場に同席していたアヴィを叱責。  もちろんアヴィも黙ってはいない。口論はどんどんヒートアップし、ついには「王城に文句を言いに行く!」と息巻くガウルを、クーと俺とで必死に制止する羽目になった。  そして誰が俺に随行するかで、ガウル・クー・アヴィの三人が再び大揉め。  最終的に、決着は実力差ハンデ有りの“ニャス”でつけられたらしい。  その勝者が、目の前でご機嫌なアヴィというわけだ。  (……平和だな、我が家)  アヴィもこの日は、いつもの狩猟用の軽装ではなく――先日、グローデン国王から贈られた“あの”王家の紋章入りの騎士服を纏っていた。  白を基調とした上質な布地が、彼の整った顔立ちをいっそう凛々しく浮かび上がらせている。  「……いいよな、土台がいいやつは。正直、アヴィが女装したほうがよっぽど様になるんじゃねぇの?」  俺がぼやくと、アヴィは苦笑しつつ肩をすくめた。  「僕にその衣装は入りませんよ」  そりゃそうだ。分かってる。  アヴィは長い脚に締まった腰、マッスル揃いの我が家の中では比較的“細身”に見えるが――それでも中身はしっかり鍛え抜かれた軍人の体つきだ。  「……まあ、よっぽどのブス専神官でもないかぎり、こんな見てくれの聖女に言い寄ってくる物好きはいねぇだろ。そこだけは安心だな」  「…………」  (おい待て、なんで黙るんだよ。流れ的に『そんなことありませんよ』の一択だろ!?)  ――だが、アヴィの返答は斜め上どころか、衛星軌道だった。  「……余裕で抱ける僕は、ブス専なんでしょうか?」  微動だにしない真顔で、さらっと爆弾を投げてくる。  「むしろ……ご主人様なら、どんな格好でも、どんな状態でも……抱けます。  なんなら今、ちょっと興奮してます」  「やめろォッ!!」  俺が悲鳴を上げても、アヴィは耳をぴくりと揺らしただけで、相変わらず慈愛の微笑みを浮かべている。  「ふふ……ダメでした? 本音を言っただけなんですが……」  「本音と性癖の暴露を同時にするな!!」  叫んだ拍子に、レース縁のヴェールが肩から滑り落ちた。  アヴィはため息もつかず拾い上げ、なめらかな所作で俺の頭へ被せ直す。  「ほら……大声を出すと化粧が崩れますよ、ご主人様」  そして、俺の唇に触れるように指を添える。  「それに――喋ったら男だとバレますよね?  今回のご主人様は“生まれつき声を持たない聖女様”。  微笑みと頷きだけで乗り切るんでしたよね……?」  「……っ」  そうだ。どうあがいても俺の声は男声。ごまかしは不可能。  苦肉の策で決まったのが、“沈黙の聖女”設定だ。  アヴィがふっと目元を和らげる。  「……では、練習しましょうか?  口を開かず、ただ美しく微笑む聖女様の……レッスン」  耳元すれすれに頬を寄せられる。  指先が腰のラインをなぞり、背中の編み紐にかすって――アヴィの声が甘くとろけた。  「ああ……この紐を解いて、この衣装を“ほどく”夜を思うと……胸が高鳴ります」  「おま……ッ!!」  反射的に声が漏れかけた瞬間、再びアヴィの指が俺の唇に触れる。  「はい、アウトです。ご主人様は一秒も黙っていられないんですね。  ……その調子で、本当に遠征、乗り切れるんですか?」  くすくすと喉を鳴らすアヴィに、俺は金魚みたいに口をぱくぱくさせるしかなかった。  コン、コン。  軽くノックする音が、部屋の空気を一変させた。  アヴィの指先がピタッと止まる。俺も反射的に背筋を伸ばした。  「――ユーマ様。ご準備が整いましたので、出立のお時間でございます」  老執事さんの、静かで落ち着いた声。  この王城の誰よりも年季の入った、あの重厚な気配が扉越しに伝わってくる。  「は、はい! 今行きます!」  慌てて聖女服の裾を整えながら返事をすると、扉の向こうから「では、馬車の前でお待ちしております」と丁寧な声が返ってきた。  ドアノブが軽く鳴り、足音が遠ざかっていく。  ……助かった。  ある意味、命拾いした気分だ。  横を見ると、アヴィがやけに真面目な顔で姿勢を正していた。  ――さっきまで「興奮してます」とか言ってた男と同一人物とは思えない。  「行きましょう、ご主人様」  「……お前なぁ……マジで外では余計なことするなよ?」  アヴィは微笑んだ。  「もちろん。ご主人様に恥はかかせません。  ――僕はいつだって、ご主人様の“味方”ですから」  どこか含みを残した言い方に、心臓がまた変な音を立てる。  ……全然安心できねぇ。  それでも俺は深呼吸し、意を決して歩き出した。  ヴェスタリア神聖公国への遠征。  男である俺が“聖女”を演じるという、無茶にもほどがある役目が……いよいよ始まる。  よりによって、やたらご機嫌な従者を引き連れて。

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