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第31話
「ラブ!」
リュートは飛び起きた。辺りには清潔な白が広がり、消毒液の臭いが鼻を突く。「前にもこんな事があったな」と思った。
「……前にもこんな事があったな」
一瞬、無意識のうちに心の声が漏れ出たのかと焦る。それは違うと思い直し、声の方を見ると、やはりアイーダが椅子に腰かけていた。
「えっと、ご心配をおかけしました」
リュートがこくんと頭を下げる。落ち着き払ったリュートの様子に、アイーダは度肝を抜かれた。
「……お前、全部わかってたのか?」
「いえ……ただ、信じたいなって」
飄々と答えるリュートに、アイーダが腹を抱えて笑う。あまりに長く笑ったので、目尻に涙が滲んだ。
結論から言うと、あの魔法陣は失敗作だった。いや、失敗というより改造作と言うべきか。とにかく、禁術の術式と酷似した、催眠効果の高い魔法陣だった。後に分かる事だが、案の定、イェンチの仕業らしい。
ウィロー・クローからの信頼を得るため、ラブが一芝居打ったのだが、まさか術式を最後まで展開できるとは思っていなかった。
「ラブ、こいつ本物の馬鹿だぞ!笑ってやれ!」
アイーダに呼ばれ、ラブがベッドに近づく。その姿を見て、リュートは胸をなでおろした。
「違いますよ、リュート先輩は気付いてましたよね?だって普通ビビるでしょ。あの完成度」
ラブが紅茶の入ったカップをリュートに手渡す。カップを持った手に広がる温かさが、リュートに生きている実感を与える。
「いや、俺は本物だと思ってた。でもラブは発動させないって信じてて。そしたら衝撃が来て……もー!あれ?ラブさん?ってなったぞ!」
ラブが目を丸くし、アイーダは笑い転げる。
「じゃあ、あのくさい台詞は、演技じゃない……っ!」
ラブの顔が、見る見るうちに赤くなっていく。面白がったアイーダが、リュートをまねて再現した。
「絶対に守るよ。生まれ変わっても」
リュートは、口に含んでいた紅茶を噴き出した。
「そ、そんな事より、そのウィロー・クローの件はどうなったんだ?ラブ、まさか本当に契約なんてしてないよな?」
「するわけないですよ。あいつ気持ち悪いもん。諸事情により、近づかなきゃならなかったんだよ」
頬を膨らませてそっぽを向くラブが、小動物みたいで可愛いと思った。
「そのことだがな、もう少しで詳細が分かるんじゃないかな」
アイーダが言うのと同時に、鳩が新聞を運んできた。見出しに大きく、ウィロー・クローの写真が貼られている。
「以前から情報屋が目をつけていてな。エニー・コビンスがとどめを刺した」
『ウィロー・クローの人間性を問う』という見出しで、記事が書き連ねられていた。リュートは新聞を広げ、目を通す。
『同氏は、両親を持たないエニー・コビンス氏(総務局所属事務員)を養子に迎える話を持ちかけ、その代償として性的暴行を行った。その卑劣な行為は10年にも及び、保護されたコビンス氏を診た医師は、洗脳にも近い状況であったと報告。それだけでは飽き足らず、何人もの男性を次々と辱めた。中には、針のようなもので侮辱的な言葉を背中から腿にかけて彫られた被害者もいた』
モノトーンで印刷されているが、この尻をリュートは見たことがある。写真をじっと見ていると、ラブが新聞を破る勢いで突っ込んできた。
「あああああ!!僕のお尻が加工無しで!会わせ屋~!」
「会わせ屋」と呼ばれたあの男は、情報屋も兼ねていたのか。「どうも」と、目深にかぶったグレーのキャップの下で、満面の笑みを浮かべている姿が浮かんだ。
「さて、リュート君。おおまかな流れは掴めたかね?」
こほん、と意味有り気に咳をして、アイーダが問う。
「ええ、まあ」
「それでは、発表しよう。一か月後、再投票が行われるぞ!」
現最高長は、得票数1位で選ばれたウィロー・クローを最高長補佐として不適任と判断し、懲戒免職とした。そのため、2位以下が繰り上がりとなった。けれど、アイーダを含む4位以下は、票数が僅差だったため、再投票の運びとなった。
「そのまま繰り上げてくれたらよかったですね」
リュートが残念そうに呟く。また、同じように票を集められる保証はない。ところがアイーダは、余裕で構えていた。
「何を言っている!一度は駄目だったものがリトライできるんだぞ?幸運と呼ばずして何と呼ぶ?」
前向きなアイーダに、リュートは「そう、このバカポジティブさがアイーダ先輩の真骨頂だ」と思ったが、怒られそうなので思うだけに留めた。
「そうそう、次は先輩ズだけで頑張ってくださいよ」
ラブがそう言って手をひらひらさせ、ドアへ向かう。不安になったリュートが、声をかけて引き止める。
「ラブ、どこへ行くんだ?」
思っていたより情けない声が出て、居心地が悪くなり、リュートは頭を掻いた。その様子を見たラブはくすりと笑う。
「エニーの所です。まだ事情聴取とか残ってて大変そうだから」
「エニー」とは、エニー・コビンスの事で間違いないだろう。ラブは親しげに名前を呼んでいるが、顔見知りだったのだろうか。リュートの疑問をアイーダが解決してくれる。
「あの場に連れてきていたんだ。コビンスを。それで、クローの声を直接聞かせて、内部告発を決意させたらしい」
アイーダがラブの方を見る。ラブが引き継いで説明する。
「僕は運よく、非の打ちどころがない最高な先生と巡り合えたけど、もしかしたら立場が逆だったかもしれない。エニーは僕と似てるんだ。だからこれが一番効くと思った」
自分が見つけ、尊敬し、信頼を置いていた相手に裏切られた時、人はどれだけの悲しみを背負うだろうか。もう他人を信じることを素直にできなくなり、自分自身でさえ信じられなくなるかも知れない。
「ラブ、エニーに伝えてくれ。いつも備品を揃えてくれてありがとうって」
「わかった、伝えます。あと、先輩に謝りたいって言ってたから、そのうち連れてくる」
そう言ってラブは部屋を後にした。
「さてリュート。これから忙しくなるぞ」
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