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第22話
「ラブ!!」
辺りは清潔な白が広がっていた。さらに、鼻腔を刺激する消毒液の匂いのおかげで、ここが医務室だと解かるのに時間はかからなかった。
「開口一番がそれか。お前、相当気持ち悪いぞ?ラブなら無事だよ」
声の方を見ると、アイーダが椅子に腰かけていた。都合がいいもので、「ラブが無事」という言葉以外はリュートの耳には入ってこなかったようだ。ふーっと、息を吐き、急に叫んだためベッドの上で硬直していた筋肉を落ち着かせる。
「俺、結構出血してたような気がするんですが……」
エニー・コビンスからラブを庇い、礫が腹に直撃したところまでは覚えている。庇った事に後悔はないが、想像以上の衝撃に、その後の事をイェンチに任せきりにしてしまったのは、無責任だったと反省している。いくら気配でイェンチが近くにいると確信していたとはいえ、もしエニー・コビンスが単独ではなかった場合、一人でも多く戦力が必要となる。そう考えると、自分が取った選択は、下の下だ。くどい様だが、後悔は全く無い。
「正直、俺死んだかと思ってました」
リュートは腹を押さえながら呟く。同時に違和感に気付いた。傷がないのだ。
「私も、現場に到着した時には『あ、リュートが死んだ』と思ったよ。グロいのが散らばっていたからね。結論から言うと、お前はトマトに助けられた」
「は?」
おおよそ、上司に向かって発する言葉としては不適切だが、それ以外適切な言葉が見つからなかったのだから、仕方がない。幸運なことに、アイーダはさほど気にしなかった。
「イェンチ・ケドーという型破りな男がいてね、お前を貫通するはずだった礫に細工をしたらしい。何でも、懐に忍ばせておいたトマトに魔術で細工をして、礫をコーティングしたそうだ」
「つまり、血ではなくトマトの果汁だったと?」
アイーダが笑顔で、たっぷりと頷く。
「同時に幻覚魔法をかけられたんだな『最後の一個だったんで、迷いが生じて勢いを殺しきれなかった、ごめんね!』以上、イェンチからの伝言だ」
シャツをめくって腹を見ると、青紫色の痣がうっすらと浮かび上がっていた。リュートは、得をしたような損をしたような、何とも妙な気分になった。
「良い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」
一見、平穏に見えるアイーダの表情から、悪い知らせがかなり悪い事を読み取った。
「……セオリーを踏んで、良い知らせからお願いします」
「例の記者が、お前のあの記事を破棄すると言ってきた。他に、確実でより大きな獲物を手に入れたらしい。おめでとう、晴れて自由の身だ」
「ありがとうございます」と、ひきつった笑顔で答えながら、リュートは別の事を考えた。エニー・コビンスは確かに、記事を裏付けるための証拠を捏造するために動いていた。それが、なぜラブを狙ったのだろうか。こちらも調べる必要があるが、コビンスはもう捕えられてしまったかもしれない。イェンチが間に合ったのはきっと、不穏な動きをするコビンスを使い魔経由で確認したからだ。その時の様子について詳しく聞き、一刻も早く状況を整理しなくてはならない。
「イェンチ博士はラブと一緒ですか?」
アイーダの表情が曇る。
「……悪い知らせの方だ。第1種国家医魔術師イェンチ・ケドーが、拘束される事になった。終身刑だそうだ」
リュートはベッドから跳ね起きる。腹筋に力を込めると少し痣が痛んだが、そんな些細な刺激に気をとられている場合ではなかった。
「なっ……どういう事ですか!?」
「表向きは、クーデター首謀者として」
「ありえない。何かの間違いですよ!」
出会ってまだ少ししか経ってないが、それでもイェンチ・ケドーという男の人となりはわかっているつもりだ。クーデターを企てるなど、そんな野蛮で非合理的な事はしない。何より、ラブが信頼を置く人物だ。同意を求めてアイーダの方を見るも、首を縦に振ることはなかった。
「表向きは、だ。それ以上は言えない。察しろ」
アイーダが、総務局人体部部長の顔になる。どうやら、イェンチ・ケドー拘束の真の理由は、上層部までで留めておかなくてはならないレベルの機密事項であるようだ。
「……助けられないんでしょうか」
「道はある。が、そのためには何が何でも勝たなきゃならない」
投票を勝ち抜いて、最高長補佐としての権力を手に入れる。それが、イェンチ奪還の近道らしい。だとしたら、イェンチが拘束されたのは、国の何かに関わるような理由からなのかもしれない。そうであっても、アイーダが口を割ることはないと判断したリュートは、それ以上追究するのを諦めた。
「補充数は開示されたんですか?」
「いや、まだだ。まぁ、これまでのデータから考えると、最低でも9位以内だな」
現在7位。投票の度に非公式で発表される、各新聞社がタッグを組んで集めたアンケートと分析による順位だが、毎回、公式のものと差異がほとんどないので信用できる。
楽観的に構える事は出来ないが、悲観的になる必要もないだろう、といった順位だ。アイーダの強みであり、同時に障害にもなる『フレッシュさ』が、思ったより他の古株候補者の固定票を動かす事が出来なかった。あとは浮遊票がどのように動くかだが、それによって下位の者が上位に食い込む心配はないだろう。得票数に差がありすぎるからだ。おそらく、浮遊票は上位層に何らかの抑止力で均等に分配されるはずだ。これからできる事と言えば、他の候補者から上げ足をとられないようにすることと、浮遊票対策といったところか。幸運なことに、一番の不安要素であったリュートの記事は、取り除かれた。
「ちょっと俺、ラブの様子見てきます」
コビンスに襲撃される前、ラブが言っていたことがふと気になった。何か、投票攻略の手がかりにならないだろうか。と言うのは建前で、ただ、今すぐラブに会いたかった。イェンチが拘束される事をラブはもう知っているだろうか。きっと辛い思いをするに違いない。弱みに付け込むようで卑怯だと思うが、傍に居て守ってやりたいと願う。「ああ。自室に戻っているはずだ、イェンチの事を知らせてやってくれ」というアイーダの言葉に、急に胃が痛くなるが、シャツのボタンを留め直す。呼吸を楽にするためか、ズボンを脱がされていた。一応女性の前なので、えへへと照れ笑いを浮かべながら足を通す。「脱がせたのは私だかな」と言われ、リュートは居心地が悪くなった。
リュートがラブのもとへ行く支度を進めるその横で、アイーダはいつのまにか部屋に入ってきた使い魔のネズミから知らせを受け取り、驚愕する。
「……悪い知らせが増えた。今回、最高長補佐の地位につけるのは、3人だ」
「たったの3人!?何のためにっ、うわっ!」
ズボンの同じ場所に足を通してしまい、前につんのめる。
「なりふり構わず、早急に決定したい事があるんだよ」
アイーダは親指の爪を噛みながら眉間に皺を寄せる。
会議局で決めかねた案件の最終決定は、最高長と最高長補佐全員による多数決が採用されている。 最高長14人と補佐98人 。最小限の数で奇数にする必要があったのだ。今、この国は、意見が真っ二つに分かれる事案を抱えているらしい。
「ははっ、厳しいな……流石に折れそうだ」
「アイーダ先輩……」
いつも余裕があり、自信に満ち溢れ、かといって決して独りよがりにならずに周りをよく見ている。どこか浮世離れしたカリスマ性があり、近くに居るとこちらまで突き進む力を貰えた。そんなアイーダの弱気な姿をリュートは初めて見た。
「そんな顔をするな、気持ち悪い!何とかするしかないだろう。とりあえずお前は、ラブの所へ行ってやれ」
「イェンチを必ず助ける」という事が、今の彼女の原動力でもあり、足枷にもなっている。かといって慰めや励ましは必要ないと、長年側にいるリュートには分かっていた。自分に出来る事は、アイーダを一人で戦わせたりはしないという意思を伝える事だ。
「そうですね、何とかしましょう!すぐ戻ってきます」
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