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第64話 赤髪の聖女③

 今回の、ヴェスタリア神聖公国への遠征は、聖女派遣の名目に加え、外交使節としてミシェル王子が随行することになっていた。  (こんな情けない姿を、まさか王子に晒すハメになるとは……)  白騎士たちに囲まれた豪奢な馬車。  その内部に、俺とアヴィ、ミシェル王子、そして王子付きの執事ジョバンニ氏が同乗していた。  王子は、席につくなり俺を見て、ぱちくりと瞬きをしたあと――  「……ふっ」  口元に手を当て、こらえきれない微笑みを漏らした。  (やめろ……王族よ……頼むから笑うな……!)  王子の隣に座るジョバンニ氏も、慌てて咳払いしたが、どう見ても“笑いを飲み込んだ顔”でしかない。  「もういっそ、供養するつもりで、好きなだけ笑ってください」  俺が投げやり気味にそう言うと、ミシェル王子は慌てて首を振った。  「……ああ、いえ、すみません。ユーマさん、とても……その……よくお似合いですよ。ね、ジョバンニ?」  「え、ええ……はい……っ」  ジョバンニ氏は必死に真顔を保とうとしているものの、肩がプルプル震えていて 完全にアウト だ。  その中で、アヴィだけは平然と俺の隣に腰掛け、まるで「これが正装ですけど、なにか?」と言わんばかりに胸を張っていた。  (おい……これ、本当に大丈夫か? 俺の顔面が原因で外交問題に発展するとか、まさかないよな……?)  一縷どころか、山ほどの不安を抱えながら、俺は小さく深呼吸をする。  同盟国とはいえ、転移魔法や転移ゲートを安易に使うわけにはいかない。  ましてや、今回のような正式な訪問となれば、魔法による短縮なども許されず、正規の行程を踏むのが礼儀であり、外交上の必須条件だった。  ……とはいえ、正直に言えば、俺は面倒くささに胃がキリキリする思いだ。  馬車で長時間揺られ、知らない国道を進むだけの旅路――聖女としての務めを全うするのはもちろんだが、頭の片隅で「このまま無事に着けるのか」と、心配が絶えない。  馬車の窓の外には、遥か遠くに王都の外門の影。  ――いよいよ、俺の“聖女もどき”としての旅が、正式に始まった。  ***  馬車に揺られること丸一日。  コルセットは締め上げられ、息苦しさが骨まで染みる。足はむくみ、長時間の揺れで尻と腰は痛みで悲鳴を上げる。おまけに全身の筋肉はバッキバキ。  ――そして、ようやく辿り着いたヴェスタリア神聖公国。窓の外に見える城門を前に、俺は心の中でため息をつく。  馬車は広場をゆっくりと横切り、ついに法皇宮殿の前に到着した。  眩しさに目を細め、コルセットとハイヒールの苦しさに身を固くする。  目の前の宮殿は、もはや城ではなかった。白い大理石が太陽を反射し、流線型のドームと無数の尖塔が空へ伸びる。外壁には天使や聖人の彫像が並び、まるで天上の軍勢が宮殿を護っているようだ。  (ヤバい……圧が凄い。前世のバチカンなんて比じゃない……)  アルケイン王国一行の馬車の扉を、御者が恭しく開く。  まずミシェル王子が降り立ち、続いてコルセットの軋む音を悟らせまいと息を潜めた俺が、アヴィの手を借りつつ、高すぎるヒールで地面を踏む。  宮殿正面の階段下には、法皇宮殿の代表として整列した聖職者たち。その中心に佇むのは、バレンティン皇子だった。  白と金を基調とした分厚い聖職者のローブ。三十路前後の落ち着いた気配。  静かで澄んだ眼差しには、敬虔さと権威――そして、この場にいる全員を無言で測るような鋭さが宿っている。  特に俺の後ろに控えるアヴィへ向けられた一瞬の視線は、氷のように冷ややかだった。  ミシェル王子は一歩進み、深く礼を取る。  「ヴェスタリア神聖公国・バレンティン皇子殿下。アルケイン王国国王の名代として参りました、ミシェル・グランウェルにございます」  皇子は静かに頷く。  「よくお越しくださいました、ミシェル王子。法皇猊下は、貴国より“奇跡の使者”が訪れることを心よりお待ちしておりました」  その声音は丁寧ながら、どこか張り詰めたように硬い。  やがて視線は俺に移り――ミシェル王子がすかさず紹介の言葉を添えた。  「そしてこちらが、今回ヴェスタリアへ協力のため参りました、奇跡の聖女――ユーリア様です」  『ユーリア』とは当然、偽聖女の仮の名である。  王子は一拍置いて、さらに続ける。  「ユーリア様は、生まれながらに“言葉を神へ捧げられた”聖女であられます。言葉による応答は叶いませんが……その祈りと御心は、深く通じておりますゆえ」  (……ちょ、話を盛るな!? 神に捧げたんじゃなくて、ただ俺の声が男だってだけだよ!!)  コルセットが容赦なく締めつけ、息苦しさに耐えながら、俺は練習した“慈愛の微笑み”を全力で貼りつける。 レースをあしらったヴェール越しに皇子を見つめ、胸の前でそっと手を組んで、聖女らしく一礼した。  「…………」  しかしバレンティン皇子は、まるで珍妙な骨董品でも鑑定するかのように、じいっと俺の顔を凝視してくる。  (やっべぇ……! 絶対いま『なんだこのブス』って思われてるだろ……! それとも男だってバレたか!?)  だが皇子は、ほんの瞬き一つのあと表情を整え、ふっと柔らかく微笑んだ。  そのまま取り繕うように、静かで恭しい一礼を返してくる。  「……これは、聖女ユーリア様。貴女様の献身に、心より敬意を。ようこそ、神の御前へ」  (えっ……セーフ……!? これ、セーフでいいのか!?)  その後も俺は、“沈黙の聖女”という設定を死守すべく、冷や汗で背中をびっしり濡らしながら演技を続けた。  バレンティン皇子との儀礼的な挨拶を終えると、張りつめていた宮殿前の空気が、ふっと緩む。  皇子は侍従たちに軽く手を振り、穏やかな所作で道を示した。  「長旅でお疲れでしょう。まずは客室へご案内いたします。ご滞在中の細かな段取りは、後ほど改めてお伝えいたします」  その声音は穏やかだったが、それでもその奥底には拭えない疲労の翳りが覗いていた。  白い大理石でできた回廊へと足を踏み入れた瞬間、外の眩しい光が嘘のように和らいだ。  天井は高く、左右には巨大なステンドグラスが並び、通るたびに床へ淡い光の模様を落としてゆく。歩くたび、ヒールの音が広い廊下に澄んだ反響を返した。  (ひえぇ……ここだけ空気の密度が違わない? 異世界の美術館かよ……)  俺は、コルセットとハイヒールに殺されないよう必死に姿勢を保ちながら、そっとアヴィの袖を引いて重心を支えてもらう。  バレンティン皇子は、ときおりこちらを振り返りつつミシェル王子と世間話を交わし、侍従たちは影のように音もなく後に続く。  ジョバンニ氏はというと、歩幅をさりげなく俺に合わせ、前後の位置を微調整して歩きやすいよう誘導してくれていた。  やがて、重厚な金細工の扉の前で皇子が足を止めた。  「こちらが、滞在中お使いいただく客室です」  扉が静かに開かれると、思わず息を呑むほど豪奢な部屋が姿を現した。  高い天蓋つきのベッド、柔らかな赤絨毯、壁一面に飾られた聖人画。窓から差し込む光は柔らかく、旅で硬くなった身体をほぐすようにあたたかかった。  「必要なものがあれば、侍従にお申し付けください。今宵はどうぞ、ごゆるりとお休みくださいませ、ユーリア様」  深々と一礼した皇子は、ミシェル王子に視線を移す。  「王子殿下はあちらの客室へ。後ほど法皇宮殿の側近より、明日からのご滞在に関わる日程調整と、聖座宮(せいざきゅう)における諸々の作法について、詳しいご説明がございます」  つまり――俺とアヴィは一旦この部屋に置いていかれる、ということだ。  (いやいやいや! 王子、一緒にいてくれよ! この国、全体的に神聖すぎて怖ぇんだけど!?)  しかしそんな心の叫びを表に出すこともできず、俺は聖女スマイルを作り、静かに胸の前で手を組んで一礼するしかなかった。

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