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第5話
ラブは手際よく、3人と1匹分の朝食を用意した。
目玉焼きは、黄身が程よい硬さで、素材の味が存分に引き出されている。火の扱いを熟知している者だけが成せる焼き具合だ。ベーコンは自家製らしく、程よい塩加減が肉の旨味を凝縮させている。自家菜園で収穫したというトマトとサラダ菜は、そのみずみずしさと健康的な発色から、太陽をさんさんと浴びたであろうことが容易に想像できた。オリーブオイルのきいたドレッシングで和えられ、食卓に色味を加えている。「ミソ」という材料を使ったスープは、胃に流しいれると、不思議なことに腹ではなく、心の底からほんのり温まる。
「うん、今日もおいしい!トメィトゥも最高!ね、リュート君?」
「はい。すげー美味いです」
イェンチはトマトが大好物のようだ。丸ごと一個、貰って食べている。リュートは、ラブの料理の腕前について、プロと言っても申し分ないくらいだ、と思った。
「別に……普通ですよ」
二人から褒められて居心地が悪くなったラブは、マフィンにバターを過剰に塗り付けてやり過ごすことにした。
「ところで、カンサだっけ?シッポは掴めたのかい?」
朝なのでまだ脳が覚醒していないのか、朝食が美味くて意識が食べる事にしか向かないのか、その両方か。「シッポ」という言葉に、何の躊躇いもなく猫の方を見る。目を細め、ラブ特製の、猫専用朝食を幸せそうに食べていた。シッポの先が、左右にゆらゆら揺れている。リュートは、そこでようやく我に返った。
「あー、いえ、昨日来たばかりなので。自白は有りましたが、証拠不十分です」
「何したのぉ?ラヴィ」
イェンチが悪戯っぽく問う。右手には、2個目のトマトが握られていた。
「……人体実験と、人体サンプル回収」
トマトをかじりながら「うーん」と考え込む。少しずつ、巡査長の顔に切り替わりつつあるリュートは、ベーコンを咀嚼しながらイェンチの証言を待つ。
「確かに、嘘は言ってないね。例えば、ホラ」
イェンチが空中を指さす。リュートが、自慢の動体視力で捉えたのは、一匹の蚊だった。
蚊は、ラブの目の前までふらふらと飛んでい行き、ミツバチのように8の字を描く。ラブはポケットから指輪を取り出し、人差し指にはめる。指輪には大きなガラス玉がついていて、ルーペの役割をしていた。
その指輪で、自分の人差し指の爪が見えるように手の位置を調整する。しばらくすると、指先に蚊がとまる。ルーペで拡大されて見る蚊の腹は、血をたっぷり吸って今にも張り裂けそうだった。その腹に赤子の毛ほどの細さの針を、ゆっくり刺す。蚊の腹は、徐々にしぼんでいく。
「ああやって、血を集めてる。大量に。人体サンプルの回収だね」
「でも、同じ人物から3ミリリットル以上はとってないです」
届け出無しに、同一人物から5ミリリットル以上の血液を採取する事は、法で禁じられている。それだけあれば、相当きつい呪詛がかけられるからだ。よって、蚊を使ったこの方法で、同一人物から3ミリリットル未満の血を採取しているだけならば、確かに違法ではない。集められた本人も、文字通り蚊に刺された程度の被害で済む。それ以前に、「蚊」にそんな芸当ができるのか。何より、現時点では本当にラブが操っているという証明が出来ない。
「ねーねー、リュート君。あの蚊、どうやって動いてると思う?」
イェンチは、将来有望な若者がどんな答えを返してくれるのかと、期待に満ちた目でリュートを見つめる。
リュートは考えた。最初に思いついたのは、使い魔契約。いや、契約するには対象が小さすぎる。そもそも蚊は、人語を理解できるのだろうか。ならば逆に、例えば、蚊のコミュニケーションツールをラブが解読していて、それを用いて命令を出している、というのはどうだろうか……
「ぶー。時間切れ!答えは、『愛』だよ」
「はっ?」
リュートは、今、この場において全く関連のない単語を発するイェンチを訝しげに見る。
「ラヴィのフェロモンで、蚊に恋させてるの!ウケる~、よね!」
ケタケタと笑うイェンチをよそに、リュートは頭を抱える。それではこの蚊は、ラブに貢いで気に入られるために血を集めてきたのか。そもそも蚊が吸血するのは、産卵する際のエネルギーを得るために行われるはずだ。その理屈は通用するのだろうか。
プチィッ!
「ああっ!」
リュートとイェンチが同時に悲鳴をあげる。ラブの指先に、無残な姿の蚊が付着していた。
「ラヴィ非道い!」
「悪魔か、お前は!」
二人からいっぺんに責められたラブは、ワケが分からない、という表情を見せる。
「何言ってるんだ。蚊だぞ?」
愛だの恋だの言っているうちに、蚊に対して情が芽生えてしまったようだ。今のリュートとイェンチにとって、ラブの言動はあまりにも非人道的だ。
「やっぱりこの子、他にも悪い事してるかも。しっかり調べておくれ、リュート君!」
「はっ!そうします」
リュートとイェンチの、時間が経つにつれ息が合っていく様子が、ラブには面白くない。存在をアピールするかのように、声を張り上げた。
「僕は人体実験何度もやってる。新しい薬試したりとか」
「ラブの身体でね。ラットで実験してから」
急いで、イェンチが付け加える。リュートは、人体サンプルの回収と人体実験に関しての報告は、何とかなりそうだと安堵した。となると、怪しいのは薬だった。
「どんな薬なんだ?」
「明日……マグロ食べてから教える」
「にゃぁー」
マグロという単語に反応した猫が、とびきり可愛く鳴きながらラブの足にまとわりつく。
「ねぇ、ラヴィ。猫さんの名前教えてよ」
猫にトマトを一カケ与えながら、イェンチが問う。猫は匂いを嗅いだ後「信じられない」という顔でトマトの差出人を見上げる。
「猫だよ。前から言ってる」
「いーや、ウソだね。呼んでも反応しないもん!」
「それは、先生が隙あらばトマト食べさせようとするから」
その後、何度か問答が続いたが、結局猫の名前は「猫」で落ちついて朝食会はお開きになった。イェンチは自分のラボに戻り、暫く作業をするようだ。「明日、晩ごはんの時間にまた会おう」と言う台詞を残して去って行った。
ラブが今日一日、畑で作物の収穫と種まきをすると言うので、リュートも手伝うことにした。
リュートはその日の夜、農作業の疲労感と、監査が順調に進んでいる余裕、加えて、ラブ特製穫れたて野菜のパスタをたらふく食べた満腹感もあり、定時報告後すぐに、質の良い眠りに就く事が出来た。
翌朝、ラブは女になっていた。
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