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第7話
ラブの家を遠くから眺める。髪の長い女性が、玄関に立っているように見えた。
土気色の肌で、ふらふらと左右に揺れ、右手にはナイフが握られていた。
「あれは……傀儡だな。俺が止めよう」
リュートは、持っていたマグロをラブに手渡す。戦闘態勢に入るためだ。ところが、ラブがマグロを受け取る気配が一向にしない。
「平気です。前にも対処しました」
ラブは、女型の傀儡が待つ自分の家の方へ足早に向かう。程無くこちらに気付き、傀儡がナイフを振り上げラブに襲いかかってくる。リュートは念のため、打撃系遠距離魔術の準備をした。
「ああああああああ!」
「……うるさい」
傀儡がナイフを振り下ろすのと、ナイフが何かにぶつかって後方へ弾き飛ばされるのが、ほぼ同時だった。
「がっ……がぁ!」
尚もラブに向かって拳を振り上げるが、見えない壁で阻止され、その反動で後ろへよろめく。傀儡がそれを繰り返している間に、ラブは魔法陣を完成させて魔力を込める。いつのまにか、四方を見えない壁で塞がれ、身動きが取れなくなっていた傀儡に、追い討ちをかける様、火柱が上がる。
「があああああっ!!ぐがぁ!」
十分に断末魔をあげる間もなく、傀儡はただの灰と化した。
「自立度から推測するに、媒体は小指の爪だな。今頃、術師の指は丸焦げだろうな」
リュートは、先程まで傀儡だった灰を靴で踏みつけ、燻っていた火を消した。
「完璧な正当防衛だ」
何か言いたげなリュートを牽制するかのようにラブが言い切る。
「ごもっとも。今のは?」
「客の仕業だよ。制約違反で効果が得られなかったんだろうね、諦めきれなくて文句を言いに来るんです。時々」
ラブは、少し灰をかぶってしまったのか、頭を横に振って応戦するもうまくいかず、ため息を吐く。
「命を狙われたのは初めてだ」
女の傀儡は、「For You」利用者が仕向けたのだそうだ。薬に頼ってくるくらいだ、自身に余裕がないうえ、薬の値段も安くはない。制約に同意したとしても、効果が得られないとなると、理不尽な怒りをぶつけてくる客が居て当然だ。リュートは、例え合法だとしても、どうにか「For You」の取り扱いを辞めさせられないものかと、算段を立てていた。
「For Youも調べるんですよね?」
「……そうだな」
リュートの懸念を与り知らぬラブは、自分の自信作を存分に自慢できる機会を得たと、満面の笑みで、スキップまでしながら、帰宅した。
「調子のいい奴め、お前が興味あるのは僕じゃなくてマグロだろ?」
ラブがキッチンに立つと、猫が足にまとわりついてきた。
ゴロゴロと喉を鳴らし、頭をこつんとぶつけたり、頬を擦り付けてくる。
「今日のマグロの人、今のところ順調だニャ。制約も守られてる」
猫が、待ちきれないのか口の周りをぺろぺろ舐めながら、言いつけられていた用事をぬかりなく実行していることを証明するように報告する。
「マグロを買ってきたのは僕……じゃないけど、とにかく、お客さんをマグロの人呼ばわりしてはダメ」
ラブは、グラスに注いだ白ワインを3つ用意し、その内の一つに、桃色の錠剤を落とし込む。錠剤が小さな気泡をたくさん出しながら溶けていく。ワインの色が淡いピンクから橙色へ変化し、すべて溶けきる頃には元の色に戻っていった。
「……明日の朝ごはんは誰が作るのさ?」
猫が、目を細くしてグラスを眺めながらラブに問う。
「は?いつも僕が作ってるだろ?」
律儀に答えたラブだったが、猫がした質問の意図に気づき、足をばたつかせて追い払う。
「天地がひっくり返ったって有り得ない!あの人のガードはサファイア並に固いよ!」
***
「うまー!んまーにゃー」
「うまそうに食うなー。喋ってるみたいだ」
ラブは猫を睨みつけ舌打ちをしたが、誰にも気づかれなかったようだ。実際、マグロはとても美味だった。素材が良かったので、味付けはブラックペッパーのみでミディアムに焼き上げた。味に変化を持たせるため、アボカドを使用したソースも添えたが「蛇足だったな」とラブは思った。
「先生、どうぞ」
「わー!ありがとう!」
ソース作りで余ったアボカドは、トマトと一緒にマリネにした。
「あの火柱は、今夜はリュート君がシェフで、失敗したのかなと思っていたよ!」
丁度、ラブが盛り付けをする頃に現れたイェンチに、リュートが傀儡について報告した。イェンチは特に驚く様子もなく、「大変だったね」と、両者に労いの言葉をかけた。
「それにしても、せっかく開発した薬が正しく使われないのは、とても悲しいね」
イェンチが、慈愛に満ちた表情でラブを包み込む。
「人が使う物ですから、それなりの覚悟はしてます。悪用さえされなければ、矛先が僕に向かったっていいです」
リュートは、マグロステーキに舌鼓を打ちながらも、二人に置き去りにされないうちに口を開いた。
「その『For You』についてですが、調査の結果、違法な材料、術式は検出されませんでした」
違法どころか、どの材料も誰もが手軽に最寄りのマーケットで入手できる代物で、製造過程で確認した術式も、魔術学園なら中等部で習う基本的なものだった。
「ローリスク、ハイリターン!私の愛弟子は素晴らしいだろう!?」
まるで自分の事のように喜びはしゃぐイェンチに、ラブは俯いて、にやけた顔を隠す。リュートは、水を差すようで悪いと思ったが、仕事柄、自分の正義に嘘はつけない。
「確かに、技術面では申し分ないですが、倫理的にはどうかと思います」
案の定、二人は硬直し、リュートを見つめる。ここで怯んでは先程の発言、強いては己の信念が戯言に成り下がるため、胸を張って続ける。
「俺はあまり感心しませんが、血筋は確かに重要です。けれど、愛っていうのは、時にはそれをも凌駕する可能性だと俺は信じたい」
「お前が言うなよ」
右目を押さえたラブが、低く唸る。何かに耐えている様にも、何かを解放している様にも見えるが、とても苦しそうな表情をしていた。リュートは、歯車がかみ合っていない時に感じる焦燥に似た不安に駆られる。
「あっはは!その感覚、久しぶりすぎて反応に戸惑ってしまったよ、ねぇ、ラブ」
「……リヒスト先輩、古風な考えをお持ちですね?」
くすくすと、笑う。イェンチの場違いな明るい声に、ラブは救われる。
「しかし……」
なおも食い下がるリュートに、イェンチは年長者らしく振る舞う。
「ねぇ、リュート君。誰も否定はしていないよ?君の意見は正しい。でもね、別の方向から見てごらん。ラブの意見も正しいんだ」
イェンチは、一口大に切られたトマトをフォークで二つ、捕える。互いにぶつかりあい液胞が破れ、果肉と種の混じった汁が滴る。
「いや、正解なんて無いのかもしれないね。けれど、どちらも在っていいんだと私は思うよ」
言い終えると同時に、つぶれたトマトを一気に頬張り、幸せそうな顔をする。
リュートは、自分の長所は、しっかりした軸と柔軟性を兼ね備えた思考力だと、上司に教えてもらったことを思い出していた。
「ラブ、すまない。自分の考えを押し付けてしまった」
「僕こそ、小馬鹿にしてすみません」
小馬鹿にされていたとは初耳だったが、ラブに笑顔が戻ったことが、リュートは単純に嬉しかった。
「よし、飲もう!いい白ブドウだね!」
提案する前に、既に味見を終わらせていたイェンチが、グラスを持って二人に促す。
「乾杯!」
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