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第21話

「遅くまで仕事してるんですね」    夜明けまであと数時間といったところだが、庁舎内は人の気配があった。とは言うものの、庁舎としての機能はもう果たしていないため、廊下は薄暗く、辺りは静まり返り、いつもの慌ただしい日常の風景が嘘のようだとラブは思った。 「ああ。警備員が常駐しているから、申請すれば残業できる」 「本来は勤務時間内に終わらせるのが正解だが、管理職はそうもいかないからな」リュートが付け 加えた言葉に、ラブはいつかのアイーダを思い出す。 「そういえば先輩、僕を買った男の事なんですが……」  半歩前を歩いていたリュートが足を止めたため、ラブもそれにならう。前方に、男が一人、立っていた。目を凝らせば相手の顔を認識できる距離ではあったが、照明を最小限にした廊下ではそれが叶わない。けれども、リュートの場数を踏んだ事で培われた勘が、あの男はこちらに敵意を持っていると告げている。 「お前……ければ」  男が言葉を発したが、声が小さいうえに廊下で反響して聞き取れない。こちらへ歩を進め、ちょうど光源の下に入ったため、何者かを特定する事ができた。リュートの警戒レベルが一気に上がる。 「エニー・コビンス……こんな時間まで仕事か。それとも他の用事かな?」  呼びかけに応じないコビンスは歩みを止めず、ゆっくりと距離を詰めてくる。 「お前さえいなければ!」  コビンスが放つ魔力を込めた礫が、ラブの心臓を貫く軌道を何の迷いもなく辿る。  衝撃に備えて固く目を閉じたラブが、次に目を開いた時、足元にはどす黒い液体と、それにまみれた何かの塊が散らばっていた。その中に、リュートの身体が浸かっている。 「なぜ」「僕は悪くない」を壊れた人形のように繰り返すコビンスがその場を離れていくのをラブはぼんやりと眺めた。視線を下ろすと、どうしても、リュートのピクリとも動かない身体があるのだ。 「ラブ!リュート君!」    ジャラジャラと金属が擦れる音。数人分の革靴が速いリズムで床を叩く音。大きな太い声が誰かに制止を呼びかける音。その中にイェンチの声を見つけた瞬間、全身の力が抜けて、ラブは意識を手放した。 ***  嗅ぎ慣れた、けれどもどこか懐かしい匂いがした。  一定に刻まれるリズミカルな振動が、ラブの身体を心地よく揺らす。  昔の自分は今よりずっと体力がなく、どこかへ出かけると必ずエネルギー切れになり、こうやって背負ってもらった事をラブは思い出した。 「ラヴィ、おはよう。大丈夫かい?」 「先生……ごめん、歩けるから」  ラブはイェンチの肩をポンポン叩き、下ろして欲しいと合図を送る。 「いーの!私がこうしてたいから。ラブをおんぶするなんて何年振りかな~……あんまり重くなってないね。もっと食べなきゃ」  イェンチも、自分と同じことを思い出してくれたのだろう、共通の時間を歩んできた事実が、今はとても心強かった。回した腕に力を込めて、身体をさらに密着させる。「先生は、昔から大きかったね」くすくす笑い、甘えることにした。 「……ねぇ、先生。リヒスト先輩は何で僕を庇ったのかな」  ラブは、抱いた疑問を口にする。声が出にくい。自分が緊張している事が分かった。 「そうだねー。ラブの分離を使えばよかったのにね」  エニー・コビンスの殺意は、真っ直ぐラブに向いていた。交わすことは無理でも、急所を外すくらいの事はするつもりだったし、あれほど狙いを定められていたのだから、十分それは可能だった。あの状況で、コビンスが単独じゃない場合も想定し、無傷のリュートと分離によってすぐ動けるようになるラブ、2人で対応するのが一番良い選択だ。 「ラブより戦闘力のある自分が撃たれちゃダメだって、リュート君が一番分かってたはずだよね」  総務局所属の監督係。数ある国家組織の中で唯一、任務により命を落とす者が出る機関。瞬時に状況を把握し、最善策を叩き出す力、それを実行する行動力がないと務まらない。その、巡査長にまで登りつめたリュートに限って、何の理由もなく悪手を打つなど、あるはずがない。 「そしてラブ。リュート君がこんな愚かな行動をとった理由は、君が一番分かってるよね?」  リュートは「絶対に守る」と言ってくれた。赤い液体をべったりと付着させ、床に横たわるリュートの姿だけが切り取られてラブの脳内に貼られていく。 「……っ……リュート、先輩」  ラブの目から大粒の涙がこぼれ落ち、イェンチの肩を濡らす。 「あーよしよし。大丈夫、ダイジョーブ。実はリュート君は無事だよ。私の……最後の一個と引き換えにね」 「イェンチ・ケドー。お前を拘束する」  リュートが着ていた制服と同じようなデザインのものを身にまとった男が3人、行く手を阻む。男の内の一人は、銀色に鈍く光る手錠を持っていた。  イェンチはラブを背中から下ろし、抱きしめる。 「先生?」 「閉じ込めてごめん。解放するね」  イェンチは身を屈め、ラブの額にキスをする。右目の奥の方で、細い一本の糸が解ける感覚がして、何か冷たいものがじわじわ広がるような感じがした。同時に、ひどい頭痛に襲われた。 「ラブ、さよならだ」

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