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第17話
二匹のねずみが、鼻や耳を忙しく動かしながら、庁舎内の廊下を走っている。我先にと、エサを求めて徘徊しているように見えるが実際は、目をターゲットの方にきちんと向け、十分な距離をとって後を尾けていた。
「この子がねー」
使い魔の目を通してエニー・コビンスを見ていたリュートが呟く。不器用ながら仕事に懸命に取り組み、愛想の良い控えめな笑顔が特徴的な彼が、自分に冤罪を着せる手助けをしているとは到底思えなかった。
「人は見かけによらないよ?ラヴィだって凄いんだから。夜」
「寝相が」と続くことを期待したが、一向にその言葉は発せられず、でもどうせ寝相だろうと自己完結していると、イェンチが目を輝かせながら伝えてきた。
「ホシが動き出したよ!巡査長殿!」
偽の記事が世に出るのを阻止するまでは、リュートとアイーダの自由度が低くなる。仮に、リュートを本部に戻らせる為にラブの家に火を放ったとしたら、必ず既成事実を作り、クーデターの濡れ衣を着せてくるだろう。それを警戒し、現段階で唯一の手ががりであるエニー・コビンスを監視し始めて3日が経つ。と言っても、建物内で四六時中尾行するわけにはいかないので、使い魔のネズミを走らせ、リュート自身は部屋にこもり、アイーダから「ついでに」と押し付けられた大量の事務仕事を片付ける、というのがこれまでの経緯だ。イェンチはとういと、例の大量の書類との戦いを終え、今日から加わった。
「それにしても……その体勢どうにかできませんか?」
リュートが指摘したのは、ベッドの上でごろんと横になり、枕を抱きしめながらネズミ視点の映像を見ているイェンチだ。もし、今この瞬間に監視対象者が何かを起こしても、現場に急行できる状態で待機しているリュートと違い、一拍どころか一曲分くらい、後れを取ってのスタートになるだろう。
「だってね、リュート君。私、三徹目突入しているんだよ?」
体勢を正すどころかさらにベッドに沈み込んだイェンチが、口を尖らせて抗議する。
「それはお疲れ様です、なんですが……」
「大丈夫、ダイジョーブ!寝落ちしたりしないからさ!あっ、更衣室に入ったよ!」
備品を乗せたカートを押してエニー・コビンスが入ったのは、リュート達監督係が普段使用する更衣室だった。そこには簡易なシャワールームと、班ごとに個人用のロッカーが割り当てられている。ここは、リュート・リヒスト巡査長を含む、三二人の班員が使用している。エニー・コビンスはシャワールームに入り、使用済みタオルを回収し、新しい物を補充、小さくなった石鹸を真新しいものに取り替えていった。
「事務員さんが補充してくれてたのか」
角がまだはっきりとしている石鹸を愛おしそうに眺めながら、リュートは呟く。
「私たちって、一人じゃなんにもできないねー」
イェンチがリュートの気づきに乗っかって、個の弱さを身に染みて感じていると、エニー・コビンスの動きが、先程までとは違う、警戒心を含むものに変わっていく。魔法陣が描かれた皮革をロッカーの鍵穴に当てると、紋様だけが赤く光る。
「俺のロッカーですね。最近はほぼ使用してませんが」
鍵穴は、カチリという音と共に、いとも簡単に所有者以外の者の干渉を許す。ネズミの目からは丁度死角になっていて、エニー・コビンスが何をしているのかまでは見えなかった。
数分後、使命を果たしたコビンスは、再び皮革を当て、鍵を閉めてから足早にその場を去っていった。
「行ってみよー。ていうかあの魔法陣便利だね!」
イェンチが拳を突き上げ、マーケットに出来た新しい店を見に行くような感覚で提案する。リュートはというと、監視三日目にして訪れた都合の良い機会に、イェンチのように浮かれる事は出来なかった。
「……こんなに簡単に尻尾が掴めるなんて、何かの罠では?」
「心配性だなー。ラブのチート技でコビンスに辿り着いたんだよ?向こうからすれば、こんなに早く特定されるなんて思ってないよ」
背中をばしばし叩かれたリュートは、「それもそうか」と重い腰を上げた。
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