27 / 35
第27話
「ちょっと仕事してくる。イェンチに頼まれたやつ。2、3日したら帰る」
夕飯が終わるとすぐに、猫はそう言って出かけてしまった。
後片付けを終えたラブは、話し相手がいないうえ特にやることもなかったので、早々にベッドへ上がった。
この5日、ほぼ寝たきりだったため、体力がかなり落ちているのが自分でもわかる。目を閉じれば、すぐにでも深い眠りに就けそうだ。
そう思って目を閉じるも、なぜかすぐに開いてしまう。明かりを灯しているためだろうか、などと色々考えていると、ラブはあることを知覚した。
「夜、一人で寝るの初めてだ」
生まれた時は、と言っていいものか分からないが、とにかくラブが自分の存在を認識して間もない時は、イェンチがいつも一緒に眠ってくれた。猫が来てからは、ベッドの近くに必ず居た。あとは、あまり嬉しくはなかったが、情報やサンプルを集める対象の男が横に居たり、どうしても誰もいないときは「邪魔が入らない」という理由を付けて研究に没頭し、夜を明かした。眠ると、かなりの確率で悪夢を見る。決まって内容は覚えていないが、ひどく怯えて目が覚める。そんな時、隣に誰かが居ると、また眠る事が出来た。
そんなことを思い返すと、今から一人で眠ることにとてつもない恐怖を感じる。ラブは、一人で眠るのが初めてなのではなく、一人で眠る事が出来ない、という結論に至った。
「ラブ、もう寝たか?」
扉の前で、遠慮がちなリュートの声がした。
「いえ、起きてます」
ベッドから跳ね起きて、急いでドアの方へ向かう自分に、少し困惑する。リュートが訪ねて来た事がそんなに嬉しいのだろうか。色々考えるより先に、手が鍵を開けていた。
「やあ。傷の手当てをしようと思って」
リュートが、持っていた小さな紙袋を見せる。何のことか分からなかったが、とりあえず「入ってください」と招き入れた。
「いやー、今日も疲れたなー」
椅子にどかりと腰かけて、盛大なため息を吐く。ラブはその光景に既視感と懐かしさを感じた。自動的に、お茶を淹れに行く。
ラブからお茶を受け取ったリュートが、急によそよそしくなる。
「あー、そのー……今日、ありがとな。部長、相当追い詰められてたっぽいから」
「僕は何もしていません。先輩の……必死な『想い』が伝わったんじゃないですか?」
ラブの口から出た意外な言葉に、リュートは驚きじっと見つめる。「なっ、なんですか?」ラブは気味悪がって、リュートを訝しむ。
「いや、なんかラブちゃんマイルドになったね。気の所為かもしれないけど」
「『ちゃん』はやめてください。っていうか手当って、何です?僕、痛い所なんてありませんよ」
リュートは「そうそう」と思い出し、紙袋から塗り薬とガーゼを取り出す。
「シャツ脱いで背中見せて」
「なんでだっ!?」
ラブは思わず、自分の身体をリュートから隠すように抱きしめた。
「いやいや、俺、今までずっと手当してたからね?その反応いらないから」
リュートはラブの背中を押し、ベッドまで追いやる。ベッドの上をポンポン叩き「はい、ここ座って」と、ラブを誘導した。恥ずかしがっている自分が恥ずかしくなった
ラブは、おとなしくシャツを脱いでリュートに背中を向けて座る。
「ここだけ傷が深いんだ」
リュートは、ラブの背中にある、昨日自分が貼ったガーゼをそっと剥がす。肩甲骨を覆うように、ラブの存在を否定する言葉が刻まれている。初めて見るわけではないのに、腹の底から沸沸と怒りがこみ上げてくる。
「ひあっ!」
急に、冷たい軟膏を背中になすられたラブは、思わず短い悲鳴をあげた。リュートはそれを聞いて初めて、怒りを抑えるのに気をとられて、手当を開始する声掛けを忘れていたことに気付く。
「ああ、すまん。ちょっとひやっとしますよ~」
「言うのが遅いぃ!」
丁寧に軟膏を塗った所を新しいガーゼできっちり覆う。
「はい、完了。これが、ここの医療設備に出来る精一杯だ。博士なら、もっと早く簡単に治せるかもしれんが」
言ってから、イェンチの話題はよくなかったかと反省する。ところがラブは、気にする様子を見せなかったので、安堵した。
「先生なら出来るかもしれないけど、多分しないよ」
「何でだ?」
「『簡単に治っちゃったら、大事にしないから』って言うと思う」
「なるほど」とリュートは感心する。感心しながら、ラブの背中を見る。ガーゼで隠した傷程ではないが、それ以外にもまだ治りきっていないものがたくさんあった。「使えるものは使う」この傷をつけられた日に、ラブはそう言っていた。
「うひゃぁあ!」
ラブは、突然背中を撫でられてぞわぞわする感覚を、背筋を伸ばしてやり過ごす。
「なんなんだ、さっきから!」
撫でた犯人に文句を言おうと、後ろを振り向こうとした瞬間、ふわりと抱きしめられる。振り解こうとしたが、ラブには出来なかった。回されたその腕が、小刻みに震えていたからだ。
「……もう、バカなこと考えるな」
絞り出すように呟くリュートの感情を、今のラブには理解できた。大切な人を失う恐怖、不安。リュートがそれを自分に向けてくれていると思うと、何だか照れくさくて、それ以上に嬉しかった。正しいか分からなかったが、なんとか安心させたいと思い、リュートの手に自分の手を重ねる。
「先輩、今夜、一緒に寝ませんか?」
震えていた腕はびくっと跳ね、それから固まる。ラブはそこでようやく、自分が言った単語には二つの意味があることに気付き、慌てだす。
「ち、違う!そっちじゃなくて、その、あの、一人で眠れなくてですね、僕は!」
「お前は何でそーいう紛らわしい事をぉぉ~」
リュートは、ラブを抱きしめる腕に徐々に力を入れていく。
「いたたっ、い、いつもは寝るときには先生か猫が居てくれるんです!」
ラブは、アバラを折られる前に何とか誤解を解こうと、必死に説明を付け足した。「まぁ、いいか」と、リュートは力を抜く。
「博士みたいにでかくなくて、猫みたいにふわふわしていないが、それでもいいなら使ってくれ」
リュートは大の字になってラブのベッドを占領し、どっと疲労が押し寄せて来た事もあり、我先にと眠りに就いた。隣で健やかな寝息を立てるリュートに、ラブは少し困惑したが、右手の小指を拝借し、握る。
ラブはすぐに眠りに落ちた。
ともだちにシェアしよう!

