4 / 35

第4話

 ニワトリが、夜の終わりと朝の始まりを告げる。  権威を主張し、自信に満ち溢れた堂々たる鳴き声だが、外はまだまだ薄暗い。ベッドで幸せそうな寝息を立てているヒトだけでなく、もしかすると、休息中の多種多様な生物にとって、何とも耳障りな、迷惑な声かもしれない。    しかし今、そんなニワトリより迷惑な来訪者が、玄関のドアを無遠慮に叩き続けている。そのうえ、リュートの「勘」や「本能」といったものが感じ取っているが、扉の向こうに居る何者かから、嫌な気配がする。訓練通り、腰に帯刀した相棒に手をかけ、息をするように、あらゆる事態を想定してその対策を練った。    大きめのシャツをルームウェア代わりにしたラブが、リュートの緊迫感を全く感じない様子で、軽い音を立てながら階段を下りてくる。シャツの裾からひょろりと伸びた白い足がとても眩しかったが、プロの意地を見せ、集中力を途切れさせることなく、警戒を続ける。 「おはよう、ラブ。ドアの向こう、すごく嫌な感じがするんだが」 「……おはようございます。大丈夫ですよ」 「おい、よせ!」    昨日、リュートには警戒心の塊のような振る舞いをしたラブが、寝ぼけているのか、無防備な状態で真っ直ぐに玄関へ向かう。この事態は想定外だったため、リュートの反応が少し遅れ、歯車が狂っていく。それを修正している間に、ラブが鍵を開けてしまった。 「あうっ!」  一瞬でドアが開き、黒い影が中へ飛び込んできた。その勢いに、ラブは後方へ飛ばされて倒れる。彼の体に、2メートルほどある黒い人型が覆いかぶさっていた。 「ラブ!待ってろ、今……」 「ラブ~大変だよー!」  リュートは、黒い人型から突然発せられた「ラブ」に意表を突かれ、口ごもる。さっきまで感じた嫌な気配がなくなったのと、ラブの知人である様子から、人型への警戒が完全に解かれてしまった。 「先生、おはよう。どうしたの?」  「先生」と呼ばれた人型は、ラブに跨ったまま大きな体躯を出来るだけ小さくし、左手の人差し指を差し出す。 「血がっ……血が出たんだよー」  よくよく凝らして見ると確かに、ラブの目の前に差し出された人差し指には、胡麻粒ほどの血がぷくりと盛り上がっていた。「先生」は今にも泣きだしそうな顔をしていて、ラブもつられて表情が変化していった。 「大丈夫。舐めとけば治るよ」  何のためらいもなく、「先生」の人差し指を第一関節まで咥え、滲んだ血を吸う。しばらくして口を離すと、じゅる、と水音が響いた。その音に羞恥を覚えたのか、ラブの頬がコーラル色に染まり、そのまま、リュートには決して見せない笑顔を見せる。 「ほらね?」  「先生」は、血が止まった指先をまじまじと眺めてから「ホントだー、ありがとう!」とラブに抱きついた。 「ところでこの木偶の坊は誰だい?」  こちらの何を知るわけでもないのに、矢庭に敵意の満ちた視線を浴びせられ、リュートの中で何かが振り切れそうになった。あわやのところで、一般人に危害を加えてはならぬと思いとどまり、自分を冷静にするためにも身分を打ち明ける。 「はっ。総務局人体部監督係、リュート・リヒスト巡査長であります」 「巡査長殿!これはこれはトンダご無礼を!私は、第1種国家医魔術師、イェンチ・ケドーと申しマス」 『イェンチ・ケドー』その単語に詰め込まれ多数の情報が、リュートの脳内に溢れ出る。同時に、全身に血が巡り、驚きと喜びが入り混じった感情が、加えて衝動性を帯びた。 「あの、ケドー博士!でいらっしゃいますか!?」  その衝動に逆らわずに言葉を発すると、リュートの声帯が変化に追い付けず、一部が裏返ってしまった。  今、リュートの目の前にいる長髪長身の魔術師は、史上最年少で国家試験を一発合格し、今ある特効薬の約4割を開発したと言われている、天才医魔術師だ。しかしリュートにとっては、天才ゆえ、常人とかけ離れ過ぎた思考や言動で内部と何度も衝突し、総務局が持て余している魔術師であるらしい、という印象の方が強かった。 「ね?ラブ。役所勤めの人はだいたい、私の名前を知っているんだ。なんだか犯罪者になった気分だよ」  あからさまに肩をおとして嘆くイェンチの頭をラブが撫でて慰める。 「巡査長殿。確かに私はキミの言う、あのケドー博士本人だけれど、名前が一人歩きしてるだけさ。本物はとってもお茶目でユーモラスだよ?」  イェンチが勿体ぶって両目を瞑る。ウインクがしたかったようだ。それを見てリュートから、思い当たる節がこぼれた。 「確かに、中身は幼児……」  刹那、リュートの額めがけ小型ナイフが飛び、薄皮一枚、破いたところで静止した。学園時代も、訓練生時代も「瞬発力」「観察力」「判断力」等々、実技において優秀な成績を収め続けてきたリュートが、何も感じとれず、一歩も動けなかった。  辛うじて、ナイフを投げた者から発せられている殺気をたどり、視線をぶつける。ラブの瞳は、重く、冷たく沈み、全てを拒絶している。幾度か対峙したことのある、殺人鬼でもこんな目はしない。リュートは純粋に、恐怖を感じた。 「先生を侮辱するな」 「まぁまぁ、ラヴィ。私が望む、相手からの印象をそのまま受け取ったにすぎないんだよ。むしろ素直な好青年じゃないか」  イェンチがラブの腰に腕を回し、なだめる。ラブの瞳に安堵の色が宿り、殺気が消えた。「先生がそう言うなら」と、力を抜くと、ナイフがカランと床に落下する。リュートは、自分が息をするのを忘れていたことに気づく。 「ごめんなさい。これ、使ってください」  清潔な白い綿布が手渡される。「俺も、悪かった」と、ひきつった笑顔で受け取りながら、リュートは自分で額の血をぬぐった。  魔術師は、程度は違えど、それぞれに高貴で殊勝なプライドを持っている。それを踏みにじることは、たとえ同胞でも許されない。暗黙のルールだ。    ラブのとった行動は、権威ある医魔術師であり、尊敬してやまない師を侮辱されたのだから、ごく自然な事だったのかもしれない。相手が誰であっても、同じ反応を見せただろう。リュートは、そう頭では理解できるが、「自分は、あの時の報いを受けているのだ」と思わずにはいられなかった。 「そんな事よりラヴィ、朝食はまだかい?」

ともだちにシェアしよう!