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第24話

 投票日まであと1週間。希望の光を絶やさぬためにも、今は1秒でも多く時間が欲しい。けれど、不安定な状態のラブを置いていく事は、リュートには難しかった。常に側に居て、守りたい。しかし、自分がいたところで、余計にラブを苦しめるかもしれない。そんなことを考えて踏み切れずにいると、猫が背中を押す。 「イェンチから対応を聞いてる。こうなるとしばらくは目覚めないらしい。脳がフルピッチで辻褄を合わせていくんだと」  イェンチがかけた魔術がどんな原理で成り立っているかは理解できないが、5年もの間制御されていた部分が急に働き出すのだ、すぐに適応できないのは頷ける。目覚めなければ、また自ら命を絶とうとする事は出来ないだろう。ラブを本当に想うのなら、イェンチを解放することを最優先にするべきだ。ようやくリュートは決意できた。 「何かあったらすぐに知らせる。イェンチを取り返すんだろ?ラブにもそう伝えておくにゃー」 「ああ。絶対助けると伝えてくれ」  それでも、後ろ髪を引かれる思いでラボを後にした。 「あいつ『絶対』好だな。でも、あいつが言うと胡散臭くない。ラブにはもってこいの奴だ」  猫は、リュートの事を見繕っている自分に、まるで保護者みたいだと苦笑した。 *** アイーダの元には、招かれざる客が来ていた。『ウィロー・クロー』。総務局教育部の部長で、今回の投票で一番票を集めている男だ。 「クロー部長。候補者同士のサシでの会合は、不文律でタブーのはずですが?」  投票日まで残り1週間。庁舎内が緊迫した空気に飲み込まれている最中、アポなしで自分の部屋に朝の散歩を楽しむかのように現われた男へ、アイーダは敵意むき出しの目を向ける。 「こんな非常事態だ、少しは目を瞑ってくれるさ、ショウカワ君。提案があるのだが、聞いてくれるかい?」  クローはアイーダの威嚇を子猫のそれと言わんばかりに一蹴し、さっそく本題に入るつもりらしい。 「聞くまでお引き取り願えないのでしょう?」 「話が早くて助かるよ。君が贔屓にしている国家医魔術師についてなんだがね」 「イェンチ・ケドー博士でしょうか。贔屓どころか迷惑被っていますよ」  本人の前で言ったらさぞかし面白い反応をするだろうな、と、アイーダはイェンチの姿を想像して、少し余裕が生まれた。 「違うよ。彼は拘束されたんだろう?私が言っているのはラブ・ウェルシアの方さ」  ウィロー・クローは、どこからどのようにラブに辿りついたのだろうか。  寸分の狂いも許さないほどきっちりと固めた髪と、気品の溢れる立ち姿のこの男は、人望も厚く、頭も切れる。実績から見ても、最多得票数を集めるに相応しい人物だ。その男が、なぜ今この時期に、ラブを欲しがるのか。 「……ラブが何か?」 「彼は実に優秀な医魔術師だ。是非、私の手元に置きたくてね。もちろん、彼のやりたい研究には金を惜しまない。君から口を利いてもらえないだろうか?」  パトロンの申し出なら、本人に直接言えば食いつきそうだが、この男はなぜそれをしないのか。アイーダの中で、全貌はまだ見えないが確かに何かが結びついた。 「確かに彼はとても優秀です。そんな彼が今は私に協力する姿勢を見せています。この状況で、貴方の要求をのむとでも?」    クローの口元が緩む。アイーダは気づいていない。巣にかかった獲物が弱っていくのを待つ、蜘蛛のような不気味さが滲んだ。 「もちろん、それなりの対価を支払うよ」  アイーダの耳元で、クローが囁く。 「私の票を半分あげよう」    その囁きは、甘い蜜のように思えた。どうしても勝たなければならない。イェンチを解放するために。 「アイーダ先輩!俺達に、勝利の天使が微笑みました!」  勢いよくドアを開けたのは、息を切らし、額に汗をにじませたリュートだった。淀んだ空気が一瞬で晴れる。ところが、当の本人は自分を部外者と位置づけ、早々に退場した。 「お取込み中、大変失礼しました!」  アイーダは、少しでも迷った自分を恥じる。いばらがあっても己で進むと選んだ道で、まだ十分もがいていないのに、他人が用意した平坦な道へ流れようとした。犠牲が出るとしたら、自分1人でなくてはならない。 「私は貴方と違い人望がないもので。優秀な人材は、一人でも多く必要なのです。お断りさせていただきます」  アイーダは確かな否定を込めて意思を伝えたはずが、クローは紳士的な笑みを湛えるだけだった。 「今回は残念だ。でも必ず君は、首を縦に振る。健闘を祈っているよ」  アイーダの部屋から少し離れた所で、そわそわしながら忠犬のように待つリュートに、クローは少し興味を示した。  クローを見つけ「先程は大変失礼いたしました!」と、形式ばった挨拶をするリュートは、警戒心を悟られぬよう、隙をわざと見せていた。かなりの手練れだ、と、武術の経験が多少あるクローは理解した。 「ご苦労様。私もショウカワ君のように、優秀な人材が自然と集まらないものかな」 苦笑しながらリュートを労う。 「はっ、それもショウカワ部長の才能であります!」  クローは少し驚いた顔を見せ「若い者は勢いがあっていいね」と、リュートの肩を軽くたたいてその場を後にした。 「公約を増やしましょう。実現させる方法も提案して」    興奮気味にリュートが話す。  それほどまでに、ラブが集めた情報は、戦況を大きく変えることのできる代物だった。 「本当に、道が開けてきたな。直接礼が言いたい。ラブの様子はどうだった?」  今、アイーダに余計な心労を与えるべきではない。投票に集中し、イェンチを救出できる確約をとって貰わねば、せっかくラブが集めた情報も無駄になってしまう。それに、やはり自分が認めたアイーダに、この国の舵取りをしてほしい。リュートはそう思った。 「やはり、博士の件に相当なショックを受けてしまって。でも、信頼できる奴に任せてきたんで、大丈夫です」  アイーダはリュートの表情から、彼が何か隠している事を読み取る。やはり、どうしても勝たなければならないらしい。何かがのしかかり、肩がずしりと重くなった気がした。  それにしてもこの男はつくづく嘘の吐けない奴だな、とアイーダは呆れるが、気遣いを素直に受け取ることにした。 「そうか。あと7日しかない。いや、あと7日もある。ラブに良い報告が出来る様、力を尽くそう」 「はい!」  満面の笑みを向けてくるリュートに、アイーダはさらに気を引き締めた。

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