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第32話

 アイーダの宣言通り、多忙な日々が続いた。  必死で考えた公約は、他の候補者に模倣されてしまったため、すでに発表したものの精査と、新たに追加できそうな公約を見つける必要があった。  庁舎内を情報収集に馳せまわった。加えてリュートには、溜まりに溜まった巡査長としての仕事が待ち構えていた。  朝日が昇って夕日が沈む、という自然の摂理で捉える時間の概念はなくなり、1日が終わる、というよりは、24時間が経過する感覚でやるべき事を片付けていく。  時間が経つにつれ、いつ食べたか、いつ寝たかを思い出せないくらい、生命維持活動に無頓着になり、ついには急にツボに入って笑いが止まらなくなるという症状が出始めた。  突然笑い転げるリュートを見て、アイーダは「これはヤバい」と判断。163時間ぶりに、完全オフを命じた。    身体がどこまでも沈み込んでいく感覚が、リュートを支配する。最初は、羽根のようなふわふわしたものに包まれ、安心感を得ていたのだが、徐々に、高い所からただ落下し始め、その恐怖から逃れるために、無理やり目をこじ開けた。 「はぁ!……はっ……コッワ‥‥」 「講話、ですか?」  ベッドのへりにちょんと座り、難しそうな本を読んでいたラブがリュートに尋ねる。 「あれ?ラブだ……まだ夢か」 「いえ、現実です」  ラブが、リュートの頬を結構な力でつねる。 「いででで……ほんほーだ」  今度は確実に覚醒したリュートを確認し、手を離した。 「死んだように眠ってましたよ……お疲れ様です」  ラブは、用意していた紅茶を差し出した。少し冷めていたが、悪夢に冷や汗をかいたリュートには丁度良い。さわやかな香りがと共に、カラカラだった喉が潤った。 「あー……俺、結構がんばってね?」  リュートはここ最近、自分自身を誇れるくらい頑張っていると思った。密かに何かを期待して、ラブに同意を求める。 「はい。先輩、頑張ってます。僕も頑張ったんですよ?」  ラブがリュートにぐっと近づき、耳打ちをする。 「先生がなぜ拘束されたのかがわかりました。」  「とりあえず、手荒なことは絶対されません」と、ラブが微笑んだ。アイーダさえ教えてくれなかった、おそらく国家レベルの機密事項をラブは知っているという。リュートは興奮気味にラブに問う。 「本当か!?それはどうやって?博士はなぜ……」 「それは言えません。というか交渉に使えそうなので簡単には教えません」 「ですよね~」と、リュートは肩を落とした。けれど、イェンチの無事が確定し、ラブの心も少しは安らぐだろうと思うと、それだけで十分た。 「ひとまず、よかったな、ラブ。あとは解放あるのみだ」  リュートがラブに笑顔を向ける。ラブははにかみ下を向き、探りを入れるかのようにリュートに尋ねた。 「……先輩、今って大分疲れてる?」 「いや、結構寝たから割とすっきりしてる」 「そっか……あの、確かめたいことが、あるんだ」 「ん?何かな?」  最後は消え入りそうな声でそう言って、ラブは下を向いてしまう。リュートは、ラブが話しやすいように考慮して、顔をちらりと覗き込む。目が合い、その距離が急に近くなる。ラブはリュートにハグを した。 「んんっ!?ラブさん!?」  リュートはただひたすら驚く。ラブの温かい体温と柔らかな肌に直に触れ、頭の中で情報処理が追い付かず、身体が硬直した。 「ふぅー……やっぱり心臓がバクバク言ってる。ねぇ、リュート先輩、僕ね」  ラブは腕にきゅっと力を入れて、リュートと自分を密着させた。顔を絶対に見せないぞ、という意思が伝わってくる。 「先輩の事が好きみたい……」  ラブの思惑通り、顔が全く見えない。けれど、耳が赤くなっている。抑えきれない幸福感に、リュートの頬に涙が伝う。 「うっ……ふっ……」  ラブの頭に大きな滴が落ちてくる。「せ、先輩?泣いてます?」と、慌てるラブをリュートは抱きしめ、精一杯の強がりを言った。 「俺が……言いたかったのにぃ……」  ラブはリュートを見上げる。目と鼻の頭が赤くなり、涙で頬がほとんど濡れていた。それなのに、 唇をきつく結び、往生際悪く涙を堪えようとしている表情が、とても愛おしかった。ラブは自分の袖でリュートの涙を拭いてやり、じっと目を見る。 「もう十分伝えてくれたよ」  そのまましばらく見つめ合い、互いに近づいて、恐る恐るキスをした。

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