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第30話

 リュートは、しばしばする目を擦りながら、小さな文字を必死に追っていた。アイーダも同じ作業に没頭している。 「アイーダ先輩、目が石のように重いっす」 「そのためのブルーベリーだ」  ラブに、イェンチ救出のための新たな道を与えられ、リュートとアイーダは活気を取り戻していた。そう考えると、2度も助けられたことになる。リュートは文字を読み過ぎてぼんやりする頭で、ラブの事を考えた。  ラブを初めて見た時、その瞳にくぎづけになった。好奇心に満ち溢れ、けれどもその奥に深い影を秘めているような、そんな瞳だ。  初めて会話をしたのは、ラブが上級生の講義に紛れ込んでいた時だった。身体が小さくて、明らかに浮いていた。周りがヒソヒソとラブを見ながら騒いでいる中、凛として誰よりも真剣に講義を聞いていた。  リュートがそっと近づき「君は学年が違うだろ?」と問い詰めると、「何年生きたかで判断するのは無意味な事です。おおよそ十数年しか生きていない私たちには特に」と、諭された。  その日のうちに、アイーダに「おもしろい奴を見つけました」と自慢しに行った。  それから、ラブを気に入ったアイーダと一緒に、暇を見つけてはちょっかいを出しに行き、説得力のある突拍子も無い発言に驚かされ、その、確かな知識と技術に素直に感心させられた。ラブの方も、その歯に衣着せぬ物言いから、同級生の中で除け者にされていたこともあり、アイーダとリュートと共に行動することが学園生活の中心になっていた。  ラブに笑顔が増えたと、誰かからそう聞いたときは、何だかとても嬉しかったのを覚えている。 「リュート、顔がにやけてるぞ、気持ち悪い」  物思いにふけるリュートを横目で発見したアイーダが指摘する。 「アイーダ先輩。俺、ラブが好きです」  つい口走ってしまう。隠すつもりはないが、今このタイミングでいう事でもなかったと、そわそわしていると、何食わぬ顔でアイーダが答える。 「何を今更。学園時代からだろそれは」 「……そうでした」 「だから、にやにやするな、気持ち悪い」  リュートが、褒められた時のように「えへへ」と笑った。  忙しくも和やかな空気が、一瞬で凍りつく。ノックもそこそこに入ってきたのは、ウィロー・クローだった。 「やあ。ショウカワ君。今回は残念だったね」 「……クロー部長。この度はおめでとうございます」  アイーダと棘の生えたやり取りをしているクローの背に、リュートは誰かが隠れているのを確認した。リュートの勘はよく当たる。とても嫌な予感がした。 「……ラブ、なぜそこに居るんだ?」  クローの背後から出てきたのは、間違いなくラブだった。 「リヒスト先輩。僕、ウィローさんと契約しました」  淡々と答えるラブを見て、リュートとアイーダの顔から血の気が引いた。対照的に、クローの表情はぱっと明るく、わざとらしい程の笑みを浮かべていた。手を叩きながら流暢に説明する。 「そうなんだ。ウェルシア君が私の仕事を手伝うと言ってくれてね。昇進したことだし、丁度秘書を探していたんだ」  アイーダは言葉を失った。リュートは上機嫌なクローを無視し、ラブを真っ直ぐ見つめる。「冗談だろ?」目でそう問いかける。 「ラブ、なんでだ?その男は……」 「僕がこの人の仕事を手伝えは、先生を解放するって、約束してくれたんです」  リュートとアイーダは同時に息をのんだ。 「ああ。ケドー博士は国の都合で不当な扱いを受けているんだ。来月、最高長と補佐が集まる会議があってね。そこで掛け合ってみると約束したんだよ」  ラブとクローが目を合わせ、頷き合う。リュートの体中を冷たい汗が流れた。 「ラブ、時間はかかるが待っていてほしい。俺達だって必ず博士を助ける」  そう言って、アイーダに同意を求める。アイーダはしっかり頷き「約束する」と力強く言った。 「そうは言いますが、先輩達では頼りないんですよ。さっきだって、僕が助言するまで諦めていたじゃないですか」  敵意を向けるラブをクローは満足そうに眺めた。 「ウェルシア君、申し訳ないが仕事が山積みだ。私の部屋へ戻ろう」  クローがラブの腰を抱いて立ち去ろうとする。 「あれ?ウィローさん、僕が持っている情報によると、貴方には僕以外の秘書がすでについていますよね。その方が居るのに、仕事が山積みなんですか?」  クローが顔を少し歪めて都合が悪そうに答える。早く自室に戻りたくて仕方がない様だ。 「ああ。長い間面倒を見てやったが、どうしようもない愚図でね。自分勝手な行動でヘマをして、その尻拭いを私にさせようとしたものだから、先日解雇したよ。だから、君が必要なんだ」 「さあ、もう行こう」と、ラブを強引に引っ張る。ラブは、「だってさ」と、観念したように歩き出した。 「ラブ、待てって!」  リュートが溜まらずラブの腕を掴む。 「痛いです。離してください」  ラブは冷たく言い放つ。 「なぁ、ラブ。お前、その男に何されたか忘れたのか?」  リュートがラブの背中をチラリと見る。ガーゼはまだ取れていないはずだ。 「先輩。前にも言ったかもしれませんが、使えるものは使うのが基本でしょ?あとやはり、僕が何されようが先輩には関係ないと思うんですが」 「あるに決まってんだろ!」  リュートが悲鳴に似た叫びをあげ、辺りが静まり返った。驚いた表情のラブに、「怒鳴ってごめん」と慌てて謝る。 「僕と先生の邪魔をするんですね……」 「そうじゃない、ラブ、俺達で助けよう、な?」  リュートの呼びかけを無視し、ラブはポケットから複雑な魔法陣が描かれた羊皮紙を取り出す。 「ラブ、それは禁術のはずだ」  アイーダが声を震わせる。血がべっとりと付着したそれに、リュートは見覚えがあった。 「僕は先輩と居ると、おかしいんだ。やっぱり記憶がまだ混乱してるのかな?今だって、僕が正しいと思って選択した事なのに、揺らぐんだ。今までそんな事無かった!先輩が来てからだ!もう頭がどうにかなりそうだよ!」  ラブは一息にそう言うと、肩を揺らして荒い呼吸を繰り返す。その勢いに、誰も言葉を発せられない。 「先輩言いましたよね?絶対に守るって。なら、死んでください」 「ラブ、やめろ!」  アイーダが駈け出して、ラブから羊皮紙を奪おうとするのをリュートが静かに止めた。 「ああ。絶対に守るよ。生まれ変わっても、絶対にだ」 「何を言っている、リュート!離せ!」 「ありがとう、先輩」  赤黒い閃光が走る。その一部が稲妻のようにリュートを撃ち、リュートの身体が崩れ落ちた。  

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