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第20話

「ラブ、入るぞ」  鍵は開いていた。不用心だと思いながら中へ入ると、グレーのキャップを目深にかぶった見知らぬ男が立っていた。 「……誰だ」  リュートは低く唸るのと同時に、近距離打撃系の魔術を展開して構える。 「ちょ、物騒だなー。通りすがりのしがない清掃係ですって」  男は両手をあげ、自分は無害であることを証明する。 「先輩、こっちですー」 「呼んでますよ、先輩」  リュートは流れる動作で男の片腕をねじり上げ背中に回して自由を奪い、そのまま男を連れてラブの声の方へ向かう。 「いたたた……ラブー、お前の先輩こわいんだけどー」 「え?ああ、先輩、その人僕の知人です」  それを聞いたリュートは、男を無言で解放する。「えっ、詫び無し?ま、いいか」と、自由になった腕をくるくる回しながら、後方へ下がる。  男と入れ替わるかのように、リュートの足元に現れたのは、見覚えのある黒猫だった。ゴロゴロと喉を鳴らし、足に頭を擦りつけてくる。「無事でよかった」と、リュートが再会を束の間喜ぶと、黒猫は部屋の奥の方へとてとて歩いていく。リュートの方を振り返りながらだったので、ついて来いと言う意味だろう、従う事にした。少し後ろに男が続く。  黒猫によると、ラブはバスルームの中にいるようだ。リュートは現状を確認するため、ドアノブに手をかけたが、躊躇う。 「えっと……入っても?……いいでしょうか」    急にしおらしくなったリュートを見て、男が吹き出した。 「おいおい先輩さん、何で聞くんすか」 「今更何を……あっ」  ラブが失言し、リュートの頬が赤く染まる。その様子を見て、男は合点がいった。 「ああ、そーいうこと?ならラブ、一層控えた方がいいだろう」 「ちがっ、そんなんじゃないし!仮にそうだとしても、使えるものは使うのが情報収集の基本だろ?」  「使えるもの」とは、この腐った制度の事か、それとも自分自身なのだろうか。男はしばらく思案するも、自分とラブのやり取りについていけずに戸惑うリュートに気付き、そちらへ目を向けた。 「とにかく先輩さん。手を貸してやってください」  男がドアノブを捻り扉を開ける。そこには、こちらに背を向けた状態で地べたに座り込んでいる、びしょ濡れのラブの姿があった。顔だけリュートの方に向け、懇願する。 「夜分遅くにすいません、その……立ち上がれなくて……」  背中から太ももにかけて、白い肌の所々に赤い線が浮き上がっていた。よく見るとそれは全て文字で、低俗で反吐が出るような単語が並んでいる。針のようなもので刻み込まれていて、赤い色の正体は、滲んだラブの血だった。 「……お尻も冷えてきたので助けてもらえませんか?」  ラブが言い終わるのと同時に、体が宙に浮く。 「うわっ」  リュートは、急に高度を上げた視界に少し怯えて自分にしがみつくラブをそのままベッドへ運ぶ。 「せ、先輩さん?拭きましょうよ、風邪ひくから」と言いながら小走りに追いかけてきた男が、ラブの肌から滴をぬぐっていく。  シーツを手繰り寄せてラブをくるみ、ふわりとベッドに寝かせる。ラブは「ありがとうございます」と小さな声で言い、顔を隠すようにシーツを鼻の所まで持ち上げる。 「ところで、何で合わせ屋も居るの?」  バツが悪そうにラブが問う。 「……気持ち悪いくらい上機嫌なおっさんとすれ違ったから、嫌な予感がして……でも、お呼びじゃなかったな」  先程から押し黙って、仏頂面の中に怒りを隠している様子のリュートをチラリと見る。「そりゃ怒るわな」と、会わせ屋は思った。 「ううん、ありがとう。でも、意外だった」 「今回が特別だ。あのおっさん、異常だからな」 「ラブ、理由を説明してくれないか?」  リュートがようやく口を開くが、ラブに向けるべきではない怒りだと解かっていても抑えきれず、どうしても高圧的な口調になってしまっているようだった。もちろん、ラブはそんな葛藤があった事を知る由もなく、そのままを受け取る。 「……先輩には、別に関係ないです」 「いやいやラブ、助けてもらったんだし、関係なくはないでしょ?」  リュートの意図を汲んだ会わせ屋が気の利いた言葉をかけるも、ラブは頑なに自身がこうなった経緯を話そうとはしなかった。  無言の攻防を始めた二人に、堪らず会わせ屋がラブの代弁者となる。 「ラブを気に入っている男が変わり者でして……」 「会わせ屋!余計なこと言ったらもう利用しないからな!」  身体の自由がきかないラブが、叫び声だけで牽制する。 「じゃあオレも、お前んとこの商品もう買わないよ?」 「ぐ……」  会わせ屋に返り討ちにされたラブは、目に涙をためて睨みつける事しか出来なかった。流石に同情した会わせ屋が、折衷案をとる。 「あんな奴の言いなりになってたらさ、総合的に損するって俺は気付いたのよ。だから切るよ、アイツ。先輩さん、この状況は、アンタの推測通りだよ。ラブをよろしく」  ひらひらと手を振り、会わせ屋が部屋から出て行った。何も言わぬ男が二人、取り残された。 相応の時間が流れた後に、少しずつ頭の中の整理が出来てきたリュートが沈黙を破る。 「怪我は、ひどくないのか?」  今度は冷静に、温かな口調で切り出せた為、ラブも安堵しポツリポツリと話し始めた。 「……別に、今日が初めてじゃない。前からこういう事、してた。……サンプルとか情報とか集める手段に過ぎない。そうだ、先輩知ってますか?インテリの真面目そうなお偉いさんって、サディストが多いんだよ。この身体は重宝されるんだ」 「禁忌」「不要」「望まれない者」確かに、ラブの皮膚に刻まれた傷の痛みは、分離によってすぐに消えるだろう。 「博士から聞いた。ラブの事」 「騙してたわけじゃないんですよ!?でもやっぱり、快く思わない人もいるわけですから……昔は極力隠してましたが、今は法も整備されてますし、気楽なものです。あ、先輩、知ってました?インテリの真面目そうなお偉いさんって、禁忌とか、そういうのも好きなんだよ」 「だから、この身分って情報やサンプル収集には結構役立つんです」リュートはこんなに饒舌に話すラブを初めて見た。気を使わせているのだろうか。だとしたら、自分はまだまだラブの信用にたる存在ではないという事だ、とリュートは思った。  「そっか……でもラブ、自分を大事にして欲しい。一方的で悪いが、俺はお前が大切なんだ。だか ら、これからも一緒に居させてくれ。絶対に守る」  リュートの真剣な眼差しに、射抜かれたように固まったラブが、徐々に赤くなっていく。慌ててシーツを頭までかぶったので、リュートにその様子を見られることはなかったが、早口でごまかす。 「や、やだなー、先輩。それは、生まれ変わったらの話でしょう?」  大事な約束を愛おしむように言った後、辛うじて聴き取れる小さな声で「ごめんなさい」と呟いたラブに、リュートは静かにほほ笑む。ベッドの端の方では、黒猫が気持ちよさそうに寝息を立てていた。 「博士に手当てしてもらおう。それで、今日は3人で寝るぞ」 「先生に怒られないかな……」 「いや待て。俺も一応怒ってたんだが?」 「先輩に怒られてもなー……って、ちょっと!」  リュートは、シーツにくるまったラブをひょいと持ち上げる。  ラブを小脇に抱え、「ラブちゃ~ん、怒られに行きましょうね~」と真顔で囁きながら部屋を出る。 「もう少し休んだら自分で歩けますって!ていうか服着せろ!」  ラブの悲痛な叫びがこだました。

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