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第16話

 秒針が時を刻む音。上質な紙の上をペン先がカリカリとひっかく音。そして、自分のため息が聞こえる。日付が変わって2時間ほど経過した庁舎内は、もう人の気配がほとんどない。アイーダ・ショウカワが見つけた、一番仕事がはかどる時間帯だ。  だんだん終わりが見えてはきたが、最後まで集中するために一息入れようかと、ペンを置いたと同時に、部屋の扉を緊張気味にノックする音が聞こえた。 「どうぞ」  遠慮がちに扉を開けて、ラブが部屋に入ってきた。 「おお、どうした?ラブたん、こんな時間に!」  予想外の来客に、アイーダの疲労が少しだが軽減された。ラブの細い首筋には、目を凝らさないと解からないほど薄いが、人間の指のような赤い痕がついていた。 「明かりが点いていたので。先輩こそ、こんな時間までお仕事ですか?」  隠さない所を見ると、本人も気づいていないのだろう。若しくは、触れるなと牽制しているのだろうか。どちらにせよ、アイーダのとるべき行動は決められていた。 「ああ。今日中に仕上げたいのがあってね。といっても、今日はすでに昨日になっているが」  ラブが「ふふ」と、何かを思い出したように笑い、表情が柔らぐ。 「アイーダ先輩は学園時代から、努力を惜しまない人でしたね」 「……感激だ!この歳になると誰も褒めてくれなくてね。茶でも飲むか?」  褒められたのと、笑顔が見られたのとでアイーダの気分も軽くなり、紅茶を淹れようとチェアから浮かせた腰も、いつもよりふわりと上がった。 「いえ、結構です。……安全保持部の票ですが、8割が唯一人に集まっているようです。なんでも、自由に使える金を約束されたとか」  顔をよく見ると目尻には、拭い残した涙の痕があった。ラブはこの、分かってはいたが改めて身の引き締まる、今回の『投票』の風向きの悪さを物語る情報をどのように集めてくれたのだろうか。 「そうか。情報提供ありがとう。よし、残りの2割はこちらの陣営に確実に引き込もう」 「ポジティブ……嫌いじゃないです。おやすみなさい」 「ああ、おやすみ。ゆっくり、休んでくれ」  ラブが去り、アイーダはいつもの道具で紅茶を淹れる。3分間きっちり蒸らしてからカップに注ぐと、芳しい香りが辺りに広がる。香りごと、一口嚥下する。胸のつかえがふと軽くなる。両頬を強めに叩き、自らを激励した。 

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