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第14話
「……やはり。リヒスト先輩、このインクは、先輩の部屋にもありますか?」
アルファベットと依頼書をしばらく見比べた後、ラブが口を開く。現実を突き付けられ、口をつぐむリュートだったが、真顔に見えるが必死に笑いを堪えているときの顔をしているアイーダに肘で突かれ、ラブの質問に答えた。
「うん……リ・ヒ・ス・ト先輩の部屋にもあるよ。事務員が補充してくれる」
「では、この依頼書の書き換えに関与しているのは、コビンス氏で間違いありません」
ラブが、自信たっぷりに犯人の名前を挙げる。対照的に、リュートとアイーダは首をひねる。
「……誰、それ?」
「人体部事務員のエニー・コビンスですよ。5年前に入局。仕事があまり出来る方ではないので、雑用ばかり任されています。彼はこのフロア担当です」
ラブがボロボロのメモ帳を見ながら答える。あのメモ帳には、どんなジャンルのどれほどの情報が記されているのだろうか。リュートが尊敬と嫉妬が入り混じる熱い眼差しをラブに向けていると、それに気付いたラブが、少し耳を赤くして答える。
「……収集癖があるんです。切手とかコインとかいろいろ。情報も、集める物でしょう?」
「すごいな、ラブ」
リュートに褒められ、反応に困ったラブが下を向く。
「なるほど!じゃあこの依頼書は本物なんだね!」
イェンチが、件の依頼書を手に取りラブの頭を撫でる。
「癖が全く同じ。これは間違いなく、アイーダ先輩の文字で書かれた依頼書なんです」
ラブが、先程調べていたインクで、紙にアルファベットを書きなぐる。その上に魔法陣をかざし魔
力を込めると、書かれたアルファベット自体が縮んだり一部を伸ばしたりしながら、もぞもぞと紙の上を動き始めた。アルファベットの動きが止まり、そこには「Exposure of a trick (種明かし)」という文字だけが残る。
「インクに細工をしていたのか」
アイーダは、ラブに手渡された先程の紙を見ながら、自分が書いた依頼書の文字を指でなぞる。
「はい。ただ、コビンス氏がこんな高等魔術を使えるとは思えませんので、最低でもあと一人、この件に関わっています」
「となると、二手に分かれる必要があるねー。私とリュート君がエニー・コビンスとその周辺の監視、アイーダとラブが『投票』に向けての情報収集ってとこかな?」
そう言いながら、イェンチがリュートの腕に絡みつく。ラブは慌てて割って入り、反論する。
「ちょっと待って先生!僕は家を燃やした犯人を知りたいだけで、そもそも投票ってなに?」
「もー、ラブったら私より世間知らずだね!近くに置いといて正解だよ」
この国を治めるのは『協議局』と『総務局』だ。総務局は、リュート達が所属する『人体部』を始め、『安全保持部』『教育部』『会議部』の4つの部署から成っていて、仕事内容によりさらに細かく枝分かれする。協議局は文字通り、協議を行う。そこで法律や新しいシステム、人事など、様々なことが決まっていく。この二つの局の運営権限を与えられ、実質、この国で一番の権力を持つ者を『最高長』という。最高長に定数はなく、けれども少なければ少ない程、国が力を持つと言われている。
最高長になるためには、まず『最高長補佐』に選定される必要がある。こちらは定員が設けられているので、欠員を補充したり、政策を一変したい時等に、突発的に両局の全職員を対象に『投票』が行われる。限られた時間で票を集める必要があるため、迅速な情報収集と根回しが鍵となる。
「それにしても、『最高長』って!なんともゴキゲンな呼名だね」
イェンチが噴き出す。ちなみに、この国の仕組みについて語っている途中で混乱し始めたイェンチの代わりに、アイーダがラブに説明した。
「状況はわかりました。でも、私はアイーダ先輩に協力するつもりはありません」
ラブがきっぱりと言い切る。
「犯人が分からないのなら用はない。リヒスト先輩も、私の監査どころじゃないでしょう?帰ります」
イェンチがラブの袖を軽く引っ張り、発言を撤回するように促すが、それでも揺るがぬ程、ラブの決意は固いものだった。
「ああ。無理強いはしないし義務もない。ただ、帰る前にこれを見て欲しい」
アイーダが大きめの水晶をラブに渡す。通信が繋がっており、そこには見慣れた景色が映し出されていた。
「僕の家があった場所だ」
そこにあるはずの建物は見当たらないが、間違いなく、住み慣れた土地が広がっている。さらに、リュートと同じ制服を着た男が映り、その男は黒猫を抱いていた。なんとも無愛想な顔で、男の腕にぶら下がっている。
「丁度近くに居た部下を調査に向かわせたのだが、外で鳴いているところを保護したそうだ」
「先生……どうしよう、屋根がない」
水晶の中の黒猫を見つめながら、ラブの顔色が悪くなる。何かに怯えているようだった。
「ラブ、脅すつもりはないが協力してくれるなら、庁舎内に彼と住める部屋を用意しよう」
つもりもなにも、完全に脅しだ。部長は本当にラブの事が好きなのだろうか。リュートは複雑な面持ちで傍観するしかない。
「……わかりました。協力します。すぐに連れてきてあげてください」
ラブが、怒りを抑え込むように両手を握りしめ、要求を呑む。リュートは無駄なことを承知で声をあげようとしたが、イェンチの方が少し早かった。
「駄目だよ、アイーダ。猫さん渡したら隙を見て逃げ出すよ、ラブは」
淡々と、愛弟子を追い詰めるイェンチに、リュートは目を丸くする。ラブは、当然だがひどくショックを受けた様子でイェンチを見つめ、数秒後、その目尻に涙がにじんだ。
「なんでっ……せんせぇ……まで……」
ラブの両目から飽和した涙が滑り落ち、リュートとアイーダは困惑する。
「ぼく、ここに居るの……なんか嫌なのにっ……」
本格的に声をあげて泣きだしたラブをイェンチが抱きしめる。
「おーよしよし。場所というよりメンバーかな?ラブ、ちょっと聞いて」
イェンチの胸で小さな子供のように振る舞うラブを見て、「前より不安定になっている」と呟いたアイーダをリュートは確認した。分離の事を言っているのだろうか、真意を測りかねたが、今はラブを落ち着かせることが先決だ。
「アイーダはね、ラブが嫌いなこの世界を少しマシなモノにしてくれる力を持っていると、私は思うんだ」
「僕はもうっ、何も望まない……ひっ……」
「そんな悲しいことを言わないで。難しく考えず、困っている先生を助けてくれるかい?」
ラブはイェンチに頭を撫でられながら、「ずるいよ」と暫く鼻を啜っていたが、徐々に落ち着きを取り戻し、顔をあげてから頷く。
「……うん」
タイミングを見計らって近づいてきたアイーダが、ラブの両手を握る。
「ありがとう。ラブが望む世界に、少しでも近づくよう頑張るよ。すぐに、君と猫くん用の部屋を手配する。猫くんの到着は数日かかるが、今日は休んでおくれ」
リュートは、イェンチとラブの何人たりとも踏み入ることのできない関係に、どうしても嫉妬を覚えてしまう自分を恥じた。
「残りの野郎二人。部屋が空いてないから相部屋だ。広さはあるから許せよ」
頭の中で「相部屋」という単語がハウリングしている。一筋の希望の光みたいに、ラブの顔が浮かび、リュートは我に返る。
「……はっ!部長!ラブの監査がまだ残っています!」
「大丈夫。今日が監査最終日になる様、依頼書を書き換えておいた。あとは宝報告書のつじつま合わせで完了」
先程ラブが紐解いた高等魔術をもう自分のものにしたアイーダの偉業に恐れおののいたのか、イェンチのゴミ捨て場のようなラボが脳裏をかすめたからかは定かではないが、リュートの目から完全に光が消える。
「わー!リュート君よろしくね!」
イェンチはお構いなしにリュートの首にまとわりつき、ぴょんぴょんと跳ねて喜びの舞を舞った。
「安心しろ、リュート。しばらくは一人部屋だ」
ドサリ、と、木箱に入った新たな書類の塊が追加される。今度はイェンチが、目にうっすらと涙を浮かべるのをリュートは目撃した。
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