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第20話 誰か、俺に休みをくれえええええ!!―木曜日のアヴィ―【新規書き下ろし】

「はいよ! ビールふたつお待ち!」  ドスン、とテーブルに置かれた重たい金属製ジョッキから、白く泡立つビールがこぼれ落ちる。  夜の酒場兼食堂は、まさに熱気の渦だった。仕事終わりの冒険者たちが乾杯の音を響かせ、上階の宿に泊まる客が肉料理に舌鼓を打っている。そんな喧騒の片隅で、俺とアヴィもエダマメモドキをつまみに静かに杯を交わそうとしていた。 「それでは、いただきます」 「おう、乾杯!」  アヴィと金属ジョッキを軽やかに鳴らし、豪快にビールを煽る。喉を突き抜ける冷たさと刺激に、思わず声が漏れた。 「あーっ、くそ! キンキンに冷えてて最高にうめぇ……!!」  ちなみに俺はまだピチピチの十八歳だが、この異世界には『お酒は二十歳になってから』なんて固いルールはない。 (前世の楽しみなんて、オタ活と囲碁、あとは安酒を飲むくらいだったもんな……)  泡の残るジョッキを眺めながら、俺は前世の慎ましい日常をしみじみと思い返していた。  ゴクゴクと勢いよく喉を鳴らす俺とは対照的に、アヴィはどこか浮かない顔でジョッキを見つめていた。なんだか妙に元気がない。  考えてみれば、今日こうして飲みに出てきたのもアヴィから「話がある」と言われたのが始まりだった。家だとガウルたちもいるし言いにくいのかとも思ったが、わざわざ「ご主人様と二人だけで話したい」なんて言われたら、そりゃ付き合わないわけにはいかなかった。  酒場のオレンジ色のランプに照らされて、アヴィの艶やかな栗毛が仄暗い闇に煌めいていた。  深々と影を落としたその顔立ちは、ぞっとするほど整っている。すっと通った高い鼻筋に、どこか憂いを帯びた瞳。ついこの間まで『可愛いウサ耳ショタ』だったはずのアヴィが、いつの間にか自分よりも遥かにデカい『一人の男』になっている事実を突きつけられ、俺は無意識にゴクリと喉を鳴らした。 「……ご主人様? 僕の顔に何か付いてますか?」  じろじろと見つめてしまったせいか、アヴィが首を傾げてくすりと微笑む。 「ん? ああ、いや悪い。……話ってなにかなーと思ってさ」  誤魔化すようにそう切り出すと、アヴィは少し言葉を濁しながら「実は……」と鞄に手を伸ばした。取り出されたのは、ジャラリと鈍い音を立てるズッシリとした革袋だ。 「ご主人様にお返ししたかった、10万ギニーです」 「……へ?」 (俺、アヴィに金なんて貸した記憶ねぇぞ……?)  固まる俺の前で、アヴィが愛おしそうに袋を見つめながら口を開く。 「僕を助けてくれた時に、あのゴロツキの連中に払ってくださったお金です」  ハッとして、アヴィと初めて出会った日の記憶が蘇る。 『その子、いくらで買ったんだ?』 『はっ、買い取ろうってか偽善者が——。10万ギニーだ』 「あ……!? あの時のアレか!?」 「はい。受け取ってくれますか?」 「待て待て、これどう見ても10万どころの重さじゃねぇだろ!?」 「はい。感謝の利子も乗せて、全部で30万ギニー用意しました」 「さんじゅっ……!?」  思わず素でデカい声が出た。周囲の客がチラとこちらを振り返り、俺は慌てて口を塞ぐ。 ​「……いや、いやいやいやいや! 30万ってなんだよ! そもそも俺はお前から金を取るつもりなんて——」  金を押し返そうとした俺の手が、アヴィの大きな手に優しく包み込まれる。逃げられないように、逃がさないように、すべらかな指が絡められた。 「いいえ、受け取ってください。……僕のけじめなんです」  アヴィの瞳が妖しく細められ、熱を帯びた視線が俺を射抜く。 ​「あの時、本当に嬉しかったんです。ご主人様が自分の身を削ってまで、僕を庇ってくれたことが」 「あ、あれは、そのっ、あのときは身体が勝手に動いてたっていうか……! ヒールもあったしガウルもいたから調子乗ってただけで!  てか、 マジでこういうのいらないから! 」  必死に捲し立てる俺の手を、アヴィは両手で包み込んだまま離そうとしない。  ……ただ、気のせいだろうか。  いま「ガウル」と口にした瞬間、アヴィの瞳の奥が——一瞬だけ、ゾッとするほど鋭く冷たく光った気がしたのは。  お互い譲らぬまま、テーブルの上で静かな攻防が続く。先に沈黙を破ったのはアヴィだった。 「どうしても、受け取っていただけないんですか?」 「ああ。気持ちだけ受け取っとくよ、ありがとな」  俺がしっかり頷いて見せると、アヴィはどこか諦めたように視線を手元へと落とした。  ……だったら手を放してくれればいいのに、アヴィは俺の手を握ったまま、その手の甲を指先でじっくりとなぞり始める。まるで愛しい宝物の感触を確かめるような手つきに、なんだかむず痒いような、妙な汗が出てきた。 「……わかりました」  ぽつりと呟き、アヴィが静かに息を吐く。  これで引き下がってくれたか、と緊張を緩めた瞬間——アヴィがゆっくりと顔を上げ、握りしめた俺の手へキュッと力を込めた。 「じゃあ、お金を受け取ってくれない代わりに……僕のお願いをひとつ、聞いてくれませんか?」 ​ ……おい待て。  どこをどうやったらそんな“交換条件”に化けるんだ。  嫌な予感しかしない。というか、嫌な予感しか提示されてねぇ! 「どうしますか? お金を受け取るか、僕のお願いを聞くか……」  逃げ道を塞ぐように甘く微笑むアヴィを見て、俺は冷や汗を流した。 (ちょっと待て。俺、これ完全に脅されてねぇか……!?) 「お、お願いってなんなんだよ……?」 「……実は、少し相談したいことがあって」 「相談? いや、それならいつでも聞くけど……で、なんだよその相談って?」 「……ありがとうございます。ですが、ここだと、ちょっと」  アヴィは賑わう周囲の客たちへチラリと視線を向けると、気まずそうに言葉を濁した。  ……まあ、そうだよな。大音量の喧騒の中で話せるような内容じゃないんだろう。誰にだって、人に聞かれたくない悩みのひとつやふたつはあるはずだ。  それに……どことなく今日のアヴィは、いつもより少し元気がなさそうに見えるのも気になっていた。 「ああ、すまん。そうだよな。……場所、変えるか?」 「……はい。僕についてきてもらえますか?」 「え? いや、どこ行くんだよ……?」 「静かで、落ち着いた場所です」  俺が頷いたのを確認すると、アヴィは満足そうにすっと目を細め、包み込んでいた俺の手を名残惜しそうに離した。 ​  ***  アヴィに連れられて入ったのは、酒場の最上階にある客室だった。  以前利用したリーズナブルな狭い部屋とは打って変わり、上客向けの広々とした、いかにも高級そうな個室だ。  奥には、綺麗に整えられた大きなベッドがふたつ。  中央の丸テーブルには花が生けられ、ほのかに甘いハーブの香りが漂っている。そして花瓶の隣には、氷をたっぷり張ったバケツと、冷えた白ワインのボトル。グラスまで、あらかじめふたつ用意されていた。  ……そこまで視界に収めたところで、俺の思考は急角度で一点に辿り着いた。 (ちょっと待て……これ、今日“アヴィの日”ってことか……!? ここ、完全に異世界のラブホ的なやつなんじゃないの……!?)  どっと冷や汗が吹き出す。  その背後で、カチャン、と静かにドアが施錠された。  恐る恐る振り返ると、アヴィが優雅な手つきで上着を脱いでいるところだった。 (まさか……『相談したいこと』なんて最初からなくて、あのしおらしい態度も、元気がなさそうだったのも、全部こいつの演技だったんじゃ……!?)  脳裏に浮かんだ恐ろしい推測に、心臓が警鐘を打ち鳴らす。  そんな俺の引きつった視線などどこ吹く風で、アヴィはバケツからワインボトルを取り出すと、白い布で丁寧に水滴を拭い始めた。 「……どうぞ、お掛けください」  金縛りに遭ったように固まる俺に、アヴィは優しく、けれど絶対に逃がさないような圧を孕んだ笑みを浮かべ、そっと椅子を引いた。 「あ、ああ……」  俺は必死に平静を装いながら、勧められるまま腰を下ろした。  アヴィは流れるような手つきでボトルを開け、ふたつ並んだグラスへ惜しみなく白ワインを注いでいく。 「な、なんか高そうなワインだな。……お前が用意したのか?」 「はい。ご主人様に喜んでいただきたくて。……どうぞ」  白ワインの注がれたグラスが、すっと目の前に差し出される。  受け取りながらも、俺はたまらず声を張り上げた。 「……お前、わざわざこんな高級な部屋まで押さえてたってことは、俺が金を受け取らないことまで最初から見越してただろ!?」 「ふふ、まさか。どちらを選ばれても、僕はご主人様をここへ案内するつもりでしたよ?」 「じゃあ……『相談がある』っていうのも嘘なんだな!?」  アヴィは俺の正面に腰を下ろすと、優雅にグラスを傾け、一口ワインを含んだ。 (……おいおいおい。まさか、このワインにもなんかヤバい薬とか仕込まれてねぇだろうな……?) 「ふふ。大丈夫ですよ。変なものなんて入れていませんから」 (……読まれてるーー!!?) 「それに、ご主人様に相談したいことがあるというのも、本当ですよ」 「……本当かあ? じゃあ、聞いてやるから言ってみろよ」  俺は平静を装って足を組み、目の前のグラスにそっと口をつけた。  瞬間、果物の甘みと華やかな香りが口いっぱいに広がる。 「うま……」  思わず呟いてしまうと、アヴィがくすりと笑った。  そして同じようにワインを一口含み、どこか遠くを見るような目で、静かに口を開いた。 「僕は……今のこの関係を、終わりにしたいんです」 「……は?」  思ってもみなかった言葉に、思考が跳ね飛ぶ。 「それって……パーティーを抜けたいってことか……!?」  すかさず問い返すと、アヴィは寂しげに首を横に振った。そして、グラスの中の液体を見つめたまま、ぽつりと呟く。 「……僕が以前、10万ギニーを返すまでは『ご主人様』と呼ばせてほしいと頼んだのを、覚えていますか?」  ――出会ったばかりの頃だ。  『ご主人様』なんて呼ばなくていいと言う俺に、アヴィは『お金を返すまでは』と頑なに譲らなかった。  俺が頷くと、アヴィは消え入りそうな声で続けた。 「だから僕は……お金を返してしまうのが、少し怖かったんです」  アヴィはそこで一度、言葉を切った。 「お金を返してしまったら……、僕にはご主人様のそばにいる理由が、なくなってしまいますから」 「……え?」  思いがけない言葉に、俺は目を瞬いた。 「義務がなくなったら、ご主人様が“僕のご主人様”ではなくなってしまう。僕たちの繋がりまで、消えてしまうんじゃないかって……」  そんなアヴィの切なげな横顔を見ていたら、胸の奥がキュッと締め付けられた。  なんだよそれ。……そんな不安を抱えながら、ずっと一人で悩んでいたのか?  ヤバい薬だの何だのと邪推していた自分が、急激に恥ずかしくなってくる。 「馬鹿だな。10万ギニー返したって、お前が仲間なのは変わらないだろ? それにハナから俺は、お前に金を返してもらおうだなんて一ミリも思ってねぇし」  俺は思わず身を乗り出し、熱っぽく言い切っていた。 「金の貸し借りなんてなくても、俺はお前が大事だよ。だから……お前が嫌じゃなかったら、これからもずっと、俺のそばにいてくれたら嬉しい」  熱弁する俺を、アヴィは驚いたように目を丸くして見つめていた。  だが、次の瞬間。 「……じゃあ」  寂しげだった瞳の奥に、暗く濃密な満足感が揺らめく。 「……僕を恋人にしてくれませんか?」 「……」  ……ん? コイビト……?  俺は目を、パチクリとさせた。  パチ、クリ。 「……こ、ここここ恋人って……!?」 「はい。愛する人と書いて、恋人です」 「いや、それだと愛人だろ!!」  思わず即座にツッコんでしまった。  ……って、そうじゃない!  待て待て待て! 俺、ガウルとクーにも流されるまま、あんなことやこんなことになっちゃってんだぞ!?  ここでアヴィの恋人になったら、俺は『誰にでも尻を差し出すアバズレ』になっちまうだろ!?  いや、わからん。こう見えてアヴィが“受け”だったらどうする!? いや、問題はそこじゃねぇ!!!  アバズレにヤリチンがプラスされるだけじゃねぇか!!  つーか、そもそも、アヴィもグルだろ!! 重婚!? 異世界だからハーレムとかアリなのか!?  いや、俺の理性が死ぬ!!  いや待て。三人がグルだったとしても、だ。俺はガウルとクーのことだって大事なんだぞ? アヴィだけ恋人にしたら、二人を裏切ることになるんじゃないのか?  ……でも、アヴィだって大事だ。  じゃあ俺は、どうしたいんだ……?  だいたい、なんで転生先の異世界でこんなにモテまくってるんだよ……!? しかもイケメンマッチョ獣人限定ってどういうことだよ!? 俺の肉体から獣人(♂)をメロメロにするフェロモンでもダダ漏れてんのか!?  そんな、しょーもないことをぐるぐると考える。  だけど――俺の中では、とっくに答えが出ていたのかもしれない。  俺はひとつ息を吐いて、アヴィを見上げた。 「……俺さ、卑怯かもしんないけど、お前だけを特別扱いすることはできないと思う」 「はい。それは十分わかっています。そう仕向けたのは……そもそも僕ですし」 「はー、やっぱりな。……なんでそんなことしたんだよ」 「ご主人様があの二人を大事に思うように、僕もあの二人が好きだからです」  アヴィはそこで、ほんの少しだけ目を細めた。 「……それと同じくらい、憎くもありますけれど」 「……好きなのに、憎いのか?」 「ええ。ご主人様を奪われたくないと思うくらいには」  さらりと言ってのけるアヴィに、俺は思わず言葉を失った。 「でも、それは僕だけじゃない」 「……え?」 「ガウルさんも、クーさんも。きっと同じです」  アヴィは静かに微笑んだ。 「だから僕は、ご主人様に誰か一人を選んでほしいわけではありません。……僕も、その中に入れてほしいんです」  俺はしばらく言葉が出なかった。  アヴィ本人は至って真剣だ。真剣なのは分かる。  ……でも、言ってることがカオスすぎる。 「……はぁ。ほんとにお前ら……どんだけ俺のこと好きなんだよ……」  呆れかえる俺の問いに、アヴィは何も答えず、ただ優しく微笑んでいる。  その顔を見ているうちに、俺はもう一度、小さく息を吐いた。 「……わかった。お前がそれで構わないのなら、恋人になってやってもいい」 「……本当に?」 「ああ。ただし、言った通りだ。俺は誰か一人を特別扱いするつもりはない。それについて文句を言うのはなしな」 「……はい。ありがとうございます」  そう言ったアヴィの唇が、ゆっくりと優美な弧を描いた。その笑顔は、今まで見たどんなものよりも嬉しそうだった。  ……だけど、なんだろう。  なぜか俺は、とんでもなく大きな罠に、自分から足を踏み入れたような気がした。

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