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第12話
地下道はどこまでも真っ暗で、足元に頼りない青色の光が等間隔で灯っているだけだった。横幅は、大人3人が肩を並べても狭いとは感じず、かといって広くもない、高さもそこまでの圧迫感の無い、丁度良い大きさだった。
進行方向を見ると、青の光が永遠に続いているだけで、自分がどれだけ歩いたか、あとどれくらい歩くのか感覚が麻痺しているにも拘らず、恐怖も疲労も感じない。下は、固さと軟らかさを兼ね備えたような、
今まで歩いたことの無い感覚の地面で、歩を進めるたびに、カロン、カロンと不思議な音がこだまして、その音に心が凪いだ。
リュートは、心が凪いだついでに、ずっと引っかかっている事柄について触れてみる事にした。
「ラブ、ヤモリと、その‥‥‥黒猫の事は残念だったな」
「僕のヤモリが‥‥‥絶対に許さない」
立ち止まり、怒りを噛み締めるようにラブが唸る。寝る子を起こしてしまったようだ。
「猫は大丈夫ですよ。今は‥‥‥地下室のラボでご飯食べてます。相変わらずマイペースな奴だなぁ。よかった、ラボは無事みたいです」
「そうか‥‥‥え?」
ラブから、想像していたものと違う答えが返ってきてリュートが混乱していると、イェンチが補足を加えた。
「猫くんはラブの使い魔だからね。生死がどうとか、今置かれている状況とかは、ちゃんと繋がってて解るんだよ」
言われてみればなるほど、そういえば昔、学園で習ったな。リュートは、いくら学んでも使わない知識はどんどん失われていくのだな、と再確認した。復習は大事だ。
そんなやり取りや思考をしながら歩いていると、行き止まりにあたる。行く手を阻むガラス板のようなものが、リュートたちの姿をぼんやりと映している。
「さあ!このガラスを通れば、総務局合同庁舎の離れにある、私のラボに到着だよ」
「え?もう到着ですか?」
リュートは驚いた。鉄道で2日はかかる距離が、体感的に、2時間も経過していない。
「安心するのはまだ早いよ~。このガラス板、心から到着したいって気持ちで通らないと、別の所に飛ばされちゃうからね。ラブは何度か使ったから、大丈夫だね?」
「うん。僕は先生のラボのイメージも持ってるので、余裕です」
リュートは、不安に押しつぶされそうになる。イェンチのラボへ赴いた事は勿論ないし、別の所とは、いったいどこへ飛ばされてしまうのだろうか。自力で戻れる場所なのだろうか。ぐるぐる考えている間に、能天気な声で「お先に~」という台詞を残し、イェンチがガラス板を通り抜けてしまった。水面のようにゆらゆらと揺れ、イェンチの体全部が抜けきると、ガラス板は最初の、硬度のある状態へすぐ戻った。
「あの……コツとかは?」
「……がんばれ」
残ったラブに懇願するも、期待していた答えは返ってこず、彼自身もするりとガラス板を抜ける。リュートは半べそ状態で意を決し、目を固く閉じてガラス板を通り抜ける。「どうか、総務局合同庁舎の離れにある、第1種国家医魔術師、イェンチ・ケドー博士のラボに辿りつけますように!」と、詰め込めるだけの情報を詰め込んで、心の中で強く念じながら。
「おおっ、無事だったんだね!」
リュートは、眩い光に暫く目を細めるが、すぐに慣れて開眼すると、イェンチとラブの姿を確認できた。
「俺……成功したんですね!」
案ずるより産むが易し。それとも、自分が特別に上手く通り抜けられたのか、目の前にいる二人の仲間入りができたような、そんな気がした。
「おめでとう!まあ、念じなくてもフツーに到着するんだけどね」
「先輩、顔おもしろかった」
リュートは赤面した。
国家魔術師も第1種となると、国から専用のラボを与えられる。総務局合同庁舎の敷地内には、ラボ棟と呼ばれる建物がいくつかあり、その中から実績に応じて割り振られるのだが、イェンチのラボはなかなかのグレードのものであった。ある一点を除いては――
「ようこそ、私のラボへ」
腕を広げ、得意げに紹介された部屋から、どうしても連想してしまう単語が、リュートの口からこぼれ落ちる。
「ゴミ捨て場……」
イェンチのラボらしき部屋は、何がどうなって散らかっているのかが分からないくらい、ありとあらゆるものが散乱し、床や、おそらく何かしらの家具を覆い尽くしていた。
「もうっ、先生!この前片づけたばっかりなのに!」
ゴミ袋を片手に、いつの間にか手袋をはめたラブが、勝手知りたる様子で片づけ始める。すでに、魔動式空気清浄器が2台、起動していた。
「ラブ、見て!言われた通り、ここは綺麗にしているんだよ?」
イェンチが主張したのは、部屋の真ん中の、ローテーブルとソファが置かれたスペースで、それらを中心に楕円を描くように床が見えていた。ただし、そこへ辿り着くまでに、何度か困難を越えねばならないようだった。ラブはというと、そんなイェンチの精いっぱいの努力に目もくれず、黙々と自分の作業に没頭し続ける。
「あれ~?聞いてないや。ああなったら終わるまで止まらないから、リュート君、お茶にしよう!」
「いやー、大変なことになったねー」
ずず、と、紅茶をすすりながら、突然雨に降られた時のような感覚で、イェンチはリュートを気遣う。優しい香りのする紅茶は、イェンチがカップを一個割った後で、ラブが淹れた。
「犯人に心当たりは?」
「……俺個人には、ありません」
『投票』の日が近い。リュートはあらゆる可能性の中で、現実的かつ最悪な事態を想定して答える。イェンチも、その意図を汲む。
「私もそう思うよ。ていうか、ほぼ間違い無いね」
リュートは、カップを持つ手が震えるほどの怒りを何とか抑えようとする。しかし、紡ぎだす言葉にはどうしても怒気が含まれた。
「こんな姑息な手段で手に入れられたとして、その地位を使って何を成すのか。それは、アイーダ・ショウカワの目指す所よりも、価値のある物なのだろうか」
無意識に、唇をかみしめる。血が滲み始めた頃、リュートの顎をイェンチが掴む。
「君、すごく好い顔をするね……これからも末永く仲良くしようねっ」
「は、はい?」
毒気を抜かれたリュートは、そのまま両頬を軽くつままれ、イェンチに弄ばれる。
「『投票』も大事だけれど、まずはリュート君の潔白を示さねば!」
勿体ぶって両目を瞑る動作(イェンチの中ではウインク)をして、リュートに手を差し伸べる。それと同時にラブが、達成感の伝わる張りのある声で叫んだ。
「掃除、終わりました!」
「ラブありがとう!じゃあ、アイーダの部屋へ行こう!」
幼い子供がクレヨンで一生懸命に描いた絵のように、力強くも不安定な線で壁に描かれていたのは扉だった。その上にイェンチが魔法陣を描くと、ここへ来た時と同じ要領の入口が完成する。今度は先程よりも早めに、例のガラス板に到着した。
「このガラス板はね、リュート君」
「いいえ、もう騙されません」
「あはっ!」
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